見出し画像

クレタ島のペリシテ人とは「ケルト人」で、「スサノオ」とも繋がるのか。

今回は、6000年前の時代から考えていきたいと思います。

サルデーニャの先祖はアジア・アルタイ高原にいた遊牧民族で,6000年前に馬に乗ってメソポタミアに至り,さらにエジプトまたはトロイを経由してこの地に入ってきた(参考文献1, p.11)。これによってヌラーゲ文明がもたらされたという。

サルデーニャの歴史と風俗


イタリアのサルデーニャ島の先祖とは、アジア・アルタイ高原にいた遊牧民族で、6000年前に馬に乗ってメソポタミアに至ったということです。

まず、サルディーニャ島の位置を見てみます。

サルディーニャ島
出典:https://romaneko.seesaa.net/article/202110article_1.html


サルディーニャ島は地中海に浮かぶ島であり、地中海とはヨーロッパ大陸・アフリカ大陸・アジア大陸に囲まれた内海になります。

次に、アジア・アルタイ高原と言われる位置を見てみます。

出典:http://miyata.gotdns.com/Cafe/Kazakhstan.htm


アルタイ山脈は、ロシア、モンゴル、カザフスタン、中国にまたがる中央アジアの山脈です。

6000年より遥かに時代はくだりますが、アルタイ山脈麓には「ケレイト」と呼ばれた遊牧民が存在し、その子孫が現代のカザフ民族だということです。参考:気高きアルタイ山脈に住む誇り高き民族 カザフ民族とバヤンウルギー

「アジア・アルタイ高原にいた遊牧民が、6000年前に馬に乗ってメソポタミアに至った」ということですが、そもそも6000年前に騎馬遊牧民族はいたのでしょうか。

馬の家畜化は紀元前4000年頃に現在のウクライナで食肉を得る目的で始まったと考えられている。その後、馬乳を得るようになった。続いて動力として利用し、さらに騎馬遊牧民は馬の背に跨る騎乗の技術を編み出した(スキタイ)。内燃機関登場以前の世界では最速の陸上移動手段として発展を遂げた。

馬の家畜化 - Wikipedia

ちょうど今から6000年前には、馬が家畜化されていたようです。

そのため、当時の遊牧民が馬に乗って移動していたとしても不思議ではありません。

アジア・アルタイ高原にいた遊牧民が馬に乗ってメソポタミアに至ったということで、メソポタミアの位置も見ておきます。

メソポタミア地域
出典:https://sekaishi-gendaishi.com/archives/5


メソポタミアとは、シルクロードの執着地点に近い位置にあります。

それでは、今から6000年前のメソポタミアとはどのような時代だったのでしょうか。

前4000年紀 前4000年紀の初め頃、最初の都市文明が形成された。その代表がユーフラテス下流の左岸にあるウルク(現在のワルカ)である。またウルク遺跡から楔形文字を記した粘土板が大量に見つかっており、これが最古のまとまった楔形文字資料である。このメソポタミア南部の都市文明を成立させたのはシュメール人(民族系統は不明)と言われている。

メソポタミア文明


前4000年紀とは今からおよそ5000年〜6000年前に当たり、メソポタミアにはその頃に最初の都市文明が形成された、ということです。

日本中国では、紀元前3000年から紀元前2000年にかけて生まれたメソポタミア文明エジプト文明インダス文明中国文明の4つの文明を世界四大文明としている。

世界四大文明 - Wikipedia


今まで、およそ5000年から4000年前に、メソポタミア文明などの「世界四大文明」が興ったと言われてきました。

しかしながら、ブルガリアのヴァルナでは、約6600年から6200年前に遡る高度な文明の存在が明らかとなっているのです。参考:6,000年前の金の工芸品が高度な文明を明らかにした。

ヴァルナ墓地ブルガリア語: Варненски некропол)は、ヴァルナの西工業地帯(ヴァルナ湖から約0.5km 、市中心部から4km)にある埋葬地で、国際的に世界の先史時代における重要な考古学的遺跡の1つとみなされています。紀元前4600年から紀元前4200年に遡る世界最古の金の財宝宝飾品がこの遺跡で発見されました。 [ 1 ]ブルガリアの先史時代の発見物の中には、ホットニツァ、ドゥランクラクの金の財宝、パザルジク近郊のユナツィテのクルガン遺跡からの遺物、サカルの金の財宝、プロヴァディアソルニツァタ(「塩の穴」)のクルガン遺跡で発見されたビーズや金の宝飾品など、同じくらい古いものと考えられているものがいくつかあります。しかし、ヴァルナの金は、その量と種類が最も多いため、最も古い金と呼ばれることが多い。[ 1 ] [ 2 ] [ 3 ]

Varna Necropolis - WikipediaよりGoogleTranslateによる日本語訳


下の写真は、ブルガリアのヴァルナのネクロポリスから出土した遺物です。

ネクロポリスとは、巨大な墓地または埋葬場所のことです。

ヴァルナ考古学博物館に展示されている、43号墓から出土した骨格と遺物。


ここで、ブルガリアの位置も見ておきます。

出典:https://keynoters.co.jp/category/europe/belgium/


ブルガリアは、東ヨーロッパのギリシャやトルコに隣接し、黒海に面する国です。

ブルガリアには、オドリュサイ王国という国がありました。

オドリュサイ王国(オドリュサイおうこく、古代ギリシア語: Βασίλειον Ὀδρυσῶν; ラテン語: Regnum Odrysium)は、紀元前5世紀から紀元後1世紀にかけてトラキアに存在した、40以上のトラキア人諸部族と[3]、22の王国からなる連合国家[4]。その領域はブルガリアを中心に、ルーマニア南東部(北ドブロジャ)、ギリシャ北部、トルコ東トラキアにあたる地域まで及んだ。

紀元前6世紀末、トラキアはアケメネス朝ダレイオス1世に征服された[13]イオニアの反乱によって一時期その支配から脱するも、紀元前492年にマルドニオスによって再制圧された[14]。アケメネス朝下でトラキアはスクドゥラに組み込まれたが、たびたびスキタイ人ギリシア人の侵入を受けた。

オドリュサイ王国 - Wikipedia


次の写真は、オドリュサイ王国の貴族の墓で出土した黄金の冠です。

ゴリャマタ・モギラ・トゥムルスのオドリュサイ貴族墳墓から発掘された、黄金の冠。


この金冠はスキタイ文化の遺物だと考えられ、オドリュサイ王国時代の紀元前5世紀から紀元後1世紀に、ブルガリア周辺に「スキタイ人」が居住していた可能性が考えられるのです。

下の写真はアフガニスタンで出土した金冠で、アフガニスタンもスキタイ人の居住地でした。

黄金のアフガニスタン展2 ティリヤ・テペ6号墓出土の金冠
出典:https://avantdoublier.blogspot.com/2016/07/blog-post_5.html


さらにオドリュサイ王国時代の紀元前3世紀には、ブルガリアに「ケルト人」の国家が築かれていた、というのです。

紀元前279年ガリア人のバルカン侵攻英語版)がトラキアギリシャで起こり[1]紀元前3世紀にはComontoriosに率いられたケルト人の国家が築かれたとポリュビオスが『歴史[2]に記している。

ブルガリアの歴史 - Wikipedia


オドリュサイの人々は、軍事的にケルト人の影響を受け、服飾品はスキタイの影響を強く受けていたということです。

オドリュサイの工芸や金属加工技術は、多分にアケメネス朝の影響を受けていた[28][29]。トラキア人は、ダキア人イリュリア人と同様に、社会的地位を示す刺青を施す習慣があった[30]。また彼らは軍事的にはケルト人の影響を受け、トリバッロイ人などはケルト人の装備を導入していた。トラキア人の服飾は、主にヘンプやアマ、羊毛による織物であった。デザイン面では、裾を彩色したジャケットや先の尖った靴など、スキタイ人の影響が強かった。ゲタイ族などは特にスキタイ人と習俗が似ており、たびたび混同された。貴族や一部の戦士は、帽子を着用していた。

オドリュサイ王国 - Wikipedia


これらのことから「スキタイ人」と「ケルト人」とは、同一習俗を持つ同一部族であった可能性が高い、と考えられるのです。

6000年前のアルタイ山脈周辺に存在した遊牧民が、イタリアのサルディーニャ島の先祖だということでした。

サルデーニャの歴史は2.5万年前の旧石器時代に遡る。新石器時代を経て銅期時代(2900-1800BC)に入ると,メンヒル,ドルメンなど巨石文明が発達した。その後ヌラーゲ文明と呼ばれる,サルデーニャ独特の高度な文明が発達した。

ヌラーゲNuragheは石造りの高度建築で,高層の塔を中心とした石造り村である。このような村は一時は島内に20,000以上あったと言われているが,現在は8,000程度が確認されている。高層の塔の目的は墓や神殿とも考えられるが,士族を守るための要塞と考えるのが一般的である。塔は先端を切り取った円錐形であり,傾斜をつけることにより石の重みで求心力を得て高層建築を安定化している。3000年 以上も前のこの時代の建築物としては最も進んだものであり,この島以外にはどこにもない独特なものである。塔の方位は冬至の日の 日の出と,月の出の南端になっており,マヤ文明の1500年も前から天文学が発達したという(Wikipedia英語版)。かなり進んだ文化だ。

サルデーニャの歴史と風俗


サルディーニャ島ではドルメンなど巨石文明が発達し、紀元前2000年以前から建造された石塔の方位は、冬至の日の 日の出と月の出の南端になっており、まさしく「ケルト文明」の地であるのではないでしょうか。

サルディーニャ島の先祖とは「ケルト人」であると考えられ、彼らは6000年前のアルタイ山脈周辺からやって来た民族集団だ、ということになります。

次に、「聖書」に書かれている「クレタ」を見てみます。

諸国民の滅亡
まことにガザは捨てられ
アシュケロンは荒れ果てる。
アシュドドは真昼にその住民を追われ
エクロンは根こそぎにされる。
災いだ、海沿いの地に住む者、クレタの民は。
主の言葉がお前たちに向けられている。
カナンよ、ペリシテ人の地よ
わたしはお前を滅ぼし
住む者がないようにする。

旧約聖書 ゼファニヤ書2.4-5 新共同訳   


ガザ、アシュケロン、アシュドド、エクロンとは「ペリシテ人」の町であり、クレタの民とは「ペリシテ人」であることが書かれています。

聖書は翻訳によって、使われている言葉が違います。

下記では、「クレタ」のことが「ケレテ」と書き表されているのです。

『旧約聖書』ゼパニヤ書第二章もケレテが登場する。ともあれ、ガザは捨てられ、アシュケロンは荒れはて、アンドドは真昼に追い払われ、エクロンは抜き去られる。わざわいなるかな、海べに住む者、ケレテの国民。ペリンテだとの地、カナンよ、主の言葉があなたがたに臨む。前後の地名から判断すると、聖書においてペリンテといわれるギリシャ名フィリステルは現在のパレスティナであるが、この海岸地帯に住む人々を「ケレテの国民」といっている。カナンは「ペリシテびとの土地」であり、「ペリシテびと」は「ケレテの国民」であるとの内容になる。

《第三章 カルト(スバル)人の地中海進出①》

ここで、「クレタ島」には「ケルト人」が住んでいたことに加えて、「ペリシテ人=ケルト人」である可能性が出てきました。

クレタ島に住み付き「牛頭崇拝」を根付かせた人々とは 「ケルト人」であったことは今や明らかである。
カナンの牛飼の支配者が「牛頭信仰」を 地中海の東岸カナン地方からクレタへ移入したというのが、その主要な眼目である。

第三章 カルト(スバル)人の地中海進出③


クレタ島で有名なのが、「ミノア文明」です。

ミノア文明の金のラブリュス
斧 - Wikipedia

クレタ島の考古調査によれば、両刃斧は特に神官が儀式に用いていた。ミノアの宗教的シンボルの中でも両刃斧は最も神聖なものだった。

ラブリュス - Wikipedia


ミノアの宗教的シンボルの中でも、両刃斧(ラブリュス)は最も神聖なものだったということで、これとそっくりな斧が「スキタイ」のクルガン(墳丘墓)から出土しているのです。


出典:スキタイの習俗
https://neuman8823.blog.fc2.com/blog-entry-251.html


このことからも、「ケルト人」と「スキタイ」とが起源を一つとしていることが考えられるのです。

クレタ島では、雄牛信仰が盛んでした。ゼウスや雷神が雷を起すのに使う武器が「ラブリュス」と結び付けられているということです。

雄牛はゼウスの象徴であり、インド・ヨーロッパ神話によく見られるゼウスや他の雷神を起こすのに使う武器がラブリュスと結び付けられている。例えば北欧神話トールミョルニルをふるって雷を起こし、インドラヴァジュラを好んで使った。同様にゼウスがを起こすのに使ったケラウノス(Keraunos)はラブリュスまたはペレキュスだった。

ラブリュス - Wikipedia


北欧神話のトールという神は、ミョルニル(トールハンマー)をふるって雷を起こしたということです。

18世紀の写本『NKS 1867 4to』に描かれた、トールとミョルニル。


この、北欧神話に登場するミョルニル(トールハンマー)に見覚えがあります。

今回ご紹介した、ブルガリアのヴァルナのネクロポリスから出土した遺骨が手にしていた物と似ているのです。

ヴァルナ考古学博物館に展示されている、43号墓から出土した骨格と遺物。


東欧にある、ブルガリアのヴァルナのネクロポリスは、6000年以上前に遡る遺跡です。

これらのことから、「スキタイ=ケルト人」が中央アジアからシルクロードを西へ進み、ブルガリアなどの黒海周辺から、メソポタミアやエジプト、地中海の島々に文明を築き、カナン(現在のパレスチナ周辺)にも定住し「ペリシテ人」と呼ばれていたのではないか、と考えられるのです。

「古代ケルト」と「古代エジプト」と「古代日本」との繋がりにつていも、「RAPT理論」によって詳しく解明されています。

古代ケルトと古代エジプトと古代日本の幾多もの文化的共通点と、日本がドルイド教から誕生したという幾つもの証拠。


RAPT×読者対談〈第41弾〉古代から現代まで世界を支配してきたのは古代ケルトのドルイド僧である。


古代ケルトのドルメンも日本の神社も同じドルイド教の生け贄儀式の祭儀場でした。


日本の歴代首相も天皇もみんな古代ケルトの悪魔教「ドルイド教」の僧侶の末裔です。


この「スキタイ=ケルト人」が神聖視していた、両刃斧(ラブリュス)を持っているのが日本の牛頭天皇(スサノオ)です。

牛頭天王と素戔嗚尊の習合神である祇園大明神(仏像図彙 1783年)


「スサノオ」についても、「RAPT理論」によって詳しく解明されています。


「天照大神」「スサノオ」「ツクヨミ」による権力争いと世界支配計画。現代まで続く「日本神話」という現実の物語。


「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。


京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。


このように見てくると、世界の歴史とは「スキタイ=ケルト人」によって形成されてきたように見えます。

しかしそれらは、「悪魔崇拝」に繋がっているのです。


神様もサタンも、私たちが想像する以上に近くにいる。そして、私たちが神様の考えを抱けば、神様に近くなり、サタンの考えを抱けば、サタンに近くなる。


今の時代、サタンや悪人が最後の悪あがきをして人々を滅ぼそうとしているが、義人が祈るなら、世界が滅亡することはなく、むしろ世界中の人々が救われるだろう。


これからの千年間の歴史について聖書で詳しく預言されていないのは、ただ「義を行う者は栄え、悪を行う者は裁かれる」という単純な法則に則って歴史が成されていくからだ。


どうか全ての人々が「悪」から離れ、「神様」に立ち返ることができますように、そしてこれから必ず全人類が、「神様」から豊かに「祝福」を受けて生きることができますように、心からお祈りしています。


RAPTさんのブログ

RAPT | 新・貴方に天国から降り注がれる音楽を

朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入

BLOG BY RAPT

TALK RADIO

RAPT理論+αRAPT理論のさらなる進化形

十二弟子の皆様とRAPTブログ読者の方の証

✴︎動画✴︎



✴︎RAPTさんの写真集✴︎

『NOTO EARTHQUAKE 災害か、侵略か? 地震発生から9ヶ月後の能登』







いいなと思ったら応援しよう!