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消えていった夏


ギラギラとした太陽も、耳をふさぎたくなるような蝉の声も、夜空にほどける花火も。
みんな、どこか遠くの出来事みたいに、モノクロームでしか思い出せない。

あの夏の、あの雨のあとから。



下校途中、空が急に暗くなった。

「降るね」

誰かがそう言った直後、ぽつり、と肩に冷たいものが落ちてきた。
次の瞬間には、地面を叩く雨音が一斉に強くなって、視界が白く霞んだ。

私は走った。
けれどすぐに諦めて、いつもの公園の東屋に駆け込む。

屋根を叩く雨は、しばらく待てば止むような降り方じゃなかった。
まるで空に穴があいたみたいに、ずっと、同じ強さで降り続いている。

ランドセルがじわじわと湿っていく。
赤いはずなのに、どこかくすんで見えた。

暇を持て余して、ポケットに手を入れる。

指先に、固い感触。

取り出すと、それは十円玉だった。

——そうだ、電話。

公園の端にある緑色の公衆電話が、ぼんやりと雨の向こうに見える。
私はそれを握りしめて、再び雨の中へ飛び出した。

靴の中まで水が入り込んで、ぐちゃぐちゃと音を立てる。
息を切らしながら電話の扉を開け、中に滑り込んだ。

受話器を持つ手が、少し震えていた。

家の番号は、何も見なくても押せる。

——出て。

呼び出し音が、やけに長く感じた。

——出てよ、お母さん。

けれど、何度鳴っても、受話器の向こうは静かなままだった。

ぷつ、と途切れる音だけが残る。

もう一度かける。

でも、結果は同じだった。

十円玉が、戻ってこない音を立てる。

私はしばらくそこに立ち尽くして、それからゆっくりと受話器を戻した。

結局、雨の中を走って帰った。

もう濡れるのなんてどうでもよくて、ただ、早く帰りたかった。

家の前に着いたとき、胸の奥が少しだけ軽くなる。

きっと、帰ってきてる。
そう思った。

ドアを開ける。

「ただいま」

返事はなかった。

家の中は、変に静かだった。
時計の音だけがやけに大きく響いている。

リビングも、台所も、母の気配がない。

——そのとき、ふと目に入った。

テーブルの端に、白いレース編み。

編みかけのまま、針が刺さっている。
途中で止まった模様が、不自然に途切れていた。

ほんのさっきまで、そこに誰かがいたみたいに。
でも——もう、続きを編む人はいない。

私はそれに触れることもできず、ただ立ち尽くした。

濡れたランドセルを床に置く。
ぽたぽたと、水滴が落ちる。

赤いはずのそれは、暗く滲んで、もう元の色が分からなかった。

——この家には、もう誰もいない。

なぜか、そう思った。

その日、母は家を出た。

理由も、行き先も、何も知らないまま。



それからの夏の記憶は、色を失った。

あの日の雨音だけが、やけにはっきりと残っている。

ポケットの中の十円玉。
濡れたランドセル。
誰も出なかった電話。
そして、あの編みかけのレース。

あの瞬間から、私の中で何かが止まった。

——けれど。

私はいま、あのレースを少しずつ編んでいる。

あの頃、母に教えてもらった記憶を頼りに。

途切れた模様の続きを、指先でなぞるように。
ひと目、ひと目、確かめながら。

きれいに揃わない編み目が、かえって、あの時間の不確かさに似ている。

それでも、糸はつながっている。

どこへ続くのかは、まだ分からない。

けれど私は、編み続けている。

色のない夏の、その先を。


こちらの企画に参加させて頂きました。

#3つのお題に空想のひらめきを


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