眠る化石【創作】
「マクロ・マイクロな生体構造と分子情報から、失われた生体のシナリオを復元すること」──それが、西園寺の研究テーマだった。
研究所の地下深く、特別な保管庫に横たえられた一片の化石。その表面は琥珀のように艶を帯び、何千万年もの眠りを閉じ込めている。彼はガラス越しにそれを見つめ、長く抑えてきた興奮を胸に噛みしめる。
化石表面の微細構造を確認するため、SEM──走査型電子顕微鏡──を用いて観察する日々。絶滅した哺乳類や近年の鳥類で数々の実験を重ね、チームはすでに成果を挙げていた。そして次に挑むのは、かつて地球を支配した恐竜。世界の学界もメディアも、固唾を飲んでその日を待っている。
人類史上初めて「眠りから呼び戻される巨竜」。
その瞬間の立会人になる栄誉は、研究者にとって夢であり、ある種の呪いでもあった。
そして、実施を翌日に控えた夜、西園寺はふいに奇妙な夢を見た。
* * *
──闇の中で、巨大な影が横たわっている。輪郭は不鮮明だが、背骨の曲線、鋭い爪、長大な尾の存在感だけは圧倒的だった。
その影が口を開き、低い声で語りかけてきた。
「やめろ。私たちを呼び覚ますな」
西園寺は言葉を失った。恐竜が、自分に向かって話している?
「この世界はそうできている。文明は進みすぎれば、必ず『初期化』される。」
声は深い地鳴りのように響いた。
いや、声と言っていいかどうかもわからない。言葉を超越した、波動のような感覚が、直接脳の中に響いてくる。西園寺の心臓の鼓動は、徐々に早くなっていった。
「お前も知っているはずだ。過去に高度な文明が存在したことを。
石器時代よりも前に、海底に眠る都市の痕跡を、お前たち人は見つけている。
なぜ、彼らは滅びたと思う? 理由は一つ。この均衡を破ったからだ。
『越えてはいけない境界』を、越えてしまったからだ。」
西園寺の脳裏に、研究で目にした古代遺跡の写真や不可解な伝承がよぎった。神話の洪水、炎の雨、空から落ちた火の玉。場違いな工芸品、いわゆるオーパーツもそうだ。
どれもただの寓話だ捏造だと片づけてきたが、もし本当に「初期化された」記録なのだとしたら……。
「今、お前たちは臨界にある。この実験は最後の一押しとなるだろう。」
恐竜の影は静かに言った。
「だから、やめろ。……このまま、私たちを眠らせておけ。」
* * *
次の瞬間、西園寺はベッドの上で汗にまみれて目を覚ました。夢だ。そうに違いない。だがあまりに生々しく、胸にじんわりと残る感覚は、幻では片づけられなかった。
翌朝、白衣に袖を通しながら彼は考えた。もしも夢の警告が真実だとしたら? ……しかし彼を待つのは、数年にわたる研究の結実を祝う仲間、資金提供者、期待を寄せる世界中の視線だった。
今さら「恐竜が夢でやめろと言った」などと口にすれば、ただの笑い者で済めばよい方だ。研究者としての人生も終わりかねない。
──私は研究者だ。夢だの幻だの、非科学的なものに縛られるわけにはいかない。
そう自らに言い聞かせ、西園寺は実験室に足を踏み入れた。厚いガラスの向こうで、化石は相変わらず無言のまま眠っている。
装置のランプが点滅し、起動音が低く響く。
周囲の研究員たちが固唾をのんで見守る中、西園寺は深呼吸を一つして、決定キーを押した。
──その瞬間、化石の奥深くで、なにかがゆっくりと目を覚まそうとしていた。実験室の空気が微かに震え、時間の感覚が歪んだ。
数千万年の記憶が、間もなく復元される。
古代の潜在意識が、波紋となって広がってゆく。
この恐怖の痕跡に、誰もまだ気づかない。漠然とした不安だけが残る。
未来がどうなるのか──答えを知る者は、まだ誰もいない。
いいなと思ったら応援しよう!
書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。