沈黙の焼香【創作】
十数年ぶりに地元の駅に降り立つと、空気は懐かしい匂いを含んでいた。
父の葬儀のために戻ったはずなのに、胸の奥で別の重みが疼く。
──夏希の顔を見たら、どうするんだ。
* * *
中学、高校と、毎週のように互いの家を行き来した友人。
泊まりに行ったある夜、引出しの中の封筒を見てしまった。
それは、夏希が小遣いをほとんど使わずに、長い時間をかけてためていたものだった。
何枚もの一万円札。手を伸ばして、数枚を抜き取った。
「なくても気づかないだろう」と自分に言い訳しながら。
次に会ったとき、夏希が何気なく「お前さ、お金...…」と言った。
心臓が跳ねた。
その場で言葉を返せず、鳴ってもいない携帯を見つめて「用事ができた」と逃げた。
それきりだった。それっきり、遊ぶ約束も連絡もしていない。
* * *
時は流れ、俺は結婚し、子どもも生まれた。
その日々のなかで、夏希のことは、罪と一緒に心の底に押し込めていた。
葬儀場の控室でふと視線を上げたとき。
人の流れの向こうに、あの顔があった。
父と夏希の家は町内会でも顔を合わせる間柄で、葬儀に彼が現れるのは不思議なことじゃなかった。
十数年の時を経た夏希は、以前より落ち着いた表情をしていた。
目が合った気がした。
彼は何も言わなかった。
ただ焼香台の前に立ち、静かに手を合わせ、深く頭を下げていた。
その背中が通り過ぎていく。
──なぜ何も言わない。
問いただしてくれれば、謝罪できるのに。
軽蔑してくれれば、罰を受けられるのに。
沈黙だけが残った。
葬儀場に流れる読経の声のなかで、俺の心の内だけが修羅場となる。
十数年前に抜き取った数枚の紙幣の重みが、今もなお指先にまとわりついて離れなかった。
声が、聞こえる気がした。
──聡一郎。お前のやったこと、忘れてないからな。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。