見出し画像

一点物【創作】

フリーマーケットの朝は、もう暑い。
テントを張るだけで、首の後ろに汗が溜まる。

本当は、友人とふたりで出すはずだった。
朝、荷物を積み終えたあとで、「急にデートが入った」とだけ連絡が来た。
それを受けて、ポップの数を半分にした。

机の上に布を敷き、品物を並べる。
値段を書く前に、位置を決める。

高さ、間隔、向き。
昔から、こういうことは得意だった。

紙を切って、ペンを取る。
文字を書くときだけ、周りの音が遠のく。

少し太めの線。主張しすぎないように、でも埋もれないように。

午前中、いくつかは売れた。誰かの不要になったものが、別の誰かの手に渡っていく。フリーマーケットは、そういう場所だ。

それでも、最初から動かなかった品がある。

小さな木の箱。角は少し丸く、蓋はわずかに歪んでいる。


姉ふたりの結婚式が続いた年。
祖母の家の片づけは、なぜか私の担当になった。

物置の奥で、その箱を見つけた。
昔、時間を持て余して作ったもの。

何を入れるかも決めないまま、最後まで仕上げてしまった。蓋がわずかに噛み合っていないのは、最後に削るのをやめたせいだ。

昨日「もういらないか」と思って、段ボールに入れた。値札はつけなかった。代わりに、ポップだけを置いた。

隣の区画から、よく通る声が聞こえる。内容は覚えていない。声だけが、空気を震わせている。

大きな声は、出すのも聞くのも得意ではなかった。自分から人に、声をかけるのも。そうした方が、売れるってことが分かっていても。


昼を過ぎても、その箱は残ったままだった。
「売れなかった」というより「判断されなかった」という感じがした。

撤収の時間が近づく。売れ残りを段ボールに戻す時間だ。持ってきたものの大半は売れ、売り場も片付いた。帰りは、行きよりも楽になる。

最後に残った、木の箱を手に取る。思ったより軽い。何も、言葉は出てこなかった。じっと、見つめていただけ。

「それ、まだあなたのところにいたいんじゃないですか。」

隣の人が、こちらを見て何気なく言った。

箱のことなのか、それ以外のことなのか。何も答えず、確かめなかった。

その箱を、売れ残りと一緒に段ボールへ入れるのはやめておいた。ポップを外して折り畳み、箱は鞄にしまう。

紙には「一点物」とだけ書かれていた。

フリーマーケットは、手放す場所だと思っていた。でも今日は、持ち帰るものがひとつだけあった。


いいなと思ったら応援しよう!

財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。