荷ほどき、今日はここまで【創作】
実家の二階のかつての私の部屋に、段ボール箱がいくつも積まれていた。
窓の位置も、壁紙の柄も変わっていないのに、どこか他人の部屋のように感じる。
離婚のあと、慌ただしく運び込まれた荷物たち。数か月が過ぎても、まだ手をつけられずにいたのは、きっと心が追いついていなかったからだ。
今日はようやく、そのひとつを開ける気になった。
カッターの刃をすべらせると、ガムテープの音が乾いた空気に響く。
箱の中からは、懐かしい食器や衣類が顔を出した。
白いカップを手にとる。厚みのある磁器に、ほんの小さな欠けがある。
「コーヒーはこのカップじゃないと落ち着かないんだよ。」
そう言って、ほかの器には決して手を伸ばさなかった彼の声が、ふとよみがえる。
マフラーが出てきたのは、そのすぐあとだった。誕生日に編んだものだ。
「重たいよ、もう少し短くてもいいのに。」
彼は、言葉とは裏腹に、毎冬かかさず首に巻いていた。
どちらも、暮らしの中に溶け込んでいたものだった。
と同時に、自分の中に少しずつ、ぽつぽつと積もっていくものがあった。
カップを棚に戻し、マフラーは衣装ケースの奥にしまう。
ひとつ、またひとつ。
荷物をほどいていくたびに、段ボールの底からひょっこり現れる記憶に、足を止めながらも、手を動かし続ける。
この家、この部屋に、少しずつまた「自分の暮らし」の景色ができていく。
些細な彼のこだわりに、当時は微笑ましさを覚えていた。
でも、次第にそれは窮屈な習慣へと変わっていった。
時に息苦しく、時にあたたかかった。
両方が混じり合っていたからこそ、いまも簡単に嫌いにはなれないのかもしれない。
母の声が階下から聞こえた。
「お茶いれるよー。」
その響きに、不思議と肩の力が抜けた。
返事はしなかったけれど、立ち上がるタイミングをなんとなく見計らう。
開けていた段ボール箱の底に、小さなノートがあった。
表紙の隅が折れ、少し色あせている。結婚生活のはじめに、買い物メモとして使っていたものだ。
ページをめくると、夕食の献立や週末の予定が並んでいる。
鶏団子鍋、映画、駅前のパン屋。
ひとつひとつに、確かにやさしい時間はあった。
けれど、もうあの家に戻ることはない。
ノートを閉じて、そっと棚の奥へ滑り込ませる。
もう使うことはないけれど、手放すには、もう少しだけ時間が必要な気がした。
空になった箱を重ねていくと、床の上に陽が差していた。
夕焼けの色がカーテン越しにふわりと広がっている。
ひとつ息をついて、静かに立ち上がる。
──よし、今日はここまで。
それでもなんとなく、部屋の空気が少し軽くなったような気がした。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。