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忖度の外側で【創作】

世界は、忖度でできているのかもしれない。

別に、誰かに言われたからじゃない。ただ、そういうふうにしか見えなくなっただけだ。

小学校のころ、美奈子は頭がよかった。テストの点数がよくて、先生に褒められて、みんなから「すごいね」と言われるのが、当たり前みたいになっていた。

彼女が、地元の有名な私立中学に受かったとき、周囲は祝福ムードだった。卒業式で見た彼女の両親は、どこか誇らしげで、安心した顔をしていた。自分たちが届かなかった場所に、娘が行ってくれる。元々お金持ちだったのかもしれないけど、娘のためならいくらでも支える、という顔だった。

* * *

美奈子の家に遊びに行った最後の日、リビングの本棚に、よく分からないタイトルの本が並んでいた。

「なぜ取り柄のない私が、わが子を東大へ入れられたのか」

そんな感じの本ばかりだった。成功体験を庶民の目線に落とし込んで、誰かを安心させるためのビジネス本。

「入れたのは子どもが頑張ったからだろ」と私は思った。そもそも「入れられた」という語感が気持ち悪かった。子どもは大人の、お人形遊びの駒じゃない。

彼女は、黙ってそれを見ていた。誇らしそうでも嫌そうでもなく、ただそこにあるものとして、だ。このとき彼女の家で出されたケーキは、上等なものだったはずだが、どうにも味が思い出せない。

しかし中学に入ってすぐ、友人は学校に行かなくなった。

引きこもっているという。きっかけがあったのかもしれないが、私は詳しくは聞いていない。通う学校が違うと、すっかり縁も薄くなってしまった。

* * *

私は公立中学に進み、特別でも何でもない日々を送っていた。部活に行き、宿題をして、帰りにコンビニで立ち読みして、家に帰る。

その延長線上で、私は雑誌連載の漫画を読むようになった。

長寿連載の人気漫画だった。最初は面白かった。キャラクターが生きていて、世界にちゃんと重さがあった。けれどいつからか、違和感が積み重なっていった。

無駄に出てくる登場人物。急に愚かになるキャラクター。どうせ死なないと分かっているのに、無理やり引き延ばされる苦痛の演出。話の中で、必然的に生じる反対意見は、雑音みたいに処理された。

この日の私は雑誌を閉じ、買うことはやめて棚に戻した。それと同時に、声があがった。

「あっ。」

振り向くと、美奈子だった。しばらく会っていなかったが、少し大人っぽくなっていた。けれど、髪はぼさぼさで、あまり見た目に気を遣っていないように見えた。

「美奈子。久しぶりじゃん。」

私は、学校に行っていない彼女の現況について、詳しく聞きたかったわけではない。純粋に、懐かしいかつての友人に会えた喜びが前に出ていたと思う。はじめは警戒したような態度だった美奈子も、少し話すと怯えた表情は消えていた。

「学校、楽しい……?」
「ぼちぼちかな。」

聞かれて、私は答えた。別に無難な答えを探したわけではなく、本心だった。続けて、美奈子がつぶやく。

「こっちは、知らない人ばっかで疲れちゃった。……私も、公立行っとけばよかったのかなあ。」
「どうかな。」

私は、ポケットからあるものを取り出して見せた。

「これ。私は大嫌いなんだけど、持ってないとハブられるから。」

煙草だった。背中で監視カメラの角度を気にしてしまう自分が嫌になる。美奈子は、目を見開いてそれを見つめていた。

「……あの子は。ゆう子は、どうしてる?」

私らふたりと特に仲の良かった友人。いつも、一緒につるんでいたっけ。

「……いじめられてるよ。最近見てない。」

美奈子は、何も言わなかった。

「小学校のころは、平和で楽しかったのにね。」
「本当ね……。」

私たちは、また電話で話そう、と言って、コンビニ前でバイバイした。そんなに長い間話していたつもりはなかったのに、辺りは暗くなりはじめていた。

* * *

あれから結局、美奈子とは話す機会がないままだ。

コンビニで雑誌を読む習慣は続いていたが、読んでいた漫画は、読者が納得するための物語じゃなくなっていた。作者が、物語を使って必死に自分を救おうとしているように見えた。

作者の顔は知らない。インタビューも、作家性の語りも、私は追っていない。けれどそこには、もしかすると理解されなかった経験や、正当化されなかった感情があるのかもしれない。

それでも。信じてついてきた読み手を裏切っていい理由にはならない。

もう、その漫画は追うのはやめた。ページをめくりながら、私は友人のことを思い出していた。

彼女もまた、期待という名の忖度を受けていた。できるはずだ、向いているはずだ、行けるはずだ、と。

果たしてその世界は、彼女のためのものだったのだろうか?

もうこれからは、コンビニには寄らずに帰ろう。そう決めた。

自分の部屋に戻ると、隅に大きなクマのぬいぐるみが置いてある。小さいころ、母によって「かわいいから」と買い与えられたものだ。

私はそれを、捨てられずにいる。正直、いらなかった。当時、それよりも安いルービックキューブを買ってほしかった。あれが母の愛情だったのか、エゴだったのか、判断がつかない。

美奈子の両親と私の母は、きっと似ている。悪気はない。愛情もあるんだろう。ただ、「こうあってほしい」という願いを、子どもの世界に置いていっただけだ。物語も同じ。本来は、誰かのためにあるはずなのに、いつの間にか作者自身を守る装置になってしまう。

とはいえ。

子どもには子どもで、自分のために守らなければならない世界がある。匂いが嫌いで、見るのも嫌な煙草を、自分の意思と関係なく、リスクを負ってまで手に取ったときも。

正義感を少し示しただけで、格好の標的になったゆう子を見たときもだ。

* * *

世界は、忖度でできているかもしれない。

努力しているように見えれば、苦しんでいるように見えれば、「分かるよ」と言ってくれる。でも、本当に救われるべき人は、その忖度の外側に置き去りにされる。

私は、買っていた漫画の単行本をまとめて段ボールに詰めて収めた。クマのぬいぐるみを見る。引きこもった友人の部屋を想像する。

私は誰かを救えるほど、強くも優しくはない。でも、少なくとも、忖度に寄りかかる世界を許す立場でありたくはなかった。

それが、世界に対する、私なりの小さな抵抗だ。


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財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。