落ちたものの行方【創作】
「落ちましたよ。」
そう言うだけで、松田亮太は拾わない。こっちが両手で段ボールを抱えていようが、彼にとっては「教えてやった」ことが親切なのだ。それ以上は自分の責任外で、知るところではない。目の前に落ちた一枚の紙は、あとで私が拾った。
いつもそうだった。
ごみ箱があふれていれば、「満杯ですよ」といい、プリンターの用紙がなければ「紙が無いですよ」と言う。自分は技術系のスタッフだから、雑務は総務や経理の仕事。おおかた、そんな風に思っているのだろう。
後輩の美月詩乃は彼のそんな振る舞いに時々こっそり舌を出していたけど、私、宮村麗は特段気にすることはなかった。別に、分業で現場がまわっているのであればそれでいい。
経理の業務としては私と詩乃ちゃん、あとパートさん二名で月間の二千件程度の伝票処理はなんとか間に合っている。
松田は子供なのだ。別に直属の上司でもなし、ママになってやる義理もない。
* * *
「宮村さん、美月さん。ちょっと入ってもらえますか。」
ある日、私と詩乃ちゃんが急遽会議に参加させられ、そこで突然知らされた。「経理申請管理クラウドシステム」なるものが導入されることが決まったらしい。
私たちの会社は、従業員は三桁に届く程度。部署同士の顔はぼんやりわかるが、全員は覚えきれない、そんな規模だった。根本的なシステムがやや古いと感じていたので、新たな仕組みの採用は、まあ分からないではない。
──それにしても、導入が決まってから呼ぶか、普通。
試験運用がはじまる直前の、最後の会議の終了直前にだけ参加させられて、意見を求められても困る。私は詩乃ちゃんに議事記録のためのICレコーダーだけ持たせて、急いで手元の資料に目を通していた。
いくつか、ぽつぽつと思いつく疑問点と懸念事項を表明したが、参加メンバーは部長も含め、おおむね問題ないと思っているらしかった。
この仕組み導入の提案者は、よりによってあの松田亮太。彼はいつも、契約書の確認は法務に丸投げ、営業の工数は把握していない。大画面のモニターに表示された会議資料のスライドには無駄に彼の名前が大きく入っていた。こいつは不安だ。
どうやら、私たちの経理管理の仕組みがローカル環境での処理になっていることを、セキュリティ面や作業効率の観点から、改善すべきと訴えたらしい。社長が今掲げている、「無駄を省いた効率化推進」の旗に、いの一番で乗ったのだろう。いい加減なやつほど、ごまをするのだけはうまい。
彼は会議で、鼻高々に利点ばかりを次々と説明した。
「しかも、クラウドで一括管理すれば、全員で共有できます。経理の人たちだけではなく、経費申請を行う営業チームも楽になりますよ。」
「……もしこの仕組みで何か問題が起きた場合、一時的にでも元の環境に戻せるんですか?」
眉をひそめて尋ねる私に、松田は自信満々に答えた。
「便利なものなので、前のやり方に戻す必要はないと思います。宮村さんがさきほど懸念点として挙げられていた、現環境と互換性がない点につきましても──。」
言っても無駄か。きゅっと唇を結んで、意味のない話を聞き流す。でも、これだけは言わないといけない。
「効率化推進からくるシステム導入と理解していますが、非効率化につながった場合、責任とっていただけますか?」
あきれたような顔で、ふんと鼻を鳴らす松田。
「プレゼンの資料を見ていただいた通り、効率化につながらないことはありえないと思いますが、いいですよ。僕が責任を持ちましょう。」
* * *
「どうなってるんですか! 麗さん。」
「落ち着きなよ。顔が赤いよ、詩乃ちゃん。」
私たちはその日の終業後、駅前のお好み焼き屋さんで「経理ミーティング・プライベート編」を展開していた。
「あまりにも、事前に知らされなさすぎですう!」
お好み焼きを勢いよく食べながら文句を言う、後輩の言葉はもっともだ。
企画段階で知らされていれば、問題点の共有や現行版の様式からの更新にもっと注力できた。
反対意見を恐れて、直前まで松田の独断に近いかたちで強引に進められたのだろう、と私は思った。松田は技術チームの中でも、情報システムまわりの機材・ソフトの調達を担当している。本人はそれを「裁量」と勘違いしている節があったが。
ちょうど、社長肝いりの「効率化プロジェクト」について、各部署が何かしらの提案を急かされていたところだ。部長は「社長が言っている方針」を盾に、彼に丸投げしたに違いない。
「せっかく私、今のやり方に慣れてきたのに……」
じゅうじゅうと鳴く鉄板の音にかき消されるように、ぽそりとつぶやく詩乃ちゃん。彼女は、弱音はよく吐くが頑張り屋さんだ。最初は困った子だと思ったが、今や私の片腕として立派に用務をこなしている。会社の無茶なやり方で、つぶしてしまっては可哀想だ。
「そうだね。ただまあ、試験運用らしいから、とりあえずやってみてフィードバックするしかないよ。そして、口元にソースがついている。」
「も~!! どこですか!!」
私は笑いながら思う。
そうだ。とにかく情報をしっかり残すこと。それが責任の土台だ。慣れるまで最初は時間がかかるだろうが、将来的に作業が効率化されるのであれば、結果いい話なのだから。
* * *
しかし移行後は順調にはいかなかった。
利用者はなかなか、新規システムになれることができなかった。書類が紙媒体でなくなる点は悪くなかったのだが、電子印漏れや申請漏れ、入力ミスが多発。都度、経理メンバーで差し戻しや電話での催促を行ったが、結局口頭やチャットで確認の上、こちらで手修正を行うことになり二度手間となった。
「詩乃ちゃん、あなた今日用事あるんでしょ。私がやるから先に帰りな。あと、超勤はちゃんとつけときなさいね。」
「すみません……お先に失礼します。」
やはり、そううまくはいくまい。先に書いたような状況の他、マニュアル通りで解決できる対応でも、技術チームでなく利用者には経理から説明しなければならない場面は多く、残業時間は増えていった。
極めつけに、二ヶ月後にそのトラブルは起こった。
その日の朝、Webから確認できるはずの管理画面が、ブラウザで表示されない。サービスが止まってる。
これはだめだ。
急ぎ、松田に声をかけに行った。
「松田さん、例の『クラウドシステム』ですが──。」
「便利でしょう? 現場からの声のフィードバック、社長へ提出予定なんで早めに……」
この期に及んで、まだそれか。周りの目があるので舌打ちはこらえたが、今は言うべきことがある。
「落ちましたよ。」
「は?」
すっとんきょうな声とは、こういうことを言うのだろう。
「例のシステムです。今朝からサービス停止しています。締め日が近いので、困ります。至急ご対応いただけますか。」
直後、技術チームの方で優先度を上げて復旧作業が行われることになったが、原因の特定に時間がかかり、サービス再開は未定だと数十分後に伝えられた。
月末のアクセス集中か、クラウド側メンテナンスによる障害か。急ピッチでプロジェクトを進めたためだろう、松田はシステム不具合時の追跡のための、ソフトウェアによる監視も行っていなかった。
顔面蒼白で状況報告にきた松田に、私は淡々と、彼が欲しかったであろうフィードバックを返してやることにした。
「システム自体は、慣れれば悪くないと思いました。いただいたマニュアルも、作業手順については明確で分かりやすかったです。少し読み込めば翌日から作業開始可能でした。
しかし、利用社員への案内が不足しすぎていました。導入時の説明会すらなく、操作マニュアルが社内に共有されたのも開始前日の夜。現場は混乱しています。『困るから元に戻せ』『無駄に時間をかけさせるな』という意見が大量にありましたので、後日資料をまとめてお送りします。
あとは、マニュアルへの『システムトラブル時の影響範囲』の記載が不明瞭でしたので、今朝大幅に追記しています。システム依存が強すぎて、代替手段がない。これでは『非効率化』そのものです。」
悔しそうな顔でうつむく松田。残業のストレスが少しひいていく。
「また、経理の業務ですが、ローカルネットワーク上のセキュリティ区画に重要データは一部保存してあるものの、できる作業には限りがあります。
新システムの出力形式が独自仕様のため、旧環境ではファイルが開けず、データの再入力すらできません。環境に互換性がなく、トラブル時にどうするかについて懸念点を示しましたが『問題ない』と言われていましたよね。
締切は三日後です。
従来のシステムなら、本日作業が完了見込みでした。もし少しでも遅れが生じた場合、取引先への支払い遅延の了承取りと、遅滞理由書の作成で半日は業務が止まります。こちら、技術チームからなんらかの応援を要請したいのですが、可能ですか?」
「しかし、それは経理の業務であってですね……。」
──ピッ。
『いいですよ。僕が責任をもちましょう』
私の隣のデスクを振り返ると、詩乃ちゃんが、会議のときのICレコーダーの音声を手元に置いて再生させていた。松田の張りのあるその声を聞いて、普段寡黙なパートさんが「ふふっ」と笑う声がきこえた。
詩乃ちゃん、ちょっとやりすぎじゃないか。
「応援要請については、部長に決裁も得ており、すでに許可済みです。現在こちらではこれ以上できることがありませんので、あとは、よろしくお願いいたします。」
すごすごと戻っていく松田の後ろ姿を見て、詩乃ちゃんが言った。
「麗さーん。締め日ちょっとくらいすぎても本当はなんとかなるじゃないですか? いじわるですよ~。」
「あなたもね。音声、すぐ流せるようにセットしておいたでしょう。」
笑い声が、久しぶりに事務部に響いた。
* * *
後日、松田亮太が社長と部長に厳しく叱責されたという噂を聞いた。経理側から伝えていた懸念事項を、社長へ報告していなかったらしい。
「責任をもつ」といった以上、社長は直々に、問題を起こしたことによる穴埋め作業の指揮を松田に命じた。
──責任とは、何かが落ちたときに自分で拾うことだ。
ずっとそう思って生きてきた。だから今回、私は、拾わないでおいた。
月締めのばたばたが落ち着いて、ようやく少し気持ちに余裕ができた。今日は、定時で帰ろう。
エントランスのガラス越しに見える夕陽が、床に長い影を落としていた。その影は誰のものでもなく、誰かが拾うのを待っているわけでもない。
私は立ち止まり、深呼吸をひとつしてから歩き出した。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。