漂うくらげ【創作】
夜の一時を回ると、「おすすめ」は急にうるさくなる。暗い海の中で、光が灯っていくようにひとつずつ、しかし加速度的に明るく広がっていく。
今読むべき記事。伸びている新人。話題のコミュニティ。コメント欄での活発な交流。
白い画面に並ぶ言葉は、どれも目立った。何も聞こえないはずなのに、後ろでは承認欲求に溺れたダイバーたちが、ダンスミュージックにあわせて踊っているかのようだった。
その中で、検索欄を開く。
「新着」。それだけ押す。
フォロワー数も。ランキングも確認しない。プロフィールも、自己紹介記事も、最初には読まない。作品の中の人の情報に触れると、そこに引っ張られて記事の中にノイズが乗るような気がしていた。
映画だって、できれば予告編を見ないで本編だけを楽しみたい方だ。
スクロールしていく。
「最初の記事を公開しました!」
「フォロワー千人目指します!」
「創作仲間募集中!」
何も思わず、ただ閉じていく。そのさらに下まで、潜る。高評価がゼロのまま止まっている記事がある。
タイトルは『春の終わりのスーパー』。
誰も見つけていない記事かもしれない。それをクリックした。
仕事帰り、値引きシールの貼られた鯖を買ったこと。レジの店員の爪が少し欠けていたこと。ひとり帰った部屋の中で、冷蔵庫のモーター音が鳴っていたこと。その音はどこか、昔住んでいた団地の匂いを感じさせたこと。
それだけが書いてあった。
上手いというのも、違う。自分に刺さるというのも違った。でも、読んでいるあいだ、文章の向こうにちゃんとその人がいて、その人の生活があった。
小さく息を吐いて、高評価を押す。
誰かに見つけられるためではなく。ここに書かれていたことを、自分は読んだのだと残すために。
* * *
昔好きだった書き手がいた。
「海月」という名前だった。静かな文章を書く人だった。
花火大会の帰り道とか、終電後のコンビニとか。誰にも見せないまま溶けていく時間や出来事をモチーフにして、物語に溶かすのが上手かった。
読みにくいと感じるくらい、静かで、整いきらない文章。でも、感情が増えると、ひとつの文章がほんの少しだけ長くなる。
そこが、好きだった。けれど半年ほど前から、海月は変わった。
大きな交流企画を立ち上げた。
「素敵なクリエイターさんと繋がりたいです!」
そんな言葉が増えた。
創作物だけを出していたはずのそのアカウントは、毎日誰かの記事を紹介し、コメント欄に頻繁に現れるようになった。「いつもありがとうございます」という言葉とともに、のっぺらぼうな笑顔が画面の向こうから見えるようだった。
物語やエッセイは、あまり出さなくなった。コミュニティ主催が増え、昔の記事だけ、静かなまま底の方で置き去りになっている。
文章も少し変わった。
落ち着いた文章は、少し急ぐように流れていく。そこに漂っていた記事は、泳ぐ記事へ変わった。
たぶん海月は、間違ったことをしていない。
埋もれないために。ちゃんと読まれるために。周りを巻き込んで、同じような境遇の人たちを救うために。みんなで、ここで続けていくために。
必要だったのだと思う。実際、フォロワーも増えていた。
コメント欄はいつも賑わっていたし、「出会えてよかったです」という言葉が並んでいた。
それでも、新しい記事は最後まで読めなくなっていた。文章の奥に、誰かの視線が増えた気がした。
「こう書けば届く」。
「こう振る舞えば嫌われない」。
そんな透明な調整が、アカウントのアイコンを通り抜けて行間に薄く浮く。プラットフォームが明るく、騒がしいこの時間でも、その身体が光を返せるように。
もちろん、それは沈まないための技術なのだろう。きっと、誰かを大切に思う優しさでもある。
すべては「埋もれさせないため」の行動。しかしそれは、「良いものを埋もれさせる」と誰かが非難していた「おすすめ欄」の流れによく似ていた。
あの人は、こう言っていた。
「読まれなくても、誰かひとりに残ればいいんです」。
もっと暗い場所で書いていたはずだった。誰にも見つからないまま、ひとりで息をしているような文章を書いていたはずだった。
* * *
最初はそう。
理念があって、それが正しさで。
マウスを動かす手が少しゆっくりになる。投網に絡まるくらげの姿が、ふと浮かんだ。
通知欄が止まることへの不安も、きっとあるのだろう。しっかりとした軸があれば、その網の外でもきっと、掬い取れるのに。暗いところから、光るものを。
閲覧数が一桁のままでも、どのコミュニティに属していなくても。季節の匂いや、職場で聞こえた会話や、誰にも整えられていない感情がそこにはあった。それを自分は……少なくとも自分だけは、知っていたのに。
有志によって積み上げられた数値よりも、その方が自分にはずっと健全に思えた。
夜の、明るい画面を閉じる。
おすすめ欄には、「交流の輪を広げよう」という記事がまた流れていた。
開かない。
代わりに、検索欄へ「新着」と打ち込む。まだ誰にも見つかっていない言葉を探すように。タイトルの地味な記事で、カーソルがまた止まった。
今日も、海の中にいる。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。