落ち葉の幻影、刹那【虹色創作部 / 落ち葉】
庭には毎年、ハナミズキの赤い葉が舞い落ちる。幼い頃からその木の赤を見るたび、季節が巡ってきたことを感じていた。
今年の秋は、例年よりずっと胸に沁みた。季節が移ろうだけでこんなに寂しくなるわけがない。それは、自分でも分かっていた。
夏の終わりに、私は長く続いた恋を手放した。
理由はひどく単純で、けれど、あまりに重かった。ふたりの未来の形が、どうしても重ならなかったのだ。
別れの日からは、ただこなすだけの毎日になっていた。仕事へ行っては帰って。ご飯を作っては食べて。そんな、彩りのない日々の繰り返し。
そんな折、ハナミズキを切る話が決まった。庭を守るため、前々から話は出ていた。仕方のないことだと分かってはいる。けれど、また私から何かがなくなるのか、と心の奥では悲鳴が上がっていた。
私は庭で、ゆっくりと降り積もる赤に囲まれながら、テーブルの縁にそっと手を添えていた。穴のあいたデザインのプラスチック椅子は、まるで胸にぽっかりと穴を抱えたままの私自身を映しているようだった。
父は、それを何も言わずに見ていた。
* * *
庭師が来る当日の朝、私は思わず声を上げた。
「お父さん、危ないけぇ、降りてって言ーよるじゃろ!」
父は高い脚立のいちばん上に立ち、伸びた枝に手をかけていた。歳を重ね、足腰も弱ってきているのを知っていたから、余計に怖かった。
「大丈夫、大丈夫じゃ。こんぐれぇ慣れとるけぇ。」
そう言って笑う顔には、若い頃と同じ強がりの癖が残っていた。
父とはよく言い合いの喧嘩をした。もちろん本気で憎みあっているわけではなかったが、些細なことで私は怒り、声を荒らげていた。
木の高さで父が揺らぐたびに、心臓が縮む思いがする。父もまた、自分の体が完全には言うことをきかないことを、わかっているはずなのに。お隣の家まで枝が伸びているのなんて、あとで、庭師さんに任せればいいのに。
──お父さんも、もうそねぇな年になったんじゃな……。
その実感が、また胸を締めつけた。
* * *
昼過ぎ、木が切られる音が止まる。庭はしんと静まり返っていた。落ちた葉っぱも、庭師によって夕刻までには手際よく袋詰めにされるだろう。
好きだった、あの、きれいな赤。落ちた葉っぱだけでも、少し残してもらえばよかっただろうか。
掃除が面倒だ、落ちてこなければいいのに。そんな風に思っていたこともあるけど。いざなくなる段になると、少し、息が苦しくなる。
「……終わってしもうたな。」
私がぽつりと言うと、父は「まあな」とだけ答えた。
もう、あの赤は見られない。そう思いながら、私はカーテンへ手をかけた。
そこにあるはずのないものを、惜しむように。
けれど──。
布を払った瞬間、世界が赤に染まった。
テーブルの上、椅子の上、地面まで。
赤、赤、赤。鮮烈な赤が、視界一面を埋め尽くしていた。
「……えっ。」
一瞬だった。
瞬きをすると、その赤はしぼんだように小さくなった。よく見れば、庭の椅子の座面の穴に、赤い葉の残った枝が、突き刺さっているだけ。
私が見たのは、脳の錯覚が生んだであろう刹那の幻だった。
振り返ると、父が気まずそうに頭をかいていた。
「庭師さんに頼んでな。全部は持って行かんようにしてもろうたんじゃ。お前、あの赤が好きじゃったろ。」
その声が少しだけ照れくさそうで、誇らしそうでもあった。
父の手は、ところどころ小さな傷がついていた。枝を運ぶときについたのだろう。
「危ねぇのに……。自分でせんでもよかったのに。」
窓の向こうに視線を戻してそう言うと、父は眉を上げた。
「お前、元気なかったじゃろ。これくらいしかしてやれんけどの。」
胸の奥に、熱いものが込み上げた。恋を失ったことも、季節の寂しさも、その気づかいの中に溶けていくようだった。
風が吹いて、そこに残された赤い葉がかすかに揺れた。本当なら、もう見られないはずだった最後の赤。
父の不器用な優しさが、それを一瞬だけ、この世界に留めてくれた。
──失うたもんがあるとき。助けんなるんは、人の小ぃさな温もりじゃったりするんじゃ……。
そんな椅子の枝の葉っぱも、もったのはほんの数日。最後の落ち葉は、私がほうきでまとめて片付けた。
けれど、木が消えた今も。ハナミズキのあの赤は、私の心の中でそっと色づく。
落ち葉の季節になるたび。そして、あのカーテンを開けるたび。
※以下の企画に参加させていただきました。
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