請求金額報告下書き大作戦【創作】
私、三角真澄は、無駄を嫌う人間だった。
──そのはず、だった。
「とにかく無駄なく効率よく」。それが私の唯一のマイルール。
報告書は簡潔に。メールは要点のみ。よく打つ用語は辞書登録で瞬時に変換。会議では必要以上に話さない。
周囲からは「冷静で、隙がない」と評されている。実際、その評価は的外れではなかった。
だからこそ──今回ばかりは下手を打った。
自分でも、そう思う。
あの名前は本来、誰にも知られるはずがなかった。
* * *
「……では、次にクラウドサービスの利用料についてですが。」
月に一度の定例の運用会議。寝ている上役もいるが、普段の業務で直接かかわりのない偉い人たちも一堂に会する、ぴりっとした刺激のある場だ。
私はいつも通り、資料に目を落としながら聞いていた。私から、引き継ぎを終えた後輩が口を開く。緊張しているのか、少し早口になっていた。
「現在は、三角さん作成の『請求金額報告下書き大作戦』のシートを使用してメール報告業務を行っています。」
あっ、ちょっと待って。今なんて言った? 大作戦?
──その瞬間、時間が止まった。
時間が止まり、私以外が灰色に染まった世界で思い返す。このシートを作成したときのことを。
* * *
脳裏には、あの日の自分が浮かんでいた。
私はかつて、Google Apps Scriptの機能を使って、システム上の請求金額の数値を、自動でメール下書きに起こせないかと考えた。
毎日の報告、それも同じような内容のメールを手作業で打つなんて、非効率そのものだからだ。
夜遅く、誰もいないオフィス。素人ながら試行錯誤し、ようやく動いたスクリプト。シートに転記した数値が、先月、先々月のものと比較した上でメール下書きに書き起こされる。送信元も、送信先も自動設定済みだ。
思わず小さく拳を握りこんで、勢いでつけた名前。
──請求金額報告下書き大作戦。
どうせマイドライブ内にあるし、組織管理されたアカウントとはいえ、こんなシートを見に来る人なんぞいないだろう。
ああ、このときの自分を、殴りたい。
引継ぎの効率化のためとはいえ、PCの扱いが苦手な後輩ちゃんに、「このシート使いな」って安易に共有するべきではなかった。
あるいは共有する前に、「請求金額自動メール作成」とか、シート名を無難なものに変えておくべきだった。
頭を抱えたが、灰色の世界が徐々に戻っていき、無情にも時は流れ始めた。そう、最悪のかたちで……。
* * *
「……はい?」
誰かが小さく聞き返した。いや、違う。聞き返したのは空気だった。会議の残り時間を重視するなら、そのまま聞き流すべきなのに。
後輩はゆっくり顔を上げる。彼女は、何の疑いもなく続けていた。
「GASで自動生成しておりまして、ボタンひとつでメール下書きが──。」
違う、そこじゃない。
「……すみません、今のシート名って?」
上司が片手をあげて口を挟む。やめろ、と思った。声には出さないけれど。
「え? あ! 『請求金額報告下書き大作戦』です。」
はっきりと、言った。
その場にいた全員の脳内で、同じ文字列が展開される。「大作戦」という単語が、じわじわと意味を持ち始める。作戦会議みたいで格好いいじゃん、というざわつき方をするな。役員は起きるな。終わるまで寝てろ。
沈黙。
後輩は正面を見据えたまま、微動だにしない。いつも通りの姿勢。いつも通りの無表情。いや、口角上げ気味のアルカイックな微笑みは、いつもより二割増しにも見えていた。
資料の一点に視点を落としたままの、私の内側だけが暴れている。
──なんで言うのよ!
──正式名称でここで出さなくてもいいでしょ!
──略せ。せめて略せ!
部屋の温度は低めだったが、顔がやけに熱い。
「……ユニークな名前ですねえ。」
誰かが気を遣って言った。フォローとしては、ほぼ最悪に近い。見えなかったけれど「カッコ笑い」が後ろについているかのような言い回し。フォロー下手くそ! 0点!
「効率化のためのシートでして、わかりやすいように──。あっ、ちょっとやってみましょうか?」
やめてくれ後輩。私に恨みがあるのか。説明するな。掘るな。実演するな。
「……便利そうですね。」
こちらを向いて、上司が言う。その声に、ほんのわずかに笑いが混じっている気がした。私はうつむきがちに、ゆっくりと頷いた。
「はい……。効率は、いいです……。」
それだけ答える。
それ以上、何も言わない。言えば、たぶん全部崩れる。クールで、無駄がなくて、隙のない自分が。
* * *
私の名前は、三角真澄。私にはふたつのマイルールがある。
ひとつは、「とにかく無駄なく効率よく」。無駄を省いた効率化が、ベストパフォーマンスを提供する。
そしてもうひとつ。
「シート名は、他人に見せる前提でつけること」。
無駄を省いた私が学んだ、ちょっぴり無駄な、遠回りの教訓だった。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。