財布、たばこ、ケータイ【せりふ三題噺 / ジャスミン茶原理風来坊】
「財布、たばこ、ケータイ。」
忘れ物がないか確認するための、昔からの口癖。
私は、彼女が席を立つたびにそれを聞いてきた。
そしてその都度、私はよくこう言った。
「大事なものの順なら、せめて『財布、ケータイ、たばこ』にしなよ。」
そうすると、彼女はいたずらっぽく、へへっと笑うのだった。
結婚しない私とは違い、彼女はすでに娘をひとり育てあげ、今はひとりで暮らしている。
そして彼女の生活はいつも、たばことともにあった。
身体に悪いからやめれば、と言ってもきかない。まあ別に私も、怒ってはいないし、本気で心配していたわけでもなかった。
「他の趣味をぜんぶ捨てても、たばこはやめない。吸わないストレスのが身体に悪いよ。」
「値上がりするって話もあるし。一本百円とかになったらどーすんの。」
そう言うと、彼女は考え込んだ。答えなかったけど、たぶんこの人はやめない。なんとかして安価で取り寄せたり、栽培して自作する、とか言い出しかねない。昔からの付き合いだからわかる。
今日、待ち合わせている相手は、そんな人だった。
待ち合わせの時間は過ぎているが、特に連絡がこないのも平常運転だ。私も会うたび、遅刻していいと言われているようで気が楽だった。紅茶を注文すると、過去の記憶が胸に戻ってくる。
* * *
あれは、ふたりで関西へ旅行に行ったときのことだ。会って話すことはよくあっても、一緒に泊まりで出かけるというのは珍しかった。
「知り合いが、音楽のイベントやるんだってさ。行こうよ。」
彼女から連絡が入ったのは、イベント前日の夜だった。急すぎる。年齢のわりに、こういうところは昔から変わらない。
私は急遽体調不良ということで仕事を休み、彼女が時間をかけて運転してくれて、その現地に到着した。
内容は今やほとんど覚えていないが、狭い屋内で、内輪でやっている小ぢんまりしたイベントだったことは記憶にある。それよりも、建物を出るたび、食事のたびに、たばこを吸う場所を探すのを彼女に手伝わされたのをよく覚えている。
イベントの次の日。駅の前の喫煙所へ彼女が向かう間、また私はしばらく待たされることになった。
昨日のイベントも、彼女は楽しそうにしていたが……私はいまいちテンションが合わず、ついて来たことを少し後悔しはじめていた。
そんなとき。ふと、あるものを目にして、私は喫煙所へダッシュした。
「あ、いたいた。今、すぐそこで、すごいの見たよ!」
彼女を見つけて、興奮した装いで話しかける。
「どうしたの。今、吸い始めたとこなんだけど。」
「驚かないでよ。阪神の、城島選手。」
そっと彼女に耳打ちする。エッと変な声を出して、彼女はたばこをもみ消した。そして、一緒に走る。
「ほら見て! あそこ。」
私が指を差した先には、阪神のユニフォーム。背中にはたしかに「JOHJIMA」の文字。
しかし──それを着ているのは、背中の丸まった、ひょろひょろの爺さんだった。
一瞬ぽかんと口を開けて、静止する彼女。そして、はっとしたかと思うとこちらを向き、声を殺して笑い始めた。
「く、あ、あんたね。私が最近、阪神ファンだって知ってるでしょ。……めちゃくちゃ偽物じゃないの。ははは……。」
あくまで「最近」ファンなだけ、ってのが、彼女らしい。旅行の計画も、興味の持ち方も。風来坊、というほど大げさじゃないけれど。
ふたりでひとしきり笑ったあと、私はお詫びと、運転してくれたお礼も兼ねて、近くのショップで買ったアロマディフューザーをプレゼントした。
少しでも、たばこの匂いから離れるきっかけになるかもな、と思いつつ。洗練されていないデザインのアイテムだったけれど、彼女は喜んでくれていた。
「これ、どういう原理のものなの?」
「いい匂いの水を入れると、蒸気になるんだよ。」
私が言うと、「ジャスミン茶を入れる」とどうやら本気で言いだしたので、全力で止めた。
そんな記憶だった。
* * *
彼女は、十五分遅れてカフェにやってきた。
ごめんごめんと形式的な謝罪をもらい、挨拶もそこそこに、いつもの通り話をはじめる。私はふと思い出して、例のアロマディフューザーのことを聞いてみた。
しかしどうやらそれは、数年前に彼女が引っ越したときに置いていったらしい。
別にショックでもなかったが、あげてからわりとすぐに手放したな、とは思った。彼女の分の紅茶が、遅れて私たちのテーブルに到着する。
「せっかくあげたのに。選ぶの、迷ったんだよ。五分くらい。」
「事情があってね。持っていけなかったんだよね。」
「事情って、どんな。ペットじゃないんだから。」
「それがねえ。」
彼女はカップを置き、神妙な面持ちで言った。
「うちに昔から、煙が好きな妖怪がいてさ。」
ほお? と私は言った。いきなりなんだ。
「『けむら』っていうんだけど。そいつ、私がたばこを吸うと煙のところに顔が出てくんのね。いつも。」
「…………それで?」
「それで、アロマのやつを使うと、そっちが気に入って、その蒸気に顔を出すようになったもんだから。……気持ち悪くってね。」
真剣な顔で言うものだから、あれ、有名な妖怪だっけそれ、今まで見たことないけどなあ、などと考えてしまう私。
「だから置いてきたんだ。」
ひと息おいて、紅茶をすする彼女。
「で、『けむら』は引っ越したあとどうなったの。」
「連れてきて、今もうちにいるけど。見に来る?」
私のプレゼントは置いていって、妖怪は連れていったのか……と脱力しつつ。でも、彼女ならそりゃそうかと納得もした。
「じゃあ今度、家行くからね。」
私がそう言うと、彼女はまたへへっと笑った。
二時間くらい話したところで、「またなんかあったら会おう」と言って、次に会う約束も決めず、お開きにする。
彼女はきっとこれからも、いつもたばことともにあり続ける。そして私も、少し離れたところから、それを見届けているんだろうなと思う。
帰り際、彼女はいつものように立ち上がって、言った。
「財布、たばこ、ケータイ。」
※以下の企画に参加させていただきました。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。