少しだけ遠回り【創作】
食券制のうどん屋で、私は、少し前に食事を終えていた。もうそろそろ席を立とうかというところで、その客は入店した。
若干襟がよれていたが、スーツを決めた、ビジネスマン風の男。スリムなブリーフケースを片手に、食券を買っていた。
彼が、ちょうど私からよく見える席に座った。
そんなにも混んでいない昼下がりの時間帯だ。彼が食券を買ってさほども待たず、彼の食券の番号のアナウンスがあった。
彼が頼んだのは、ミニうどん一杯だった。
朝から働いていて、あれでは足りないのではないか。しかし、他でもう軽く食べたあとなのかもしれない。
私は、立ち上がりかけてバッグに手をかけたまま、動きを止めた。彼はごそごそと、何かを取り出そうとしている。
うどん屋では普通、書類やパソコンを出して仕事したりはしないだろう。……ああ、思っていた通り、違うらしい。
彼が取り出したのは、ジップロックに封された、鶏肉らしきものとブロッコリーの和え物だった。
それは、私の中ではパソコンよりも、うどん屋で普通出さないものだった。
こうして私はもう一度席につき、セルフのお茶をおかわりすることに決めた。
* * *
笑顔の店員さんがちらっと彼の方を見た。通りすがりに見ただけだ。注意はしない。笑顔を崩すこともない。
でも、確かに見た。
ジップロックの中身を箸でつつきながら、たまに思い出したように、ミニうどんをすする彼の姿を。
鶏もブロッコリーも汁っ気がありそうな見た目をしていた。私は、かばんの中身は大丈夫だったのだろうかとか、それとうどんはどっちがメインの食事なんだろうとか。他に何かとんでもないものを、彼は隠し持っているんじゃないかとか。私は、余計なことしか考えられなかった。
変わっている。
変わっている……よな?
店員さんの知り合いだとか、この店の常連さんなのだとしたらわかる。
……いや、関係者でも店内に持ち込んで食事をとったりはしないか。
身体を壊したことがあって、食事を制限しているのかもしれない。
……ううむ、それなら持ち帰って食べることもできる。
そうだ。身体を鍛えていて、たんぱく質を摂取することに心血を注いでいるとしたら……。
……だが、さっきの立ち姿から、身体を鍛えているようにも見えなかった。
私は冷めたのお茶の湯呑みを置いて、窓の外を眺めた。
天気はいい。ただ、座る場所だけを欲していたのならベンチのある公園が近くにあるし、花粉を気にして外を避けたならマスクをしていなかったのはおかしい。
もうほとんど手詰まりだった。降参しても、答えを教えてもらうことができないのが悔しい。
ミニうどんの彼は、食べ終えて水を注いでいた。それも、店のコップを使わず、自前の水筒で量を測るようにして注ぎ、飲んでいた。
これ以上情報を増やされても、理解できる気がしない。やめてほしい。
* * *
結局、私は、彼が退店したあとで店を出た。
彼は持ち込んだものを再びかばんにしまい、何事もなかったかのように去っていった。
外では、私の心境とは関係のないところで、春の風が漂っている。
私は、つい数時間前に行っていた病院で、かかりつけの先生に言われた言葉を思い出していた。
──もう少し、塩分を意識してね。
精密検査の用紙には、先生の名が署名されていた。「要観察、ただし大きな懸念なし」という、筋が通っているのか通っていないのか、曖昧な言葉。
返却口に戻す直前の、自分のトレイに残されたうどんのつゆを思い出す。
たまにしか来られないうどん屋だからと頼んだ、にぎわいセット。椀に残されたつゆには、油が浮かんでいた。
──だとしても。
あそこまでやるつもりはない。
私は今日、すぐそばの在来線に乗って帰るつもりだった。
けれど少し迷って、地下鉄の駅まで歩くことにした。なんとなく、そうしたかった。
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