世界一大きな舞台【創作】
駅から伸びる大通りの果て、光を集める巨大なガラスの塔。
遠くからでも眩しくて、僕は目を細めた。塔の表面を滑る陽光が、誰かの夢を反射しているかのようだった。
入口には「すべての人が主役になれる場所」と刻まれた金属の銘板。冷たさの奥に、帯びた熱を感じる。
「世界一大きな舞台」なんて、はじめは信じていなかった。しかし、巨大な門を目の当たりにすると、聞いた噂もどこか真実味を帯びてくる。
──ここで、顔と名前を売れば、自分でも主役になれるのだろうか。
門を抜け、入口の扉を押した。開けるときのごとごとと石をひきずるような低い音が、僕の身体の奥底にまで響いてきた。
吹き抜けのホールは白く、音を立ててはいけないような空気。その奥に広がるのは、無数のステージだった。
ステージは、空中に浮かぶように配置されていて、ひとつひとつが独立した島みたいだった。数は百、いや千を超えるかもしれない。
ステージには、きらびやかな照明。鮮やかな装飾。天井から吊るされたリフレクターが、虹のような反射を生み出している。数多の光が、ステージ同士を繋ぐように包み込んでいた。
誰かが光を浴びるたび、チャリン、と電子音が響く。照明が切り替わるたび、代わりに誰かの影がほんの少し暗くなる。
頭上に並んだその完璧なステージの上で、人が立ち、マイクを握り、スクリーンに何かを映してパフォーマンスをしている。空気までもが、きらめいていると錯覚した。
上空のステージはこの位置からでも、十分に眺められる。
──だけど、観客席がない。
周りを見渡すが、人が妙に少ない。薄暗い中で目をこらし、その場にいた人をようやくつかまえて、問いを投げかけた。
「あの。観客席は、どこですか。」
声をかけてからはっとする。声をかけたお相手は、白いワンピースを身に着けた、可愛らしい女性。暗い中でもよく映える、舞台衣装のようないで立ちをしていた。
彼女も観客でなく、これからステージに立つ演者なのだろうか。
彼女は、きょとんとした顔をした後、クスっと笑って言った。
「観客席──って、ここが、そうですよ。」
この広い……驚くほど広い、だだっ広い空間が、観客席?
そういわれると、ステージをただ、見上げて眺めるだけの者が、ちらほらいる。
けれど、数千にも及ぶ上空のステージと比べると、客数はほんのわずかだ。
ステージは、立派すぎた。あまりに美しく整いすぎていて、そこに人間の呼吸の余地がないほど。
対して、薄暗い空間には座席も、テーブルもない。ゲストをもてなすような空間とはとても思えない。なんだか空虚で、ちっぽけで、粗末な扱いの場所だった。まるで「どうぞご自由に」と冷たい口調で聞こえてくるようだ。
「しかし、客がいないのに、誰がこんなにも多くのステージを見ているんです?」
「いっぱいいますよ。」
ふうと息を吐き、眉をひそめてステージを見上げる女性。その声はガラスの響きのように、繊細で、悲しい色を含んでいた。
「あの、すべてのステージの『主役たち』は、全員がお互いのステージを、支援しあっているんです。つまり、主役であり観客でもある。」
「主役同士で……?」
「ええ。表向きは、観客席の方をみんな向いているでしょう。でも、あちらからはこちらは見えないんです。」
ステージの影が一斉に動き出した。
演者たちはマイクを使い、存在しない客の幻に向かって語りはじめる。
「見てください、これが私の物語です。」
「私はまだ、主役にはなれないけれど……。」
「声を重ねれば、きっと光が集まる。」
「伝え方を変えれば、きっと届きます!」
「背中を押したいんです。」
ひとつひとつの声が違う方向を向いている。声の質や高さもそれぞれなのに、響きは不思議と似ていた。
どの声も、自分を呼ぶ声のようで、どの声も、誰にも届かない。観客は反応せず、拍手も歓声もなかった。ただ、ステージ上で、光の洪水だけがその存在を主張していた。
スポットライトが交錯し、それぞれのステージに光の渦ができる。様々な美しい旋律が、広大なホールに反響し僕の鼓膜をふるわせる。
しかし、入ってくる情報が多すぎて、いつしか巨大な低音のノイズに変わっていった。
ステージ上で重なる波がひくと、さらに言葉のうねりが追いかけてきた。
褒めあう声、共感の声、希望の声。そして、だんっ、となにかが落ちる音が聞こえた。
* * *
僕は、彼女とともに、世界一の舞台を持つ劇場を後にしていた。先ほどまでの眩しさに慣れた目が、曇り空を前に物足りなさを訴えている。けれど、流れている風の音はやさしかった。
「やめたんです。」
隣で、彼女がぽつりと言った。彼女のワンピースが風に揺れた。
「──私も元々は、あの巨大なステージのひとつに立っていました。」
彼女の声は静かで、少し掠れていた。
「最初は楽しかったんです。光を浴びて、仲間からは拍手をもらって。お互いを褒めあって、『あなたのショー、素敵です』なんて言いながら。……けど、みんな見てるのは相手じゃなくて、自分の光の当たり方なんです。」
彼女は笑った。
けれど、その笑いには色がなかった。
「だんだん、誰かを応援するたびに苦しくなりました。私が拍手すると、拍手が返ってくる。でも、あれは拍手じゃなくて、こだまだったんですよね。」
劇場の門の前で立ち止まり、彼女は小さく息をついた。門の金属が、遠くの太陽を鈍く跳ね返している。
「手が痛くなるくらい拍手しました。心にもない言葉を、たくさん使いました。そうしているうちに──『光をあててもらうための努力』をしてるうちに、自分が何を見せたかったのか、だんだん曖昧になっていったんです。」
僕は何も言えなかった。劇場の内部から、まだ音が漏れていた。褒める声と、照明の軋む音と、誰かの笑い声。それらが風に混ざって、金属がこすれるような響きを生んでいた。
しばらく沈黙が流れたあと、彼女が口を開いた。
「気づいたんです。私がほしかったのは、見られる場所じゃなくて、──誰かが『見たい』と思えるものをつくれる場所だったって。」
彼女の横顔を見た。その瞳の中には、劇場の光のかけらがまだ少し映っていた。けれど、それはさっきまでの目の眩むようなまぶしさではなく、遠い夜明けの光のように、控えめでやさしい色をしていた。
「無理やり『見せる』方法を学ぶより、誰かがふと見たいと思うものを、静かにつくっていたい。」
そう言って、彼女はすっと指をさした。
遠くの街の角に、小さな建物が見えた。
目を凝らさなければ気づかないほどの、小さな劇場だった。
「今は、あそこで立っています。──観客はほとんどいません。でも、風が通るんです。ちゃんと、呼吸ができる。」
彼女はそう言って微笑んだ。その笑みは、静かながら、確かな光だった。
僕たちは、そこで別れた。彼女は小さな劇場の方へ歩いていく。
僕は、背後に残る巨大な塔を振り返った。あの中では今も、光が踊っている。誰もいない観客席に向かって、有限の光を奪い合い、それぞれの声が響き続けているのだろう。
僕は思った。
──光を浴びること。誰かに見られ続けるためとはいえ、それ自体が目的になってしまっては意味がない……。
遠くの空で雲が切れて、夕暮れの一筋が落ちる。風が吹いて、ガラスの表面から跳ねた光が、僕の頬をなぞった。それは冷たく、どこかさみしい感触だった。
そして、僕は歩き出した。見られるためでなく、誰かの目にふと映るような、そんな場所を静かに探すように。
ポケットの中のスマホには、通知が一件。
「あなたの投稿に新しい評価が届いています」と表示されていた。
僕は開かずに、そっと画面を閉じた。
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