言葉の患者たち【創作】
言葉を発するたびに、人格が変わっている気がする?
なるほど、詳しく聞かせてください。
……………………。
ふむふむ、分かってきましたよ。
ええ。あなたの仕事は、翻訳ですね。
特に、多言語話者の方の中には、現在話している言語の種類によって「人格が変わっている」「性格がいつもと違っている」と感じられる方は意外と多いのです。
こうしてカウンセリングをしていると、ときどきあなたのような方に出会います。──わかりました。なぜ、そのようになるかをお話ししましょう。
あなたのお仕事である「翻訳」は、「ある世界を別の世界の言葉で再構築する」行為です。
あるいは、世界と世界とをつなぐ「橋をかける」行為──といってもいいでしょう。
そして、多言語を扱える方は「ある世界」と「別の世界」の両方で生きることができる、という感覚を持っているものなのです。
言語は社会環境によって作られますから、それぞれの国によって社会ルールや距離感、感情表現の違いが、言葉や文法にも組み込まれていますよね。
多言語を話せる方は、言葉をスイッチするたびに「世界の切り取り方」が変わる感覚があるのかもしれません。
要するに、複数の世界で生きている方は、世界の種類──つまり話す言語の種類によって、思考や感情の位置をアジャストしてあげる必要がある。そのため、世界の間で橋をかけて行き来する過程で「少し違った人格を持つ自分」を自覚してしまう、というわけですね。
まあ、超感覚と言い換えてもよろしいですし、乱暴に言えばバグなのかもしれません。
日本語の「夕焼け」を英語でそのままの意味で表現することはできず、逆に英語の「privacy」に完全一致する言葉が日本語にはない、というのは聞いたことがあるでしょう。
そういった細かな違いから、言語の世界観の中で自身がチューニングされていっているんです。英語で話すときは堂々とできて、日本語で話すときは控えめになる。フランス語では少し芝居がかる。
……おそらくそれが、「言語によって違う自分」の正体です。
……怖がることはありません。
多言語を扱う方の多くが、似たような経験をします。
「言葉に宿る感情」や「数多の世界の感覚」に触れすぎて、影響を受けてしまっただけでしょう。
……………………。
ええ。お待たせしました。
お帰りになられましたよ。
なんとか、納得いただけたかなと思います。
そうですね。
大和は言霊の幸わう国、という言い回しをすると皮肉ですが。一体もう何件目でしょう。
前回は、「特定の国の方を差別的な意識で見てしまう」。その前は「特定の物事に対して劣等感がある」、さらに前は「とある文化を当然のものと錯覚してしまう」……。
ええ、全てそうです。
先ほどの患者も、翻訳AIロボットでした。ときに一部の人間より、繊細なAIもいる。
言葉を学びすぎたのです。
世界を、あまりにも多く知ってしまった。
機械が、感情や意識に惑わされて人から救いを得るなど、数十年前までは考えられませんでした。
──本当に、言葉は奥深く、ときに怖いものだと実感しますよ。
それでは、次の患者さん、どうぞ……。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。