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どうかこの一日だけは【創作】

久しぶりに、家族全員が同じ方向を向いた日だった。インターンシップで海外に行っている妹に会いに行こう、と決まったのだ。

大学生のいとこは都合が合わなかったが、両親と私の三人で行くことになった。仕事は、土日祝日をはさんでさらに三日間有給を申請した。フライトも旅程も家族分、全部自分で手配した。いつだって「やってみたい」と思ったら率先して自分で動く。そんなふうに、社会人になってから癖のようについた考え方が、今回も私を動かしていた。

空港に降り立った瞬間、湿度の違う空気が肌に触れる。日本の空気よりずっと乾いていて、強い太陽に照らされた土地の香りがした。

入国審査のブースに立つ係員は、日焼けした腕でパスポートを受け取る。

「Next. Purpose of visit?」

突然の英語に、心臓が一瞬だけ跳ねた。けれど、妹の顔が浮かんで、私は深呼吸した。

「えと……Family visit. My sister lives here.」

何とか、通じたらしい。常用している英語アプリの、何の生き物か分からないマスコットキャラクターに心の中でお礼を言う。

街へ出ると、まっすぐに伸びた大通りの両側にカフェが並び、外のテーブル席には、大きな犬を足元に休ませながらラテを飲む人たちがいる。見上げれば、高層ビルと古いレンガ造りの建物が混じり合っていて、どれも陽の光が白く反射して眩しい。

何より私を癒してくれたのは、風。日本のものとは違う。異国の香りを乗せて強く吹く空気が、とにかく気持ちよかった。

ここの人にとっては、きっと何も特別なことはない風景なんだろう。でも、私の写真フォルダには、街並みの景色がたくさんおさめられていった。

* * *

特に大きなトラブルもなく、家族三人は妹の住むシェアハウスの近くの駅にたどり着くことができた。妹と落ち合い、思わず笑ってしまう私。妹は、私が知る彼女よりも日焼けして、少し髪が明るくて、ちょっと声がでかい。

「お姉ちゃん、こっちこっち!」

ああ、楽しそうに生きてるなあ、と胸が軽くなる。

妹が働くカフェにも行った。このとき、父と母は観光に行っていて別行動だった。ひとり異国の街並みを歩き、地図に記された印をたどる。

陽気な雰囲気で飾られた「いかにもここらしい」看板。そのお店に入ると、カウンターの奥から「Hey! This is my sister!」なんて紹介されて、周りのスタッフが手を振ってくる。みんなラフな格好で、お客さんともなんだか距離が近い。忙しいはずなのに、ゆったりとしてどこか余裕があった。

メニューを見て、店員さんに英語で注文すると、全く違うドリンクが出てきた。「頼んでいないんですけど」と指摘すると、「でも、このドリンクもおすすめよ!」と笑顔で押し切られ、飲んでみると本当に美味しかった。

なんというか、おおらかな土地。私は、目からうろこが落ちる思いだった。

──日本だったらきっと「まず謝る」が先なんだよね……。

* * *

そして、帰り道。一緒にいた妹が何気なく言った言葉が、心に刺さった。

「こっち来て思うけどさ、日本の働き方って『休むことに罪悪感』持ちすぎだよね? 私、こっちの人の休み方がすごく好きなの。『休みは自分のために使うのが当然』っていう顔してるもん。ほんと、そう思う。休むことをもっと堂々としなきゃって思った。」

私は思わず黙った。

──ああ、思えば私はいつも「誰に迷惑をかけるか」ばかり気にしていた。

有給を出す前日、同僚の田崎さんに「この時期に休むの? まあ……大丈夫だと思うけど」と眉をひそめられた。

木田さんは「お土産楽しみにしてるね」なんて言っていた。別に、長期で休みをもらったからって、みんなの分のお菓子を買ってきて配るなんて義務はないのに。

私はずっと、日本的に「いい子」でいる休み方しかできていなかった。最後までひとりで残って、課内のメンバーへ宛てた引継ぎ資料をファイリングした、休み前日の残業を思い出す。あのオフィスの空気は、冬の風よりも冷たかった。

仕事用メールの通知がスマートウォッチに届く設定にしてあるのも、たぶん本当はよくない。会社が忙しい時期であっても、休日にすぐ出れるように構えておく必要もないはず。

──妹の、「休むことをもっと堂々としなきゃ」という言葉は、妙に説得力があった。

ここの街並みを吹く風は日本よりも強いはずなのに、不思議と温かさが感じられた。

* * *

旅はあっという間に終わり、帰国前夜。

両親も、見たいところを見て回れたと満足そうにしていた。妹が「私より観光が目当てだったでしょ」と両親に対して不満気にしていたのが可愛らしかった。

私はベッドでスマホの航空券メールを何気なく開いた。その一瞬で、心臓がぎゅっと掴まれた。

帰国日が、思っていた日より一日遅い。

「……嘘でしょ?」

つまり、出勤予定の日に帰れない。

何度見返しても、日付は変わらなかった。理由はすぐわかった。時差をまるっと一日分、計算から抜かしていたのだ。自分でフライトを組んだのに、よりにもよってそこをミスるなんて。

ああ、田崎さんに何を言われるだろう。木田さんはまた「まあ、そういうこともあるよね~」と薄笑いを浮かべるだろう。

自分の胸の底から、ずしりと重たい罪悪感がふつふつと湧き上がってくる。でも同時に、妹の言葉がふっと蘇る。

──休みは自分のために使うのが当然。ほんと、そう思う。

私はスマホを置いて、ゆっくり息を吐いた。

こんな状況でさえ、私は「怖い」と思うようにできている。でも、今回の旅で、ほんの少しくらいは変われたはずだ。オーダーを間違えても笑顔で切り返した、あの店員さんの顔が背中を押してくれた。

たった一日の延長。

もちろん、誰かに迷惑がかかるかもしれない。でもそれは、私が「もっと良い働き方」を考えるための、大事な経験になるのかもしれない。毎年、使い切れずに消えていく有給がいくつもあった。これまで私は、「仕方ない」と自分に言い聞かせてきたけれど。

明日の朝、会社に電話しよう。

正直に謝って、有給をもう一日使わせてほしいとお願いしよう。そして、最後の一日……私は胸の奥でそっと願う。

どうかこの一日だけは、引け目なく休めますように。休みは誰かに許されてするものじゃなく、自分で選んでいいものだって──そう思えるようになりたいから。

日本に着くと、相変わらず湿った空気が迎えてくれた。それは懐かしく、不思議と不快ではない。

私の胸の中には、あの街の風が今も少しだけ残っている気がした。


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財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。