流れの中で【創作】
昔から世の中には、本物の「魔力」のようなものを持った人間はいる。心のどこかで、そう思っていた。
けれど、世にいるほとんどが偽物だということも、理解していた。目の利かない弱い人間を、騙して搾り取ろうとする悪意の権化のような者は数多くいる。
はじめに手を出したのは、本当に単なる興味本位だったと思う。三千円のオニキス。オレンジ色に輝く、小石程度の大きさの石。
大型モールのポップアップストアで。お菓子やハンドメイドの店が並ぶ中、異彩を放っていたといえばいいのだろうか。とにかく、私の目をひいた。
そのころくらいから、ちょうど学生時代から好きだった怖い話やオカルト話への情熱が再来しており、毎夜読み漁っていたことも関係しているだろう。現実の少しだけ向こうの世界へ手を伸ばすような、怖いものみたさの部分があった。
買った後。その石を手にして撫でていると、日々抱えていた不安が少し、軽くなった。その質感が、真実、私を変えたのだ。
* * *
次は一万円の占いだった。
そのころも、人生順風満帆とはいっていなかった。もとより、そんなにうまくいく時期の方が少ないのが、人生というものなのかもしれないが。悩んでいたのは旦那との関係と、子どものこと。そして、義両親や義姉との交流のことだった。
その占い師は、ローブのようなものこそ被っていなかったけど、紫を基調とした衣装を全身にまとった、いかにも「らしい」風貌をした妙齢の女性だった。このときふと、日ごろ読んでいたオカルト話のことが頭をよぎったのを覚えている。
人間関係で悩みがあることを言い当てるだけなら、まだ疑ったと思う。けれど彼女は、私が身に着けていた例のストーンのことを言い当てた。
この人は、本物だ。そう確信するのに、時間はかからなかった。その後も、種々のやりとりがあったように思うが、よくは覚えていない。
帰り道、世界の見え方が少し変わっていた。ばらばらだった出来事が、ひとつの流れの中にあるような気がした。
「意味」がある。全部。
* * *
「今、流れが来ています。」
このときも、占い師は静かに、しかし確かにそう言った。
個人的に連絡を取り合うようになってから、彼女の言葉は、少しずつ増えていき、私の中でその輪郭は大きくなっていった。
「迷ったときは、理屈ではなく直感で選びなさい。」
彼女の声は、目を見て話したとき、私の奥の方まで響く。そんな感覚があった。けれど、不思議と居心地は悪くない。
「タイミングを逃すと、代償が大きくなることがあります。」
どれも、どこかで聞いたような言葉。なのに、私に向けられると違って聞こえた。
気がつけば、迷ったとき最初に開くのは家計簿でも連絡先でもなく、彼女とのトーク画面になっていた。
ちょうどそのころ、息子の習い事の話が出ていた。少し思い切りが必要な程度には、まとまったお金が必要だった。そして、お金は、準備できた。
それには、義両親が気を遣って工面してくれた分も含まれていた。このとき、私と義両親との関係は以前よりは安定していた。
ありがたいと思った。同時に、重いとも感じた。
期待。公平。比較。
見えないものが、そこに乗っている。浮かんだのは、旦那の姉夫婦の顔だ。「羨ましい」。「なぜ私たちは」。そんな、過去に幾度となく覚えた黒い気持ちは、簡単にはよそへは追いやれない。
私は、七つになったばかりの息子を後部座席に乗せ、もやもやを抱えたまま、ハンドルを握った。この現金を、習い事のために振り込む。息子が、少しでも幸せになれるのなら……それもまた、私の幸せだった。
占い師からメッセージが来たのは、そのタイミングだった。
「特別な石が入りました。私が見てきた中でも最上位のものです。」
そこには、写真が表示されていた。深い色の石だった。暗い穴の奥に置いても浮かび上がってきそうな、濃密な色。説明はほとんどなかったのに、なぜか以前から知っているもののような気がした。スマホを一度、ポケットにしまう。
首元の石を、無意識に片手で触っていた。このとき私が首からかけていたのは、オレンジではなくパープルのストーンだった。この石は三つ目だった。最初のオニキスより高く、ふたつ目よりもさらに高かったはずだが、値段はもう思い出せない。
「あなただから、特別です。今なら、七万円でお譲りできます。」
高いとは思った。でも、それ以上に「今なら」という言葉が引っかかった。
流れ。
タイミング。
逃したら。
お金なら、あった。首元の石は、もう触っていないのに。じんわりと温かい熱が左手に伝わっている気がした。脳裏に浮かぶ先の画像の石。それがあれば、私の黒いもやもやを、その濃密な色の奥に溶かして消してしまえるのだろうか。
信号待ちの時間に、考える。夫に話すか。でも、きっと理解されない。これまでの反応で分かっている。
『そんなの、意味あるの?』
そう言うに決まっている。以前、同じことで口論になったときも、彼はそう言った。結局その日は三日ほど、まともに会話をしなかった。
思わず、眉根が上がる感覚があった。自分だって、宝くじなんかを買うくせに。あれこそ、ただの運任せじゃないか。これは違う。意味がある。繋がっている。
私は、ハンドルを握りながら、まだ考えていた。ミラーで確認すると、息子は後部座席で、静かにしている。
どちらを選ぶべきか……。
そのとき、ふと占い師の声が思い出された。
──迷ったときは、直感で。
交差点が近づく。
曲がれば、銀行のある通り。まっすぐ行けば、占い師のいる方向。
身体が、先に動いた。
* * *
突然。衝撃は、音より先に来た。
横から何かに押された感覚。その強い衝撃で、視界が歪む。次の瞬間、遅れていた音が差すように鋭く耳を通り抜けた。
いくつかの感覚が錯綜し、重なり合う。
すべてが止まったとき、世界は妙に静かだった。何が起こったかではなく、ここが現実かどうかを考える作業が、まずは必要だった。
私を現実をつなぎ止めているのは、近くで鳴り続けるクラクションの音だけ。周りの人影や声は、嘘の世界でざらついて鳴っているようにしか聞こえなかった。
首が痛い。でも動く。大丈夫。私は大丈夫。
視線を横に向ける。向こうの車内では、タクシーの運転手がぐったりとしていて、動かない。
後ろを振り返る。
息子が、いつもと違う角度でシートにもたれていた。名前を呼ぶ。このとき、呼びかける声を出せたか、出せなかったかはわからない。
息子は目を閉じている。返事はない。一瞬、何かが引き裂かれそうになる。
──でも。
これは、ただの事故じゃない。そう思った。
タイミングが重なりすぎている。
迷い。選択。流れ。
これは、警告だ。あるいは、試されているのかもしれない。ここで「正しい行動」を取れるかどうか。
心臓の音が早くなる。頭の中で、言葉がぐるぐると回る。
──逃すと、代償が大きくなる。
今なら、まだ間に合う。原因ははっきりしている。石を手に入れていないからだ。だったら、やるべきことも決まっている。
ポケットからスマホを取り出す。占い師に電話をかける。
呼び出し音。出ない。
間を入れずにもう一度。出ない。
焦りが、別の確信に変わる。
そうだ。彼女は、以前こうも言っていた。山の上の神社。厄除けで有名な場所。全国約八百社の総本宮、全国から人が来るところ。
『強い流れを整えるには、あそこがいい。』
まずは、あそこだ。それから、石を手に入れればいい。順番が大事だ。選択は、間違えてはいけない。
後ろで、息子が動かない。心配に決まっている。でも今は、目に見えることに引きずられてはいけない。
根本を正さないと……意味がない。
誰かが外で叫んでいる。
「大丈夫ですか!?」
「救急車。今呼んで……!」
遠い。全部、遠い。
私はエンジンをかけ直した。ハンドルを握る手が震えている。でも、それは恐怖じゃない。急がなければいけない、という焦りだ。
ミラーに、人が集まってくるのが見える。誰かがこちらに走ってくる。間に合わなくなる。
アクセルを踏む。ゆっくりと、車が動き出す。そのとき、後ろでまた声がした気がした。でもそれは、今の私には関係のない音だった。
前だけを見据える。
山へ向かう道を選んで、私はペダルに乗せた足を強く踏み込んだ。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。