文字と景色が変わるころ~そしてまた、一年~【創作】
職場から少し離れたビルの一階、ガラス張りのカフェの窓側席。ここは出勤前や仕事帰りに、ふと立ち寄る避難場所だった。
私は幼い頃から、嫌なことがあるとよく部屋の隅や押し入れに入っては自分の世界に閉じこもっていた。しかし、大人になった今、物理的に「どこかに逃げ込む」ことを、世間は簡単には許してくれない。
弱さ。
甘え。
頑張り。
努力。
自己責任。
「周りが普通にできていること」は、やろうとしてもできない人間を責める格好の材料だったのだろう。
煙草を吸う人に、喫煙所という安息地があるように。私には私の居場所が必要だ。でも、大きな音のする場所や空気の悪い場所、人と人との距離が近いお店だって、私は苦手だった。
このカフェは、静かで、席と席との間にゆとりがあって、「閉じこもる」には都合のいい空間だった。空想の世界に逃げ込むことは、迷惑をかけないし、誰からの制限も受けない。
窓の外を歩く、幸せそうなカップルや、犬を連れて歩く裕福そうな老婦人はなるべく視界から追い出して、ぼうっと風景を眺めていた。
スマホを開き、誰が読むでもないnoteにひとつ、澱みを落とす。
朝は寒い。歩きながら、今日やるべきことを反芻。じっくり考えたいのに、周囲の声が耳障り。ひとつずつ片づければいいだけ。でも、体が重い。
来週の発表、うまくいくだろうか。
ミスをして怒られたわけでもない。
なのに、月曜日は色々深く沈む。
それでも、前に出るしかない。
スキもフォローも別にいらない。
顔も知らない人とさえ、誰かとつながることは億劫だった。
いや……つながることが怖かっただけかもしれない。職場の仲間とも、仕事のことしか話さないのに、どこか関係性がぎごちない。
ため息をひとつついて、スマホを閉じる。出勤時間ぎりぎりまで、こうして過ごす。カフェの窓に冴えない自分の顔が映り、それが嫌でしばらく目をつむった。
* * *
窓から差す強烈な日差しが、季節の変わり目を知らせる。
このカフェを訪れたのも、久しぶり。
忙しかった。
でも、忙しい、しんどいって言葉は使いたくなかった。どこか踏ん張りどころなのか、いつが正念場なのか分からないまま、ただ日々の業務に追われていた。
先輩は、「仕事は追われるものではなく追いかけるものだ」と言った。私はその言葉を咀嚼しないまま、後輩にもそのままを伝えた。
けれど後輩は、「仕事量が適切で、期限が重ならないときしか、できなくないですか?」と反論した。私は笑顔をつとめたけど、正論すぎて、何も言い返せなかった。
どんなときも、私には「追いつめられる感覚」がつきまとっていた。仕事でも、プライベートでも、恋愛でも。期限を設けられると、その期限のことで頭がいっぱいになるのに、ぎりぎりにならないと体が動かせない。
待ち合わせも、人との約束も、苦手だった。「苦手だからできない」で逃げてばかりの自分も、嫌だった。そんなマイナスな気持ちばかりが先行して、世界に取り残されていく感覚が、いつも不快だった。
カフェの窓越しの信号が赤く変わる。
じりじりと私を溶かす日差しは、さっきより少しはましになっているのだろうか。
……わからない。
私は、片方だけずっと痛む頭に顔をゆがめながら、noteを開いた。
日差しが強い。汗が首筋にまとわりつく。
なんだかもう、気取っていられない。
正直、疲れた。誰かに言ってしまいたい。
久しぶりに、母親に電話しよう。
でも弱音を吐けば、そこで何かが崩れそうで。
自分の声が、ちゃんと聞こえない。
夕方の風だけが、少しだけ本音を転がしていく。
noteを更新したのは、気づくと数週間ぶりだった。
気持ちが上向いているときは、前向きな「いいと思った写真」や「美味しそうな食事のこと」を書ける日もあるのに。
更新直後に、ひとりのフォロワーさんから「スキ」がついた。
その人のアイコンの猫の写真を見て、思い出す。
後輩が、飼っている猫の話を嬉しそうにしていて、その顔が愛らしいと思ったこと。それから、出会ったばかりのころ、「先輩って、落ち着いて見えるから好きです」って言ってくれたことも。
本音でそのときに思えた、何気ない気持ちを拾うことが、自分はできていなかったかもしれない。
気持ちを出すことを、素直になることを怖がってしまうのは性分だけど。気づいて、変われるところは変わっていきたい。
大きな進歩は何もない。何もないけど、苦しいことに気づいて、しんどいことを認めて、自分をねぎらってあげたい。
そんなことを考えていた十数分の間、私はうだるような暑さを、少しだけ忘れていた。心のどこかを、自分自身でやわらかくする方法を、見つけなきゃって。そう思った。
* * *
夕方のカフェ。外の並木は黄色く色づいていた。
一番この季節が好きかも、と私は思った。何十年も生きていて、今更気づくなんて。少し、ふふってなった。
いつもより席が空いていて、居心地がいい。びくびくせずに、穏やかな気持ちで席に座れるようになってきた。今日は、普段は頼まない、季節のメニューが美味しそうに見えたので注文した。
待ち時間、スマホに指を滑らせる。
公園の木々が、いつのまにか色づき始めた。
窓の外の銀杏が、やけにきれいに見える。
風が枝を揺らすたび、葉がひらりと落ちていく。
その様子を眺めていると、不思議と胸のざわつきが静まる。
あの頃より、少しだけ呼吸が楽だ。
季節が変わることを、こんなふうに感じられたのはいつ以来だろう。
あのころは、景色を楽しむ余裕なんてなかったのに。
今日も、この席に座れてよかった。
ここのところ、仕事は落ち着いていた。相変わらず、「追いかけて」こなせているかはよくわからない。
仕事仲間に、声をかけて協力をあおぐことも、徐々にできるようになっている気がする。前は、ひとりで抱えて、残業してでもこなせればいいと自分に言い聞かせていたけど。
周りはいつだってフォローしてくれる体制にあったのに、私の方から手を差し伸べる勇気が足りなかっただけだった。弱さを見せることが、怖いと思っていた自分に、原因があった。
体調が悪いのに無理をするなと、上司だけでなく、後輩にも怒られたとき。出てきた涙は、悲しい味がしなかった。
秋の空気が気持ちいい。
心を静かにほどいていく感覚ってこういうものなのだろうか。生きづらさはいつまでもある。でも、前より呼吸が深くなっている気がした。
noteの方は、フォロワーさんからちょこちょこ嬉しいコメントが届くようになっていた。
* * *
雪がちらつくカフェの店内は、季節だけでなく、照明の色さえ違って見えた。暖色系の、明るすぎないLED。ぽつぽつと配置された灯りと、配置された植物とのバランスが、落ち着く空間を演出してくれている。
一年間、noteの記事を読み返していた。そこに落とす言葉には、いつしか文章の量が増え、少しずつ前向きな気持ちがこもるようになっていた。
フォローしているクリエイターさんの数は、相変わらずほんの少し。自分が記事を、無理なく追える人たちだけ。
「あなたの記事に救われています」なんて返信コメントを、下書きしては消してみたり。結局言えないまま、私はスキだけを置いていく。
朝の空気は澄んでいる。吐く息が白く広がる。
遠くで鳥が鳴いた。冬の音は、どこか私の背中を押す。
あの日の迷いも焦りも、今はもう輪郭を失いかけている。
世界が自分に、ほんの少し優しい顔を見せてくれている。
嬉しいことがあった。
人のために、喜べる感覚が自分にも残っていた。
ゆっくりでいい。一歩ずつでいい。
たとえ進むべき道が見えていなくても。
ただ、呼吸するだけでも意味がある。
静かな一年の終わりに、ようやくそう思えた。
後輩が結婚する報告を受けた。
結婚式には、必ず来てくださいと念押しされて、断る気持ちを介入させる余地は与えられなかった。
「おめでとう!」と心から祝福の言葉を伝えられたのなんて、何年ぶりだろう。自分にしては、自然と大きな声が出たことに驚いて、少し恥ずかしくなった。
今座っているのは、春に座っていた席と、まったく同じ場所だ。
ガラス張りのカフェの、窓側。でも、あのときのような陰鬱とした気持ちではない。同じ席にいるのに、見える景色が全然ちがっていることが、なぜか私をくすぐったい気持ちにさせた。
カフェの店員さんも、いつしか私を自然とこの席に案内してくれるようになった。それが、不思議と嫌に感じなかった。私は、会話はやっぱり苦手だったけれど、顔を見て会釈する程度はできるようになっていた。
温かいコーヒーが運ばれてくる。私の生活は、周りを取り巻く環境は、一年前と特別大きく変わっていない。
でも、私はたぶん、あのときの私より少しだけ歩きやすい。
押し入れの中の世界の景色が、こんなにも広い空とつながっているなんて、子供のときには気づけなかった。
来年も、この席でひと息つけるといいな。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。