見えない筋書き【風まかせ文芸部 / 予感の味】
雪の吹きすさぶその街は、あたり一面が凍える世界だった。
画面にその店の外観が映し出されると、暖簾の下だけ雪が溶けて、黒くなっていた。歩行者の吐く息の白さとは裏腹に、脂ぎった声がスピーカーを震わせるようなナレーション。そこに、派手なテロップが乗っていた。
「ラーメン屠龍 後継者争い!」
小学生の頃に見た、テレビでやっていたドキュメンタリー特番だ。今こんな番組がやっているのかどうかは知らないが、とにかく当時、妹とのチャンネル争いの末、僕はこの番組を見る権利を得た。
その番組は、そのラーメン屋の大将が、暖簾分けを認めるのに相応しい後継者を決めるという内容だった。要するに、店を継ぐというよりは「独立候補決定戦」に近い。
味付けは、屋号である「屠龍」の名に相応しいものしか認めない。それが大将のこだわりだった。黒シャツ、腕組み、坊主頭に白タオル装備という、ステレオタイプ過ぎる大将の見た目に、当時は気持ちが上がっていたと思う。
龍を屠る、という名を冠したそのラーメンは、赤く香辛料の効いた味噌ベースのスープだ。ひと癖もふた癖もある出汁が辛味の刺激のあとから口に戻り、口に運んだあと、さらにもう一口その縮れ麺をすすりたくなる。そんな特徴のあるラーメンだという。
後継者候補のふたりの実力は伯仲していた。大将は、テレビの取材なども嫌いそうな、気難しいタイプの顔立ちをしていた。彼はもしかすると、このような番組にあえて身を投じることで、決め手となる最後の一手を見つけられたらと望みを託していたのかもしれない。
* * *
候補のひとり、リュウジ。
リュウジは実直な弟子。とにかく時間を使って出汁や具材を研究し、結果をノートを取り、より美味いスープの味のために試行錯誤を繰り返す。オリジナルの味からさらに、深みを出すことを追求していた。
候補のひとり、キョウヤ。
キョウヤは模倣の鬼。とにかく師匠のラーメンを真似することに心血を注ぎ、他の誰が食べても「大将が作ったもの」と思われるよう、味の再現を徹底して目指した。
考えは違えど、「ラーメン屠龍」の名を汚さないという誇り、何十年も先までその屋号を残し続けたいという願いは、ふたりに共通していた。
そのふたりの熱き戦いに、僕はテレビの画面から一瞬たりとも目を離すことができなかった。
CMが開けて、ついにふたりが魂を込めた一杯を完成させる。ことりとテーブルに置かれた丼と、その上で湯気が龍のようにのたうつショット。ラーメン自体の魅力を二割増しに見せるその映像技術にも、僕はプロの技を感じていた。
大将が、それぞれの作ったラーメンを味見する。最初にリュウジのもの。そして次に、キョウヤのもの。
スープと麺とを数口ずつ、ズズ、と音を立てて食す。丁寧に味わったあと、大将は間をおいて、言った。
「……完成度が高いのは、キョウヤの方だ。」
キョウヤの目が輝き、リュウジが俯く。
「ただ。それは現時点で、の話だ。」
大将の目がアップになる。
「これが、半年後、数年後……となると、リュウジが上をいく。」
* * *
「は?」
正直、声が出た。見ていた小学生の僕はきょとんとした。
今の「味」をみて、勝負するという話だった。もちろん、模倣よりも地道に努力してきたリュウジの方が「物語の主人公っぽい」側面はあったと思う。番組の見せ方的にも、そうなっていた。
しかし、大将は制作過程を見ていないはずだし、彼らの思考や心情もどこまで理解していたかは語られない。なのに「完成度が高い方を選ばない」、という説明不能な判断を下した。
だからその瞬間に、番組を見ていたひとりの小学生の脳裏に、ある考えが浮かんだというだけだ。
「嘘っぽい」と。
「これって話が盛り上がるように、最初から仕組まれていたドラマなんじゃないのか」と。
思わず僕は、そのとき手元にあった辞書を引いた。「ドキュメンタリー」とは、虚構を除いた本当の話だと書いてあった。
真偽は不明だが、とにかく僕はその番組に「見えない筋書き」を見ていた。
その場面以降、すべてが白々しく感じ、どう考えても本当の話だと思えなくなった。
僕はその時点で、チャンネル権を放棄した。妹に手渡そうと手に取ったリモコンは、思いのほか冷たかった。そのあと、しばらく僕はテレビを見る気にもなれなかった。
フェイクニュースやオールドメディアなどという言葉が生まれる、ずっとずっと昔の思い出話だ。
* * *
何故何十年も経ったあと、この話を思い出したのかというと、出張でその寒冷地方に来ることになったからだ。
面談での取引先の印象は、悪くなかった。契約まで漕ぎつける公算は低くはないだろう。職業柄、視線の落とし方や名刺の置き方で「相手の判断」を理解するのは得意だった。
足を止める。
今いるのは、あのときテレビに映っていた駅前のロータリーだ。地方も駅名も、間違えようはずもない。
僕はマフラーを巻きなおして、スーツケースを転がす右手に力を込めた。雪も降っていないのに、駅の外へ出ただけで靴の裏が冷たい。
少し歩くと、冷たい空気が僕の肺の中まで入り込んでくる。駅の外に出ずに建物内をそのまま移動することもできたようだが、一度気になってしまうと止まらなかった。
もしかすると、同じ名前のラーメン屋がまだ残ってはいないだろうか。
あのふたりの願いは、「ラーメン屠龍」の名を後世まで永く残すことだった。大将がいた一号店で、意志をついでラーメンを作り続けている者がいるかもしれないし、暖簾分けされた弟子の店が近くにある可能性だってないだろうか。
今にして思えば、あの番組は途中で見るのをやめた。
弟子のふたりが結局どういう道を選択したのかも不明なまま。それが、思い出したのと同時に僕にもやもやを連れてきていた。
「今、あのお店はどうなっているのだろう?」
そんな純粋な疑問だった。ラーメン屋は、駅前の通りだけでも数軒あった。もちろん、そこらでお昼をとってもいい。
しかし、あの名前の暖簾は出ていない。少し離れた場所にあるのかもしれない。
スマホのマップで、検索をかける。
「ラーメン屠龍」は、調べた限りではこの地方どころか日本中にも、存在しなかった。
検索結果:0件
何も考えられず見続けていると、時間経過で画面は暗くなった。
あの番組の舞台となったラーメン屋さん。
弟子たちのラーメンに込めていた熱意。
弟子のラーメンを食べた大将のコメント。
そして、それを見ていた僕の違和感。
未だに何が正しかったのかは、よくわからないままだ。
僕はスマホをポケットにしまい、一番近くにあったラーメン屋の扉に手をかけた。ともかく、一刻も早くこの寒さから逃れたい。
ガラ、と扉を開けると、むわっとした熱気が迎えてくれる。ふと、味噌と焦がした唐辛子の匂いが鼻を刺した気がした。
※以下の企画に参加させていただきました。
いいなと思ったら応援しよう!
書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。