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怪人が転んだ日【創作】

大学の授業がない日、僕は少し遠出をしていた。

派遣の仕事で呼ばれているのは、とある大きなホール。
派遣会社のルールで、どれだけ遠方に派遣されても、交通費は往路分しか支給されない。妙に、しみったれてやがる。

だが、いろんな現場を転々とできる派遣バイトは、気まぐれな自分にはちょうどいい。毎回違う会場、違う人間関係。その場限りの仕事に精を出すのが、案外性に合っていた。

* * *

僕は舞台を背にして客席の方を向き、しゃがんで片膝立ちの姿勢で観客を監視する。フラッシュをたこうとする人がいたらすぐに指でペケマークを作って制止し、ペットボトル以外の飲料を持ち込もうとする人がいれば同じく注意する。

言葉は交わさない。ただ、手振りだけ。舞台を見てはいけない。僕の目はひたすら観客に向いている。

一日に同じショーを三回。ヒーローが登場して、怪人が暴れて、最後には決めポーズと爆音の効果音で締める。ショーの後はちびっこたちとヒーローとの握手会のオマケ付きだ。

また、ショーは今日のホール以外の場所でも同内容で公開されており、数日前、別の劇場でも二日間全く同じ仕事内容で参加していた。
──要するに、もう六回はショーの内容を体験しているってわけだ。

僕はそれを背中越しに聞き続ける。派手な音も、歓声も、すべてが既視感のかたまりになっていく。

繰り返される演出は、まるで録音したテープを再生しているみたいで、時間ごとループに巻き込まれている感覚になる。

* * *

そんな中、今日の三回目の公演では、ちょっと変わったことが起きた。

怪人役の人が、ヒーローたち数人と入り乱れて取っ組み合っている最中、バランスを崩してステージから転げ落ちたのだ。演出にはないアクシデント。

観客の一部は拍手をして、まるでサプライズだと思ったようだった。
──けれど僕は知っている。何度も何度も同じ流れを背中で聞いてきたから。これは初めての異変だ。偶然の綻びだ。

その瞬間、胸の奥がふっと熱を帯びた。
誰も気づかないループの中で、自分だけが知っている「秘密」が生まれた。単なる事故だが、僕にとっては舞台と現実の境目が少しだけ揺らいだ証のように思えた。

やがて、次のシーンが始まり、音は再び決められた順序で流れはじめる。
怪人はすぐに舞台にのぼり、転落はなかったことのように物語は進む。
観客は熱狂のまま幕を閉じた。

僕はその間、舞台に背を向け続けていた。

* * *

何も変わらない日常の中に、僕だけが抱えた小さな異変。
知っているのは自分ひとりだけで、それは優越でも誇りでもなく、どこか心細さを伴う孤独だった。

結局、時間はまた同じループへと収束していく。

帰りの電車で自腹の切符を買う。

ふと、自分がタイムリープものの、悲劇の主人公になったかのような錯覚を覚える。ほんの一瞬だけ未来を知り、それでも何も変えられないまま元に戻っていく。

──そんな役どころが、なんだか自分に合っているような気がしていた。

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財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。