ラストゲーム【創作】
喧嘩をしたのは些細なことだった。
洗濯物を畳む順番とか、彼女が買ってきた新しい生活用品に僕が気づかなかったとか、そんな類いの。
けれど、積もり積もった感情に火が点くのは、決まってそんな小さな瞬間だったりする。
彼女は聞こえよがしにため息をつき、ソファに座り込む。
僕も言葉を飲み込んだまま、気まずい空気だけが部屋に残った。僕は、彼女を避けるようにテレビの前に行き、ゲーム機を立ち上げてプレイに興じていた。
画面が光り、BGMが流れても、胸の中のざらつきは消えなかった。
沈黙を割ったのは、彼女の小さな声だった。
「勝負しよう。」
僕は顔を上げる。ふたりでゲームをするのは、いつものこと。仲直りしよう、という彼女なりのサインだと思った。いつもなら、そこからふたりで笑い合って、気まずさも空気に溶けていく。
しかし今日は、いつもと様子が違った。
「私が勝ったら……結婚しよ。負けたら、さよなら。」
「は?」
聞き返す間もなく、彼女はゲーム機のコントローラーを手に取った。僕がいまやっているのは、対戦型の落ちものパズル。彼女はほとんど僕に勝てたことがない。
「フェアじゃなくないか。」
「……いいの。今、決めたいから。」
その横顔は、泣き出しそうで、強がってもいる。震えているように見えた。ただ悲しいだけではなく、ずっと深いところで。
わかったかもしれない。
彼女は、自分から引き返せないところまで来て、それでも「ゲーム」といういつものルール上で、僕と向き合おうとしている。
手加減もできる。返事の代わりに、負けてあげることもできる。
でも、それは違う。僕もゲーマーとしてのプライドが許せないし、彼女が信じる勝負は、もっと真っ直ぐなものだ。
「……わかった。真剣にやるよ。」
コントローラーを握った瞬間、彼女の呼吸が少し跳ねた。勝負が始まる。
彼女の視線が画面に吸い寄せられ、呼吸をする音が隣で小さく響く。
思えば、なんでもゲームにしたがる彼女だった。家事の分担も、料理の食材選びも。どっちが勝っても、笑って次に進めるような提案を、いつも彼女からしてくれていた。
遊び心を忘れない。そんな彼女のことが、僕は大好きだった。
画面はいつも通りなのに、僕の指先は驚くほど慎重で、心臓はうるさく鳴っていた。
僕は彼女から挑まれたその一戦。全力で戦い──勝った。
短い沈黙のあと、彼女は小さく笑った。負けを受け入れて、おもむろに立ち上がる。
「……もう、わかった。ありがとうね、今まで。」
淡々とした声。今まで、という言葉があまりに静かで、僕の胸に刺さった。
彼女が玄関へ向かうその背中を、僕は呼び止めた。
さっきの勝負のときには、声をかけることをすでに決めていたと思う。
「待って。僕からも、もう一勝負お願い。」
振り返った彼女の目に、驚きと、かすかな期待が混ざる。
僕は棚から一組のトランプを取り出した。初めて会った日のことを思い出す。
大学のカフェで、暇つぶしに、と彼女が取り出したトランプ。気づけば二時間も夢中で勝負していたあの日。
ビデオゲームでは圧勝の僕も、カードゲームやボードゲームでは、いつも互角だった。だからこそ楽しくて、彼女の笑顔が見たくて、続けた。
「次は……お互いの得手不得手が混ざらないやつでやりたい。」
「……トランプで決着?」
「うん。フェアにね。」
テーブルにカードを配りながら、僕は深呼吸した。
「それで……僕が勝ったら。」
一拍置いたあと、彼女の目を真っ直ぐに見て言う。
「プロポーズさせてほしい。」
彼女の指が、カードの角を震わせる。頬が赤くなる。でも、逃げずにこちらを見てくる。
「……そんなの……ずるい。」
「どっちが?」
「どっちも。」
ふっと顔が緩む。ゲームに興じるときの、いつもの無垢な彼女の笑顔に少し戻った気がする。
互角。本当に、互角だ。
「じゃあ……やろう。」
彼女がカードを切る音が、部屋に軽やかに響く。
さっきの一戦のときのような重苦しい空気は、この部屋からはいつの間にか消えている。
そして、次に勝つのがどちらであっても──きっと、ふたりは同じ方向を向いていた。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。