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ハーブティーふたつ【創作】

まだ何も起きていないのに、胸の奥だけが先に騒いでいた。

朝は、これから始まる空白の時間帯なのに。このとき私に訪れるのは、たいてい嫌な予感か不吉の気配だった。

昨夜送ったメッセージに、まだ返事がない。相手は学生時代からの友人で、既読がつけばすぐ返してくるような人だった。たったそれだけのことなのに、何かあったのだろうか、と考えてしまう。

最近会ったときも、少し元気がなかった。

話している途中でぼんやり窓の外を見たり、笑うまでにほんの少し間があったり。普段は明るいのに、疲れているのかな、とそのときは思った。

けれど、帰ってから「あのとき何か気の利いたことを言えなかったかな」と、頭の中にでしゃばる感情がある。

私が気にする細かいことを、友人はいつも笑って吹き飛ばしてくれて、それに何度も救われていたのに。

昔から。

私は、説明の足りない出来事に出会うと、その空白を自分の落ち度で埋めようとする癖があった。返事が遅いのも、空気が重いのも、まず自分を疑ってしまう。

咳払いがひとつ聞こえれば何か失礼がなかったか不安になり、大きな音を立てる人がいれば虫の居所が悪いのだろうかと想像をめぐらせた。

だから昨夜も、眠る前まで友人についていろいろ考えてしまった。あの言い方がきつかっただろうか。あの話題はよくなかっただろうか。

布団に入ってからも頭の中だけが起きていて、寝返りばかり打っていた。

そして今。朝になっても返事はない。

そのときふと、机の上に置いたレシートが目に入った。

昨日、駅ナカの雑貨店で買ったハーブティーのものだ。小さな袋が可愛らしく、しかもカモミールが入っていないのに睡眠導入にいいと書いてあったので、珍しくふたつも買った。

ひとつは自分用、もうひとつは、疲れていそうなあの友人に渡してもいいと思って。

けれど。何気なくレシートを見て、手が止まった。

どう見ても、ひとつ分しか打たれていない。

新人らしい店員が、わたわたしながら対応してくれていたのを思い出す。バーコードを通したあと、何度か画面を見直していた。あのとき、片方を打ち忘れたのではないか。

──あれ? これ、私、万引きか?

そんな考えが浮かび、不吉の雲が周りでかたちをとり始める。

どうしてだろう。不安材料ばかりが、私のところに集まってくる。眠れない夜の燃料にして、とでも言わんばかりに。

ちらっと時計に目を移す。よりによって今日は休日で、予定もない。

買ったのは、頻繁には行かない駅だし、気にしなくてもいいのかもしれない。このまま気を紛らせて、休みを過ごすことだってできる。

けれど、そうしたら。私の飲むハーブティーと、友人にあげるハーブティー、どちらが適切に手に入れた方で、どちらが不正に手に入れた方になるのだろうか。

スマホを開けば、動画サイトのショート動画で、弁護士資格を持つインフルエンサーが早口で言う。

「一般人が犯罪と認識していない犯罪三選!」

道端で拾ったもの、多く受け取ったおつり、気づいていて黙っていた場合には──。

動画のループ再生が二週目に入る前に、私は立ち上がっていた。

ああ、もう!

いつもなら、「故意」だの「過失」だのとスマホで検索して、うじうじ悩んでいたかもしれない。でも、眠れていない頭では思考のレベルに限界があった。

神が言っているのだ。行け、と。

電車に揺られ、滅多に降りないその駅へ向かう。片道の交通費だけで、一袋分を軽く超えている気がしたが、そういう問題ではなかった。知らないけど。

店は休日らしく少し混んでいた。昨日とは別の店員に事情を話して、レシートを差し出す。

「ふたつ買ったはずなんですが、ひとつ分しか……。」

店員はレシートを見て、レジ画面を確認し、すぐに顔を上げた。

「ああ。こちら、二点セットで一点分お値引きになる商品です。」
「……は?」
「一応、値札にも書かれているんですけど……。」

店員が示した手書きポップには、確かにふたつ買うと半額になる旨の表記があった。

「ふたつでご購入いただくと、自動で割引になるんです。このレシートじゃ、少し分かりづらいですよね。申し訳ありません。」

私はしばらく、その場で固まっていた。

つまり私は、昨夜から今日の昼まで、存在しない罪を抱えていたことになる。私は、自分を取り囲む不吉の雲が、笑いながら散っていく幻を見ていた。

「……そうでしたか……。」
「ご丁寧に、ありがとうございます。」

むしろ感謝されてしまった。レジの機械を操作して、今後はレシート表示がわかりやすくなるよう改善する、とまで言ってくれた。

私は、棚に並ぶ同じハーブティーをまたふたつ手に取った。肩の力が抜けたついでだ。どうせ、追加で払うつもりでここまで来たのだ。

他に用事もなかったので、店を出てすぐ、その駅をあとにした。中途半端なぬるい時間が、景色と一緒に窓の外で流れていく。

座っていると、スマホが震えた。

友人からだった。

『ごめん、返事できてなかった! 年度明けで仕事バタバタしてて、ずっと疲れて寝てた。最近やっと少し落ち着いたよ』

画面を見ながら、私は小さく息を吐いた。

友人から返事がないのは私のせいではなかったし、レジのせいと決めつけるほどでもなかった。たぶん世界は、私にとって、ただ少しずつ説明が足りないだけなのだ。

家に着いて、湯を沸かす。封を切ると、やさしい香りが立ちのぼった。

もし今日、これのおかげでぐっすり眠れたら。

そのときはやはり、このハーブティーを今度会う友人に分けてあげようと思う。

その方が、今日一日を少し無駄にしなくて済む気がした。


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財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。