終着駅で逢いましょう【三題噺】
本来なら、女の旅はもっと味気ないものになるはずだった。
空虚だったのだ。仕事も恋も上手くいかず、何かを変えたかった。気分転換で、ふらりとはるか遠く離れた海へ。
船体の振動は穏やかで、地上の世界が静かに遠ざかる。船内は妙に静かだった。空調の低い唸り音だけが、まだ生きていることを肯定していた。
そうして、出発からどれくらいの時間が経ったのか、彼女にははっきりとはわからなかった。
かすかに高揚する気持ちを抑え、彼女は空いた時間、手紙を書いて過ごしていた。座席に縛りつけられるように、薄い紙にペンを滑らせる。ラブレターを書くのなんて、何年ぶりだろう。
ペンを踊らせ、紡ぐ言葉を探して、つとさまよう思考の旅路。
不慮の事故で時間を与えられずに人生が終わるのであれば、何も未練は残らなかったかもしれない。
だけど、与えられてしまったのだ。
「時間」と「何もすることのできない未来」を。
──私たち、ふたりにとっての終着駅はどこだったのだろう。
そんな問いを紙にこぼしながら、彼女はふと笑う。
行き着く先なんてとうに見えなくなっていた。
彼が選び、彼女が選びそこねた、たった一度の分岐点の向こう側。
グラスを傾けて、向かい合って過ごすひととき。たったそれだけでよかった。
もしあの頃に戻れるなら、どれほどの対価を払っても取り戻したい時間だった。そしてそれはある意味、歪んだ神によって叶えられたのかもしれない。
つい、さっきの話。
運命的な再会は、突然だった。
まさか、こんなところで。
ひとりだった彼女に対して、「彼」は家族と一緒だった。隣に座っていた小さな女の子は、彼にそっくりだった。
それだけなら、ただ胸を引き裂く苦痛でしかなかったろう。
けれどその直後、天井スピーカーから流れてきたアナウンスは、残酷なようで優しいものだった。
『トラブルが発生しました、本船は……』
周囲がざわついたが、彼女は違った。たぶん、他の乗客とは少し違う気持ちだったと思う。激情を帯びて火照る頬から、すんと熱が落ちていくような感覚。
ひとり寂しく旅立つ必要は、もうない。
もちろん、彼の家族も一緒だ。幼い娘の泣き声、隣の女の震える肩。そのすべてを、彼女は遠くからそっと見守った。
けれど、胸の奥には奇妙な安堵があった。
──こんなところで、最後に会えた。ああ、あの人と、最後の時間を過ごせるのだ、と。それだけで、もう十分だとすら思えた。
そして彼女は筆をとったのだ。
船内には小さなバーがあった。こんな緊急時、誰が利用するのだろうと思っていたが、彼女にとっては救いだった。そこなら、彼をそっと呼べるかもしれない。
「手紙を渡してください。」
彼女は、客室乗務員に小さな封筒を託した。乗務員はばたばたしており、泣きそうで怪訝そうな顔をしたが、応じてくれた。
気持ちを走らせた紙は、「もしよければ、バーで少しだけ話がしたいです」と締めくくられていた。
返事は来なかった。
当然か。
彼には守るべきものがある。
彼女の願いは、独りよがりなわがままだ。
それでも、彼女はバーで待った。
──だって、守るべきものを守る必要なんて、もうないでしょう。満天の星の、さらに外側へ落ちていく運命を抱えてまで。
いずれ皆、塵になる。
彼女の心は、さざ波が凪いでいくように。
奇妙なほど、静かだった。
照明が薄く落ちるころ、足音が聞こえた。
振り返ると、彼がひとりで立っていた。
「……久しぶりだね。」
その声を聞いた瞬間、彼女の胸は温かく満たされた。最後の時を迎える直前に、奇跡のように訪れた再会。少しやつれた彼の顔とは裏腹に、彼女の笑顔には、まるで花が艶やかに咲くような輝きがあった。
ふたりは言葉少なに、バーの片隅でカクテルを傾けた。
人生で最も短く、最も永い時間だった。
じりじりと、身体が熱くなっていく感覚は、止められない。確実に、何かが彼女に迫っていた。
大きな光が船体を満たす直前、彼女は静かに目を閉じる。
──あなたと飲めて、よかった。
たったそれだけ。
塵となる未来を照らす、唯一の光……。
人工重力がぷつりと途切れ、カクテルはふわりと宙を舞う。
もう宇宙船の目の前まで、太陽が迫っていた。
※以下の企画に参加させていただきました。
《今週の三題噺》
1.ラブレター
2.終着駅
3.カクテル
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。