一瞬の年表【創作】
リビングのテーブルに、分厚い本と真っ白なノートが広がっている。
「読書感想文、どうするの?」
僕の声に、息子のリュウは小さく肩をすくめた。
「わかんない……本の内容を書くと、紙いっぱいになっちゃう。でも、感想って 『おもしろかった』くらいしか思いつかない。」
僕は椅子に腰を下ろし、リュウのノートを覗き込んだ。たしかに、行ごとにあらすじを並べていけば、ノートは埋まる。でもそれは感想文ではない。
「そうか、じゃあ、全部書こうとしなくていいんだよ。」
リュウが、首をかしげる。
「え、どういうこと?」
きょとんとしたその表情がまた可愛い。僕は微笑みながら、本のページをめくる。
「年表を作るみたいに全部書かなくてもいいんだ。一番印象に残った一瞬、たとえば登場人物が泣いたところとか、何かに驚いたところとか、そこだけを切り取って書くんだよ。」
リュウの目が少し明るくなる。
「一瞬だけ書くだけでいいの? 一行でもいいの?」
「いやいや。印象に残った部分をもとに、書きはじめてみるんだ。」
僕はページに指を置きながら言った。
「一瞬の印象って、記憶に残るものだろ? 全部を書くより、一瞬を描いた方が、本当に自分の思った感想が出やすいんだ。
『どう思った?』『なんでそう思った?』『自分だったらどうする?』ってね。自分の言葉で、気持ちを広げていけばいいんだよ。」
リュウはノートに鉛筆を走らせる。
「じゃあ、このシーン! 主人公がカエルを見つけたところ。」
カエルを見ただけで泣いていたこの子も、大きくなったもんだ。しみじみと、そんなことを考える。
「うん、それでいい。そのときの気持ちを書くんだ。景色とか匂いとか、色とか、覚えてることを思い出して書いてごらん。」
鉛筆がノートの上を滑る音が、静かなリビングに響く。リュウの表情は真剣だ。少し離れて、見守る。
ページにはあらすじの羅列ではなく、感情の断片が小さな文章として生まれていく。きっと今、彼の中では小さなシーンが広がって、もくもくと夏の雲みたいに膨らんでいるのだろう。
「なるほど~。感想って、一瞬の積み重ねなんだ!」
リュウは小さな笑みを浮かべた。ページをめくるリュウの横顔を見ながら、
僕はそっとカメラを構え、シャッターを切った。
子供のころの僕は、こんなふうに真っ直ぐ宿題と向き合っていたっけ。もっと、適当に済ませてしまっていた気がする。
それなのに、息子にはちゃんとしてほしい、ちゃんと育ってほしいと思い、偉そうなことばかり言ってしまう。理想の押し付けになってなければいいが……。
「全部書かなくていい」そう言ったのは、僕なのに。
自分は写真一枚一枚に、日付を添えて、年表みたいにアルバムに並べている。
人のことは、言えないな。
キッチンから、妻のつくる、晩ごはんのいい匂いが漂ってきていた。
「もう、あなたは口だけなんだから。」
そんな、いつもの口癖が聞こえてくるようで、心の中で苦笑する。
ページに刻まれた言葉は、息子の年表の一部になるだろう。
そして僕もまた、息子の成長の一瞬を心に刻んでいた。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。