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その公共の場で【創作】

配信の終わり際、彼女はふと思い出したように話し始めた。

「昔、仲の良かった配信者さんがいたんです。」

チャット欄がゆっくり流れる。

「その人……配信やめちゃったんですよね。」

理由は色々あったと思う、と彼女は言った。

数字のことで感じる焦りもあっただろうし、生活の不安もあっただろうし、人間関係での迷いもあっただろう。でも、と彼女は少し言葉を探した。

「リスナーさんとの距離感も、あったんじゃないかなって。」

一瞬、流れていた文字が途切れた。彼女は上半身だけを映して配信するスタイルだった。そして顔の部分は、自身の手書きイラストで隠されている。

でも、どういう心境かは、長年の視聴歴で察することができた。

「もちろん、その人たちが悪い人だったわけじゃないんですよ。」

慌てるように両手を振って、付け足す。

「むしろ熱心に応援してくれてた人たちで。でも、だんだん新しい人が入りづらくなっちゃったみたいで。結局……。」

そこで話は終わった。

チャット欄には、「悲しい」「いろいろあるよね」といった、寄り添うような言葉が流れていた。

僕は何となく、覚えていた。以前も、彼女の口からその配信者の友人の話が出てくることはあった。記憶の大事な部分に、そっと触れるような声と口ぶりから、その友人との仲の良さや絆の深さがうかがえた。

厄介リスナーか。……そんな人もいるんだな。

そう思った。自分には関係のない話だった。

* * *

彼女の配信を見始めたのは、三年前だった。

「今登録すれば、古参を名乗れますよ!」

そんな新人配信者の常套句に、笑みが浮かんだ。当時の同時接続者数は二十人前後。コメントを打てば、ほぼ確実に拾われた。

名前も覚えられたし、初見リスナーを大事に扱うその姿勢を見て、「この子は伸びそうだな」と思ったことを覚えている。

そしていつしか、配信の視聴が日課になった。

仕事帰りに配信を開き、コメントを打つ。そうすると、返事が返ってくる。それが、少し嬉しかった。

打てば響くように応じてくれるその態度が、僕の心の、どこか足りない部分を埋めてくれた。メールを通して嫌な仕事を婉曲に避けようとする部下とは違うと感じた。家で、僕の頼み事を面倒そうに聞く妻とも。

配信の視聴は、金を使う趣味を持たない今の自分にとって、唯一の娯楽だと言って差し支えない。もちろん、決められた範囲の額で、たしなむ程度にだ。推し活、なんて言葉を知ったのはあとからだった。

グッズを買えば、お礼のメッセージが届いたし、誕生日に投げ銭をしたときには、個別にDMまで来た。

「いつも本当にありがとうございます!」

その文字を見て、いつもの声が頭の中で再生される。応援してきてよかったと思った。

* * *

会社で嫌なことがあった日だった。部下に仕事を引き継いだ案件で、トラブルが起きた。

帰宅して夕食を食べ終えると、僕は配信を開いた。なにか言いたそうな妻の声を、イヤホンでシャットアウトする。

チャット欄には数百人がいる。昔よりずっと増えた。数十人のうちのひとりだったころと比べれば、彼女にとっての僕という存在は、かなり小さくなっていただろう。

それでも彼女は時々、名前を呼んで、自分のコメントを拾ってくれる。そのたび、少し時間を戻して同じシーンを再生してしまう。それだけで、特別な気持ちになれた。

その日は雑談枠だった。

彼女はたまに「勉強会」と称して配信論をリスナーと語り合った。そこでも僕は積極的に、コメントした。配信を盛り上げるため。そして、もっと伸びてもらうために。

「ショート動画増やしたら、もっと伸びると思う」
「まじめすぎるのが駄目なんじゃないかな」
「顔出し企画とかどう?」
「記念配信なら、コラボもありかも」
「思うに、配信にみんなが求めているのは……」

彼女は困ったように笑った。

「顔出しはないかなあ~。」

チャット欄には笑いの絵文字が流れていた。もちろん、僕も笑った。冗談半分、身内のノリも、度を過ぎなければ問題はない。

* * *

数日後だった。

推しから来るDMには、いつもどきりとする。最近はプレゼントも贈っていないのに、「はて」という気持ちだった。

とても丁寧な文章だった。感謝の言葉が並んでいた。

その上で、少し距離感について考えていること。熱量のこもったコメントが溢れると、初見さんが入りづらくなってしまうこと。

正直コメントに身構えてしまい、配信への熱意も少し落ちてしまっていること。

そんな内容。

そして、メッセージは次の言葉で締めくくられていた。

「配信は、生活を守ること、心を守ることが大前提だと思っています。それがなければ、継続することは難しい……。

今後は、配信者とリスナーさんとしての関係性を、大切にしたいと思っています」

* * *

最初は意味が分からなかった。何度も読み返した。

責めている言葉ではなかった。でも、その、迷いながら選ばれ、並べられた言葉の数々に、心はざわついた。不揃いながら、ずっと奥にしまい込まれていたような心境が、文字の向こうから伝わった。

それなのに、頭の中で、彼女の声は再生されない。

自分のチャット履歴を開いた。配信ごと、タイムスタンプごとに、拾うことができる「彼女へ投げた言葉」。

画面をスクロールした。

去年。半年前。三か月前。

一か月前。

コメントは大量に残っていた。

「僕が思う配信ってのは……」
「配信時間が短すぎるよ」

スクロールする。

「昔の配信の方が好きだった」
「今日、会社で嫌なことがあって」
「自分の知っている配信者はこうだったな」

スクロールする。

「こうした方がいい」
「この企画はやらないの?」
「もっと伸びると思うよ」
「今日も頑張ってるね」

スクロールする。

配信の感想が、見当たらない。

ありがとう、も。
面白かった、も。
楽しみにしていた、も。

どこにもない。

「一番言われて嬉しいのは、可愛いとか、きれいとかじゃなくて……」

今さら、彼女の声が遅れて聞こえた。

ずっと。

僕はひとり相撲をしていたのだろうか。チャット欄で、「交流しているつもり」になっていただけだったのだろうか。

ずっと下まで遡って、ようやく見つけた。

三年前だった。

「初めて見ました! 面白かったです」

そんな一文だった。

* * *

スマホの画面を閉じる。家に着くと、部屋は静かだった。

彼女は人が増えたことで、変わったのだろうか。それとも、変わったのは自分だったのだろうか。

ブーブーと、スマホが震える。配信開始の通知が来た。

彼女は僕を、ブロックしていない。SNSでのミュートもしない。見にいこうと思えば、行ける。彼女の配信は、そこにある。

でも、チャット欄に自分のアイコンを見つけたとき、次に彼女はどう思うだろうか。

──また来た。
──次は何を言われるんだろう。
──結局、自分語りなのよね。

それを考えると、再生ボタンが押せなかった。

配信ではきっと、大量のコメントの中、彼女は明るい声でいつもの挨拶をしているのだろう。ただ今日は、その流れるコメントの中に、僕の声はどこにもなかった。


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財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。