劇場の蝶【創作】
暗がりの劇場に足を踏み入れる。
そこには、息をひそめたように静かな空気。
ステージの照明が灯ると、舞台の上に演者たちがふっと現れ、静かにショーが始まる。
光の粒を纏ったかのような、きらきらとした衣装。ひらひらと舞う、しなやかで美しい動き。
少女の目には、まるで蝶が羽ばたくように見えた。
彼女は客席の端に座り、ため息をつく。
「私もあんな風に……舞えたら。」
女優でもない自分に舞台に立つ資格などないと知りながらも、胸の奥の願いは消せなかった。
小さい頃、ピアノの発表会に向けて必死に練習したことがある。
その時、兄に言われた否定の言葉が、今も心に残っていた。
──お前には、こういうの向いてないよ。
あの時、音の出ないまましぼんでいった胸の奥の熱が、もう一度だけ、と私の中からその存在を主張するのを感じた。
* * *
少女は何度も見た劇場のシーンを思い出しながら、今夜も近くの公園に足を運んでいた。
このあたりは住宅地で、夜空に星が見えることもあまりない。街灯の下、誰もいない遊具の影で、見様見真似で踊る。
手の動き、足のステップ、髪の揺れ──。
頭の中で流れるリズムにあわせて、あこがれの女優の動きを追いながら。
何度も、何度も繰り返す。
踏み外して転びそうになり、失敗して悔し涙をこぼすこともあった。
けれど、その夜の公園で、少女はひとりでも羽ばたいていることを感じていた。
雨上がりの冷たい夜風が頬をかすめていく。
静かな公園の中で、少女は小さく息を吸った。
──もう一度。
舞台の上ではなくても、誰かを魅了するためではなくてもいい。自分自身のために、必死に手を伸ばす。
少女は微かに笑った。
たとえ小さくても、自分にも舞えるのだと、そう思えた。
* * *
ふとその様子を、公園のベンチの影から、二匹の猫がじっと見ていることに気づく。親子だろうか。
目を細めて、ゆっくりと尻尾を揺らしていた。
「……この劇場で、もう少しこのまま踊らせて。」
少女が誰にも気づかれずにそっとつぶやいたその声は、夜風に紛れて消えていった。それでも、胸の奥には小さな温もりが灯っていた。
明日また、ひとつ夢を広げよう。
小さな羽音が、今、私の中で確かに響いている。
今夜は、ひときわ大きく輝く星が夜空に浮かんでいた。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。