ひび割れた宇宙【創作】
サーバ室に、低いファンの回転音が絶えず響いている。
私の仕事は「宇宙のシミュレーション」を管理することだった。もっと正確に言えば、ビッグバンからの膨張を数値的に追い、星々や銀河の構造がどう分岐していくかを再現する、巨大プログラムの保守である。
膨大な数式が走る画面を前にしていると、自分が管理しているのは単なる計算なのか、それとももうひとつの現実なのか、ときどき混乱する。
その日、モニターに警告が出た。
[ERROR] Universe_A_sim: Memory usage critical. Process overload detected.
[WARNING] Loop in Universe_A_sim detected. Immediate intervention required.計算データが肥大化し、格納領域を食いつぶしつつあることはすぐにわかった。システム内のプロセスとメモリ使用率を確認すると、異常なプロセスがいくつか走っていた。
過去、上長へは何度もメインデータについてのバックアップ取得について主張したが、予算申請が通ることはなかった。
要するに、放置すれば、システムごとクラッシュして復旧は不可能だ。
「ループを止めれば安全に保存できるはずだ。」
そう考えて制御コードを修正した。ところが、実行するとエラーの文字が走る。
Syntax Error. Unexpected Loop Statement.冷却ファンの音が一瞬止まり、空気の流れが変わった。
なぜだ? 書き直しても同じ構文エラーが返る。
再帰的に呼び出されて、処理は止まらない。むしろ加速している。
その瞬間、スクリーンの宇宙モデルに異変が起きた。
背景に、黒いノイズのような筋が走る。銀河の形がラスターをかけたように歪み、星の並びが直線的に裂けていく。
画面越しに見ているのに、ひび割れの音が耳に届いた気がした。
「……これは、ただの描画バグだよな。」
自分に言い聞かせる。だが心臓は異様に早く鼓動し、指先から汗がにじむ。
エラーを追いかけてコードを掘り下げていく。そこには見慣れない関数がひとつ紛れ込んでいた。誰が書いたのか分からない。
だが確かに# self-repairとコメントされている。プログラム自身が、自分を壊されないように改変していたのか。
「自分で生き延びようとしている……?」
思考が一瞬止まる。けれど、悠長に驚いている暇はなかった。ひび割れは広がり続け、シミュレーション空間はノイズに浸食されていく。もし完全に破綻すれば——。
最後の手段として、管理用の強制終了コマンドを叩いた。通常は使わない、運用保証外のものだ。だが、ここに賭けるしかない。
$ sudo ./force_shutdown --target universe_A_sim
[OK] Universe_A_sim: Shutdown complete. Data saved.画面が一瞬真っ白になった。サーバ室内が……世界全体が、少しの間、無音になる。
数秒後、再びログが流れた。
——処理完了。保存成功だ。
息を吐く。
画面の宇宙は穏やかに広がりを続け、ひび割れは跡形もなく消えていた。
……その夜、サーバ室を出て、窓の外に広がる空を眺める。
ここから見える星々は、私が保守していたシミュレーションとは別の宇宙のものだ。人類の誰も、この距離から監視されているとは夢にも思わないだろう。
だが私は知っている。ほんの一瞬、彼らの宇宙は崩壊しかけた。裂け目が走り、全てが暗転しかけたのだ。
もちろん、知らせる必要はない。
彼らにとっては、現実が途切れなかった事実こそがすべてだからだ。
…………。
こちらの空は、変わらず静かだ。
彼らの現実も、何事もなかったかのように続いている。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。