獣舎と麻袋【創作】
園内は、もう風の音しかしていなかった。
昼間は子どもの歓声で満ちていた通路も、今は獣舎の蛍光灯がぽつぽつと光るだけ。湿った草の匂いと、古い木の床の軋む音が夜勤の合図だった。
老ライオンの「レオン」が、いつもの場所で横たわっている。その胸が、浅く上下していた。
もう何日も、ほとんど餌を口にしていない。かつては麻袋を転がしてじゃれていたのに、あの布も、今では隅に放られたままだ。
思えば、兆しは春ごろからあった。好きだった鶏肉を残すようになり、ときおり、日陰の奥に隠れて一日中出てこないこともあった。そのたびに「ネコ科は気まぐれだから」と言い訳していた自分を、今は悔やむ。
レオンと出会ったばかりのころは、正直、恐怖の方が勝っていたと思う。向こうも、こちらを見知らぬ者として警戒していた。
僕がやった餌を少しずつ食べるようになってから。掃除中にふざけて、じゃれてくるようになってから。寝ているところを、撫でさせてくれるようになってから。どれだけの時間が経っていただろう。
「医者に診せたほうがいい」と言っても、園長は苦い顔をするだけだ。
外部委託の検査は高い。手を尽くせない理由が、現実にはいくつもある。
ライオン以外の獣舎でも、経費を割いて処理しなければならない問題は山積みだった。もちろんそれも、分かっている。
しかし、そんな理屈より、彼の息づかいの方が、僕にとっては何より真実味を帯びていた。
水差しを傾けると、彼はかすかに舌を動かした。冷たい水を少しだけ飲み込み、また目を閉じる。その瞬間までは、生きる音が確かにあった。
「ゆっくりでいい。……無理するなよ。」
声に出すと、空気が震えた。独特の獣の匂いが、ふと鼻先で揺れる。ここで働きはじめたときに気になっていたこの匂いも、仕事に慣れ、すっかり忘れていた。
外の檻で風が鉄を鳴らし、一瞬、鳴いていた虫の声が止む。月は高くのぼり、獣舎の床を淡く照らしていた。
そして夜が明ける頃、レオンは静かに息を引き取った。誰にも見せず、誰にも迷惑をかけず、まるで眠るように……。
昼、同僚たちと彼を布で包み、箱に納めた。大きな箱でも、その固い身体を押し込むように納めるのは決して簡単ではない。しかしみな、その手際はよく、声を荒げる者もいなかった。
朝方に、彼の毛並みに手を当てたときには、まだかすかにぬくもりがあった。それがすっかり消えてしまっているのを確かめたあと、僕は一度だけ深く頭を下げた。
枯れた草と、「何かがそこにいた」雰囲気だけがその場に残った。レオンのいた下の藁は、湿って暗い色に変わっていた。鼻をつく匂いがした。鉄のようで、甘く、少し腐ったような。
僕は息を止め、黙って藁を取り替えた。
そうして手のひらにぬめりが残る。汚れた手袋を、水で流しながら思う。
──何故。
僕は、レオンの面影を洗い流しているんだ。ずっと大事にしていた彼が残したものを、どうして。
はじめてここで、涙がこぼれた。
夜になって、もう一度獣舎に戻る。空の檻の隅には、あの麻袋が残されていた。風に吹かれて、ふっと転がる。
実際には、風に押されて少し傾いた程度のことだったろう。しかし、まるで、あの日のように。じゃれつく彼の影が浮かんだ気がした。
思わず「レオン」と呼んだ声が、静かな空気に吸い込まれていった。
そして少しだけ、心の奥で思った。
彼はきっと、もうどこかで走っている。
広い空の下で、陽の光を追いかけながら。
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