光がまた灯るまで【創作】
秋の気配が、校舎に少しずつ忍び込んでいた。
教室の窓から入る光さえ、どこか素っ気なく感じられる午後。
古びた蛍光灯が、チカチカと瞬いていた。
準備室の空気はまだ少しペンキの匂いがして、机の上にはガムテープの芯とハサミが散らかっている。アンナは、ポスターの角にカラーテープを貼りながら、遠くから響く笑い声を聞いていた。
「アンナ、それ、あとであたしが貼っとくね!」
芽美が明るい声で言う。
「え、でも、もう少しで終わるから──。」
「大丈夫大丈夫! いっぱい働いたんだから、休んでて!」
軽く肩を叩かれて、アンナは小さく笑った。
でもその笑顔の奥で、何かが少しだけちくっと痛んだ。
──私の「仕事」が、なくなっちゃったみたい。
やがてチャイムが鳴り、校舎の外から歓声が上がる。芽美たちが舞台で出し物をしているのだ。
アンナは道具置き場で絵の具セットを片付けながら、その拍手を聞いていた。ざわざわと、壁越しに響く音が、まるで遠い花火みたいに胸の奥で弾けた。
終演後、芽美が駆けてきた。頬は赤く、揺れる髪には金色の紙吹雪がくっついている。
「アンナー! すっごい盛り上がったよ! ごめんね、裏の方まかせちゃって!」
笑いながら言われたその「ごめんね」に、アンナは一瞬、返事ができなかった。よく知っている親友のことだ。悪気なんてないのは、わかってる。
──でも、心の底で何かが静かに波を立てる。
目立ちたいわけじゃない。ただ、ここにいたって証明がほしかったのかもしれない。
「うん。よかったね。」
そう答えると、蛍光灯がまた一度、明滅する。
光と影のあいだで、心がどこか遠くに行ってしまうような感覚だった。
* * *
文化祭が終わった翌週、校舎の廊下にはまだポスターの跡が残っていた。
アンナは放課後、剥がし残されたテープを指先でつまんでいた。
芽美とは、あれ以来どこかぎこちないまま。
声をかけようとしても、言葉が喉の奥でひっかかってしまう。
「……あいつ、最近ちょっと元気ないよね?」
教室の隅で、蒼がぼそりとつぶやいた。
琉也が窓際から振り向く。
「文化祭ロスじゃね?」
「いや、たぶんそれだけじゃないと思う。」
蒼はそう言って、机の上のマーカーを指で転がした。
「裏方でずっと動いてたろ。装飾、アンナが一番丁寧にやってた。
でも、あの日、芽美が……ちょっと手出しちゃったから。」
「あー、最後の仕上げを、横取りされたみたいな?」
琉也のその言葉に、芽美ははっと顔を上げた。
「……そんなつもりじゃなかったんだけど。」
「わかってる。けど、あの子はそういうとこ、すごく気にすると思うよ。」
蒼の声は静かで、どこか優しかった。
「そうだなあ。もともとあまり表に出たくないって、裏方希望だったとはいえ、な。」
琉也も合いの手を入れる。
芽美は唇を噛んで、スマホを握りしめていた。
* * *
次の休日。
芽美は、半ば強引にアンナをショッピングモールへ連れ出した。
「ちょっと! 買い物付き合ってよ!」
「え、でも……」
「どうせ暇でしょ?」
返事を待たずに腕を引かれ、アンナは人の波に紛れた。
誘われたり、声をかけられたりすると、断れない彼女の性分を、芽美はよく知っていた。
街はすでにハロウィン一色。オレンジのカボチャ、おもちゃのコウモリ、黒猫の飾りが並び、スピーカーからは陽気な音楽が流れている。
「にぎやかだね。楽しくなっちゃう。」
そんな芽美に、アンナがぽつりとつぶやく。
「うん。ハロウィンって、やったことないけど。」
「え、本当?」
「なんか……怖そうって思ってた。」
芽美は一瞬だけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。
そのあとも、ふたりで雑貨を見て回った。
いつの間にか琉也と蒼も合流し、騒がしくしながらついてきていた。
「おい、ガチャガチャあるぞ。ハロウィンの小物。」
「これに三百円、高くないか?」
ふたりで一回だけ回すことにして、どちらが二百円出すかで真剣にじゃんけんで争うふたり。
男子たちは無視して、芽美は後ろから、肩に手をやってアンナに話しかける。
「これ、あんたに似合うと思うけどな。」
深い紫のワンピースを指差すと、アンナは少しだけ頬を染めた。
「……派手じゃない? サイズは合いそうだけど。」
芽美はその後も、アンナが手に取る服のサイズをさりげなく目で追っていた。
帰り道、夕焼けがビルの窓に反射して、街がオレンジ色に染まる。
アンナの家は、この道からは別の方向だ。
芽美はポケットの中で、スマホをぎゅっと握りしめた。
「ね。月末にさ、蒼の家に来れない?
最近クッキー作りにハマっててさ。アンナにも食べてほしいの。」
アンナは少し驚いたように目を瞬かせる。
急に、どうしたんだろう。……気をつかってくれているのかな。
仲良くしたいのに、素直に受け取れない。面倒くさい自分が嫌になる。
「……うん、いいよ。楽しみにしてる。じゃあね。」
少し離れたところで、蒼と琉也が顔を見合わせる。
芽美になにか、意図するところがあるらしいことは察していた。
「ねー、なんで僕の家なの?」
「蒼の家は広いし! 立派なオーブンがあるでしょ。」
腕を組んで、芽美は言った。
「アンナに、人生初のハロウィン・パーティを、楽しんでもらうんだから!」
「文化祭も終わったってのに、元気だねえ。……俺らは何すればいい?」
琉也がやれやれといった表情で尋ねる。
「飾り付けと衣装の準備、頼める?」
「よし。まずはこいつを飾ろう。」
蒼の手のひらの上には、帽子をかぶった黒猫がカボチャに乗っている、小さな置物があった。
「おい。それ、俺が二百円出したんだぞ。」
「じゃんけんに勝ったのは僕だぞ。」
芽美は、ふと空を見上げた。
夕焼けの名残の中に、小さな月が出ている。
あの日チカチカと瞬いていた蛍光灯よりも、ずっと優しい光だった。
* * *
十月の終わり、風が少し冷たくなってきた夕暮れ。
アンナは蒼の家の玄関を開けて、思わず息をのんで立ち止まった。
部屋の中は、やわらかなオレンジ色に包まれていた。
カボチャランタンがいくつも灯り、テーブルには手作りのお菓子が並んでいる。クッキーの甘い匂いと、笑い声がまざって広がっていた。
「……これ、なに?」
アンナが目をぱちくりさせる。
「ハロウィン・パーティ! 内緒で準備してたんだよ。」
小悪魔ファッション風の恰好をした芽美が楽しそうに言った。
奥から、吸血鬼に扮した琉也がマントをひるがえして現れる。
「アンナを元気づけたいからって、俺たちも芽美に手伝わされたんだよな。」
代わる代わる登場する、いつもと違う格好の友人たち。ようやく着替え終わったらしい、狼男の蒼も、遅れて出てきて言った。
「この部屋の飾り付け、大変だったよ。文化祭では裏方やってくれて、あらためてありがとう。」
その言葉に、嬉しい反面、文化祭のときの記憶がよみがえっていた。
芽美とは、少しずつ話せるようになってはいたが、思い出すとやはり、胸がきゅっとしてしまう。
「ね、これどう? アンナが好きって言ってたアニメの魔法少女。あれをイメージして用意したの。」
その手には、紫のワンピースと星のネックレス。そういえば、いつか話したかもしれない。──覚えていてくれたんだ。
「でも……ほんとに、これ着るの?」
「当たり前じゃん。似合うって!」
背中を押されて、アンナはしぶしぶ着替えた。
鏡に映る自分の姿を見て、ふっと笑う。
別に、特別な魔法使いになりたかったんじゃない。
私は、みんなと同じ「ふつう」でいたかっただけだったのに。
「琉也の吸血鬼、けっこう似合ってるな。トリックオアトリート。」
「そっちの狼男もイケてるぞ。衣装、逆でも良かったな。トリックオアトリート。」
「あのね、あんたたち。それ挨拶の言葉じゃないわよ。」
男ふたりに突っ込みを入れる芽美に、アンナは吹き出してしまった。
つられて、みんなが笑う。
みんなが笑っているその輪の中に、自分がいる。
それだけで、胸の奥のわだかまりが少しずつ溶けていった。
「はい、これ。」
芽美に差し出されたクッキーをひとつ口にする。少し焦げているけれど、甘くて、どこか懐かしい味がした。
* * *
その瞬間、部屋の明かりがふっと消えた。
──停電だった。
「えっ、うそ、ブレーカー!」
「うちだけじゃない、他の家もだ。」
「ちょ、暗いの怖いんだけど!」
琉也の声に、少しだけ空気がほぐれる。
幸い、電池タイプのランタンが生き残り、完全な真っ暗闇ではなかった。
「スマホのライト、つけよう。」
それぞれがスマホを掲げると、光がゆらゆらと天井に反射した。
カボチャの置物の影。
小さく鳴いた、蒼の飼い猫のクロの影。
ひっそりと、例のカプセルトイの小物の姿もあった。
暗闇の中で、オレンジや白の光が交わり、まるで夜空の星みたいに輝いていた。
男子ふたりは、懐中電灯を探しに隣の部屋へ行っている。
部屋にはアンナと芽美だけが残っていた。
しんと静かな暗闇で、ハロウィンの世界観の中、ちらちらといくつもの光が泳いでいる。
「……アンナ、やっぱり怖い?」
芽美が小声で囁く。
アンナは少し考えてから、静かに首を振った。
暗いのは怖い。でも、ひとりじゃないから。
「ううん。……あったかい。」
──また、しばらくの沈黙。
壁時計の秒針が、心音に重なって響いている。
「あのさ。」
ふと、芽美がぽつりとつぶやいた。
「なに?」
「ごめんね。」
「え?」
アンナは、耳を澄ます。
友人の声が、ふるえているみたいに聞こえた。
「あんたが困る顔、あんまり見たことなかったからさ。
──文化祭のとき、あたし、アンナのこと気づいてあげられなかった。……あのとき、きっと傷つけたよね。」
アンナは大きく首を振った。
「……私こそ。気にしてるって言えばよかったのに。……ごめん。」
「じゃあもう、仲直りだね!」
芽美が笑うと、アンナもようやく笑い返すことができた。
停電はすぐに復旧した。
けれど、あの短い時間はきっと。
暗闇だったからこそ、ふたりの心に温かい余韻を残していた。
* * *
──後日。ふたりの男子が、女子ふたりについていくかたちで、連れ立って下校していた。
「停電したときはどうなるかと思ったけど。まあ、パーティは成功かな?」
琉也の言葉に、蒼が小さく笑う。
「ああ。あいつらふたりも、すっかり元通りみたいだな。」
少し離れたところで、女子ふたりも、にこやかに話をしている。ちょうど、アンナが芽美に声をかけたところだった。
「ちょっとびっくりしたけど、すっごく楽しかった。ありがとう。
──灯りが消えても、また点ければいいんだよね。」
「あたしたちの友情もね。わはは。」
芽美は調子よく快活に笑った。
琉也が後ろで「うまいこと言うじゃん」と言い、アンナの笑い声がその輪の中に溶けていく。
これから冷たい季節が来ても、きっとまた、あの灯りを思い出せる。
胸の奥の、かすかなぬくもりとともに。
いつもの道では、夕陽がオレンジ色に滲み、静かに世界を照らしていた。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。