黒猫と光【創作】
深夜の公園。
街灯の下で、男が段ボールを置いた。中には、黒い小さな猫。
小さな鳴き声を、夜の静寂がさらって流していく。男はスマホを立てかけ、画面を確かめながらしゃがみ込んだ。
「──捨て猫みたいです。今、緊急で保護しました!」
カメラの向こうに向ける声は、少し硬い。それでも、編集で音楽を足し、テロップを重ねれば「心温まる瞬間」に見える。
再生回数が伸びれば、それでいい。
信念の宿った男の目が、再度画面を確かめる。かつてのアカウントでは、投稿した動画がまったく再生されなかった。これは再出発のための、第一歩だ。
男は猫を抱きかかえながら、まるでどこか遠くを見ているような眼差しだった。
* * *
数日後、その動画はSNSで拡散される。
動画には、餌を与える姿や風呂に入れてあげる姿、元気におもちゃで遊ぶ姿などがおさめられていた。
「優しい人ですね」
「涙が出ました」
称賛のコメントが並び、グッドボタンが押され、フォロワーが増えていく。
男のアカウントが爆発的に伸びる一方で、違和感を持つユーザの声も大きくなっていった。
できたばかりのアカウントに、用意周到な猫グッズ。発見から救うまでの過程を、ひとりで、それも画角を意識したように丁寧に動画におさめるという冷静さ。
そして、動画の投稿数も増え、これからより期待されるチャンネルへと成長しつつあった頃。あるユーザから別の動画が投稿された。
──同じ夜に、遠くから撮られた映像。男が自分で猫を段ボールに入れ、その後撮影をしている様子が、そこに映っていた。
通りすがりの人物による、数十秒程度の粗い動画だった。
「やらせだったのか」
「最低だな」
「猫がかわいそう」
「動物をいじめて商売道具にするな」
一夜にして、すべてがひっくり返った。グッドボタンを押していた者たちは、わざわざバッドボタンに切り替えて去って行った。
話が進んでいた契約の話はなくなり、アカウントは執拗に荒らされた。
男は、アカウントを削除した。
* * *
照明の落ちたワンルームで、男はただ座っていた。冷蔵庫のモーター音が、部屋の静けさに溶けていく。
毎日のように使っていたリングライトは、箱の中にしまわれている。
膝の上では、あの黒猫が小さく丸まっていた。
スマホを手に取る。レンズを向けて角度と光量の調節をしようとした瞬間、指が止まった。
撮影する理由が見つからない。
前までは、カメラを向けたときには、サムネイルのイメージ、動画の流れ、挿入するテロップまで自然と頭に浮かんできた。
思えば、この猫と一緒にいるときはずっと、撮影するためのスマホを手に持っていた。
猫の毛並みに、やさしく手を触れ、はっと気づく。「本当に」この猫を拾った日、その毛並みはごわごわだった。
この猫を使って有名になれないか。焦りからくる邪な心から、風呂に入れ、ブラシを使って整えてやった。
その結果──猫の毛は、今やさらさらの触り心地になっていた。
ぬくもりが、手のひらから静かに広がる。猫は、膝から上ってきて男の鼻をぺろりと舐めた。
辺りには風呂上がりの石鹸と、やさしい獣の香りの混じった熱気がまだ漂っている。
男は「映える」ためではなく、「一緒にいる」ことの意味に、はじめて気づけた気がした。
* * *
数か月後。
別の名前で、フォロワーもほとんどいないアカウントが動き始めた。投稿されるのは、何の演出もない、平凡な日常。
黒猫が窓辺で伸びをする映像、寝息の音、爪を研ぐところ。走り回って、テーブルから物を落とす姿。
同じ黒猫の動画であっても、話題性や面白みがなければ、再生数は三桁にも届かない。けれどコメント欄には、短い言葉が並んでいた。
「癒されました」
「今日もありがとう」
彼は、ふと笑う。
あの公園での撮影のときと同じ、夜。今は街灯ではなく、天井で影がかすかに揺れるだけ。
それでも、光を演出していた頃の自分より、暗い部屋で猫と過ごすこの時間の方が、ずっと正直でいられる気がする。
男は、抱きかかえた猫の目をまっすぐ見つめて、小さく名前を呼んだ。黒猫はただ、腕の中で、ごろごろとのどを鳴らすだけだった。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。