異世界の歩き方【創作】
いよいよ自分も、「異世界転生」というものを体験することになった。
といっても、とある投稿サイトで編集補助業務に携わることになった、というだけの話だ。
日々管理画面で、初動のページビューや、一話あたりの滞在時間などを確認し、特集ページでの候補となる作品を選出する。
また、編集会議までに、読み進めた中で目をひいた作品や、ユーザから寄せられた意見、ユーザーインタフェースの改訂案などをまとめるのが主な仕事だった。
私はファンタジー小説は読んだことはあっても、異世界転生モノは初体験だった。相当に、流行っていると聞いている。この職に移ったからには、避けては通れないジャンルだと思い、どういったものかと読み進めてみる。
主人公はなんらかのかたちで異世界に転移または転生し、与えられたなんらかの能力や現代知識を披露し、作中で問題を解決していく。あるいは、もとから異世界にいて、追放されたり最弱職だったりする中から成りあがっていくパターンもあった。
このような定型の様式の中、それぞれの作者が新規性を模索し、努力して文字を紡いでいる。そんな印象だった。
悪くない。数字も出ている。作品についている読者コメントも、概ね高評価のものが多い。当サイトから商業化にいたった実績も多数。しかし、その導入などで、ふと違和感を覚える瞬間がある。
前職でのゲーム制作の現場では、遠景用オブジェクトを「ハリボテ」と呼ぶことがあった。
そこに街並みは見えている。しかしプレイヤーは近づけず、触れられず、当たり判定もない。
異世界作品を読んでいると、ときどきそれに似た感覚を覚えることがあった。
* * *
編集会議前のレビュー業務。私は、複数の異世界作品を読み進めていった。読み手にとってどうか? という視点を大事に、メモを取っていく。
「親切」「わかりやすい」。
「テンポがいい」「キャラクターが魅力的」。
「世界観が独特」……。
複数の作品で、似たような評価語が並ぶ。しかし。
「スキルウィンドウが表示され、ステータスが可視化されていた。」
「そうか、この世界は〇〇になっていて、自分は〇〇という立場なのか!」
作中の地の文による説明。主人公から発せられる言葉。読んでいるのに、読み手である自分が、どこを歩いているのかわからない。
触れられないものの、説明だけをされているような感覚。
構成上、一話目でとにかく情報を詰め込む必要がある。要素を削って後の話に託すと、三話までに読者は離脱してしまう。それはページビューを見れば明らかだった。
物語の中の主人公たちは、当然のように自分の「スキル」が見えるし、「レベル」が分かる。転生前の記憶を保持し、かつ転生後の自身の人生の記憶も兼ね備えていた。
そのあたりの理屈の説明はされない。「みなさんご存じの」「こういうものだから」という部分として省かれ、それよりも物語を加速させ、主人公の活躍を見せる場が優先される。
読んでいて、わくわくする部分は要所要所にあった。そして何より、軽快で肩ひじを張らずに読めるところが良い。そもそもが、スマホ片手にサクッと読む若年層をターゲットに据えていると考えると納得できた。
細かい字を見続け、疲労した目を瞑って軽く押さえる。それでも黙々と、課された作業を続けていた。
* * *
今回の編集会議は、作者同席のもと、感想共有のために開かれた。私をこの職場に誘ってくれた同僚の峰岸や、他の編集者、上司も一緒だった。
同席した作者とは、サイト内で開催した賞の受賞者でもある。言うまでもなく異世界モノで、私も目を通した。スキルの設定はよくあるものだったが、それを活かす型破りなキャラクターが魅力的な作品だった。
しかし、様式美というのだろうか。導入は基本的には他作品と同じだ。
「初手から導線がきれいですよね。」
「ここのセリフについて、キャラクターの性格としては──。」
モニターの文章に視線を流しながら、黙って聞いていた。話に区切りがついたところで、峰岸に話を振られた。気を遣ってくれたのかもしれない。
「どう? 前職の視点で見て。」
「ええ、そうですね...…。」
あまり踏み込まず、無難な意見を言ってもいい場だった。しかし、率直に思ったことを伝えたい気持ちもある。
「私は、ゲーム会社に勤めていました。単純にゲームが好きだから携わりたいという安易な気持ちで業界に入りました。……そういう意味では、異世界ファンタジーは古き良きRPGの世界に通じる空気感があって、親しみやすい。」
作者本人も、こちらを向いて真剣に耳を傾けている様子だった。
「しかし、目の前に広がる世界を噛みしめるには、私には年齢のせいか、少し追いつけない部分もあります。
……そうですね。攻略本でマップを俯瞰し、チャートをなぞって進める感覚というのか。世界が見えているのに、自分で歩いている感じが少し薄いというか。」
上司と、同僚が顔を見合わせる。作者は顔をそらし、手元でペンを触りながら、モニターに視線を戻した。
「そんな中、私がこの物語で強く印象に残ったのが、洞窟内、魔法の罠で同じ状況が繰り返される場面です。言葉少なに、人物の感情と感触で描かれている。
そして、主人公は微細な違和感に気づいて突破しますよね。気づきの部分の小道具の伏線も効いていて心地よい。……うまく言えませんが、この場面のように、世界が少し遅くなると感じる箇所が、いくつかありました。」
会議室内が、少し静かになる。
「先のシーンでは、洞窟内に自分も立っている感覚があって。かつて、3Dダンジョンゲームをプレイしながら、方眼紙にマップを書き出していたあの頃の手触りを感じられた気がして。そこが良かったです。」
作者は、一瞬だけ目を見開いた。
* * *
会議のあと、私は残っていた若手の編集者に声をかけた。
「……さっき話したの、要るやつだったかな?」
あのとき、作者は特に反応を示さず、そのまま帰っていった。最近の流行にも乗り切れていない立場で、「余計なことを言ったか」と少し後悔しはじめていた。
「...…いえ。僕も、ちょっと分からなかったんですけど。今日の会議の話題の中では、あの話、なんか気になりました。」
分からない。
そうだろう。私もまだ、正しく言葉にできている気がしない。
「……まあ、感覚の話ですよ。」
適当にお茶を濁して、私は会議室をあとにした。
作者から短いメッセージが届いたのは、数日後だった。
「コメントをありがとうございました。あの場面では、説明の少なさが怖かったのですが、自分の感覚を信じて良かったと思えました。」
ダイレクトメッセージを一度開き、例の場面をもう一度読みに行く。そしてまた、画面を戻して同じメッセージを読み返した。張りつめた気持ちが、少しだけほどける。
説明されない場所は、まだ残っている。それこそ、暗い洞窟の曲がり角みたいに。
少し不親切で。けれど、ちゃんと地面を踏んで歩ける場所が。
私は今日もトップページを開き、ランキングを眺めていた。
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