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ミカゲグサ【創作】

「『音』のする草? へえ、初耳だな。」

グラスを置くと、氷が細く鳴った。俺はあげた顔を相手に向ける。小難しい話題ばかりが続いていた中で、妙な言葉が滑り込んできたもんだ……。

「知らないのか。きみは、ニュースを見ないと言ってたからな。──今、増えているらしいぞ。」

古いグラス越しに揺れる琥珀色。焦がした砂糖のような香りが、鼻に抜ける。

郊外の住宅地、数十年来の友人の家のリビング。時刻は夜、八時半。壁一面に、古紙の匂いのする本棚。そして、足元に置かれた加湿器は静かに白い蒸気をたてていた。

「名前は……そうだ、ミカゲグサ。『御影草』だ。」

友人の中年男──昔から、癖の抜けない横分け──が、ブランデーグラスを弄びながら続ける。頭に残る寝ぐせは、気の置けない間柄ならではだった。

「セイタカアワダチソウ、知ってるか。こいつは園芸界隈の嫌われモンだ。地下に細い根が無限に伸び、さらに毒を出して他の植物を育たせない。

ミカゲグサも同じようなもんだと。……根は浅くて、下はびっしり。おまけに抜いても植生が戻りにくいらしい。増えたら、在来種がやばいってさ。」

「外来種か。」

「ああ。最新のニュースによると、花粉が淡く光るらしい。風で揺れると、ざわざわ……と、微かに喋ってるみたいな音がするって。」

冗談めかした口振り。けれど笑っていない。沈黙のたびに、氷が触れる微かな音が響く。

友人がスマホを操作し、テレビに動画サイトの映像を流す。他に話題にできるニュースがないだけかもしれないが、やけに大げさに取り上げられていた。

「これがミカゲグサか。」

テレビには植物がアップで映し出されている。まっすぐに伸びた、少し太めの茎。そこからさらに無数に枝分かれした細い茎の先には、申し訳程度の黄色い花をつけていた。

この画だけでは、ありふれた雑草程度にしか見えない。俺は、友人の座る方へ視線を戻した。

「光に寄るらしいんだよ。街灯とか、コンビニの看板とか。変だろ、太陽には向かない。夜の光ばかり追う。」

友人は少し、身を乗り出す。

「実害のあった例では──室外機あるだろ。あれの隙間から生えて、配線に絡んでたってよ。一本だけだったのが、次の日には十本になってたって。電機屋が困ってた映像も出てた。」

「……植物が、配線に?」

疑わしい話だった。しかし目の前の男は、人を脅かすための嘘や冗談を言う性格ではない。

「ああ。あと、自動ドアが開かなくなった店。センサーのところに蔓が絡んで、外からは見えないくらい細いのに、ピタッと反応が止まってたとか。変な話だよな。」

笑い話のようで、まったく笑えない。

変な話、で片付けたいのはこっちだ。ちくりと、苛立ちに似たものが胸をかすめた。なぜこんな話をわざわざ今、と思う。自分でも気づかぬうち、ブランデーを一口飲んでいた。

──ミシッ。

突然の音に、肩が少し跳ねる。空気が止まった感覚だった。俺を見て、友人は笑う。

「家鳴りだよ。木が湿気ってるんだろ。前より回数が増えた気はするが。」

言葉を飲む。加湿器の蒸気だけが、白く揺れている。友人の顔が、グラス越しにわずかに歪んだ気がした。

その後は、取り留めのない話へと流れていった。古いゲームの話、共通の同級生の噂。

俺は十時前には暇を告げ、分厚い玄関扉が閉まる音を背に、夜の通りへ出た。

外は冷えていた。湿度を帯びてはいるが、酔い覚ましに歩くにはちょうどいい気候だ。このころには、俺はミカゲグサの話題などすっかり忘れていた。

おそらく、帰宅後に空いた小腹を何で満たすか、そんなつまらないことが頭を占めていただろう。街灯の下では、電線にまとわりつく霧がぼんやりと光っていた。

十分ほど歩いて、自宅にたどりつく。鍵を出そうとしたとき、ふと視界の端に違和感を覚え、手が止まった。

玄関前のタイルの目地。そこから、一本の茎が、まっすぐ立っている。

──昼間に、こんなものあっただろうか。

確認のため、よいっとしゃがみこむ。その瞬間、酒の影響で軽く脳が揺さぶられる。

「それ」に手を伸ばすと、触れる寸前に風の気配がなくなった。茎は驚くほどまっすぐ。まるで定規で引いた線のように、乱れがない。一本なのかと思いきや──奥を見ると二本目、三本目が、等間隔に並んでいた。

直線に、揃っている。光の方──玄関灯に向かって。

思わず、眉が寄る。

──こんなかたちの草、見た覚えが──あるか? ……ないか?

指先がすっと冷え、呼吸が薄くなる。先ほどまでぼんやりとしていた意識が少しずつ、かたちを取り始めていた。風もないのに、わずかに葉が揺れた気がする。

──……。

耳の奥で、空気が撫でられたような音。聞き慣れない、ささやき声のような。このとき、玄関灯が少しだけ瞬いた。

逃げ込むように鍵を差し込み、ドアを閉める。部屋の中に入るまで、背中が見られている気がしてならなかった。今は、静けさ。冷蔵庫のモーター音が低く、妙に遠くに響いている。

ざわ……

自分の鼓動が、耳に触れただけ。そうに違いない。
靴も履いたまま──俺はそう、自分に言い聞かせていた。


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財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。