濡れた靴底【創作】
夜のランドリーに通うのが、最近の私の日課になっていた。今日も、衣類の乾燥が終わるタイミングに合わせて、静かな道を歩く。近所にこんな便利な、24時間営業のコインランドリーがあったなんて、家の洗濯機が壊れなければ知ることもなかった。
外は静かで、街灯の光が湿ったアスファルトにぼんやり反射している。駅から少し離れたここでは、田畑の輪郭が闇夜に溶け込み、揺れる稲の葉がかすかに音をたてていた。
店内は無人で、乾燥機の低い唸りだけが響いている。少し早く着き、椅子に腰かけて乾燥が終わるのを待つ。冷房が効きすぎていないのも、ここの助かるところだ。
ふと見ると、私の回す乾燥機の隣で、何かが回っていた。一瞬、目を疑った。うす汚れたスニーカーが、衣類とともに乾燥機でぐるぐる回っていたのだ。
「なにこれ……衣類用なのに!」
思わず眉をひそめ、スマホを取り出して写真を撮った。店内に貼られた管理者情報宛てにクレームを入れようかとも考えたが、そこで自分の乾燥機が止まったため、ひとまず自分の洗濯物を回収することにした。
そろそろ全部取り終えようかというとき、外からかすかに音が聞こえた。
ザッ、ザッ……。
サンダルで地面を払うような、規則的な音。
ついさっきまで誰もいなかったはずの、外からだ。仮に他の客が入ってくるにしても、自分ひとりのところに現れるとなると、わずかな緊張感が走る。
……しかし、少し経ってもその「何者か」は現れない。
私は耳を澄ましていた。気のせいだったのだろうか?
その瞬間。
乾燥機がガタンッ、と異音を放ち、その扉が勝手に開いた。
そして、バンッ! と一対のスニーカーを床へ吐き出す。
一歩、二歩後ずさる。心臓が胸を打つように跳ねた。
誰も、いないのに……。
靴を回していた乾燥機。さきほど見た際に表示されていた残り時間は、まだ少し先だった記憶がある。ふと、洗剤の匂いが鼻先をかすめる。いつもは心地よく感じるその匂いが、いつもよりやけに鼻についた。
足元のスニーカーを見下ろし、私は手が震える。
乾燥機から派手に飛び出したはずの「それ」は、今しがた人が脱いだばかりかのように、綺麗にそろえて並べられていた。乾燥しきれず、靴底がまだじんわりと湿っているようだった。
──このまま、ここにいてはいけない。
私は急いで洗濯物を抱え、ランドリーを後にした。
* * *
家に着くと、私は仕事から帰っていた夫に話した。
「靴が……乾燥機で回ってて、突然飛び出して……。」
夫は笑いながら首を振る。
「幽霊かと思ったって? 衣類用だから、靴にセンサーが反応して止まっただけだよ。」
確かに、その理屈はわかる。でも、あの外からの靴音と乾燥機の揺れ方が頭の片隅から離れなかった。
その後は、散歩がてらランドリーへ夜行くことはやめた。夫も一応私を心配して休みの日に洗濯に行ってくれるし、私も利用する場合は、他の客のいる午前中の時間帯にとどめておいた。
壊れた洗濯機の代わりについても、早々に種類を選定して購入し、週明けには業者さんが来て設置してくれることに決まった。
* * *
すっかり私は、例の数日前のランドリーでの一件は忘れていた。結局、管理者へのクレーム等も行っていないままだ。
しかしその日、ニュースは飛び込んできた。
「K市で殺人事件発生。容疑者は犯行後、証拠隠滅のためランドリーで靴を洗浄していた模様……。」
テレビに、見覚えのある景色がふっと映り込む。まさか、と思う間もなく、次の瞬間、画面に映し出されたのは──まさしく、あのランドリーだった。
続けて、犯人のものとされる靴がクローズアップされる。急いで私は、スマホの写真フォルダを見返す。
写真に収めたのと同じ種類。同じ色……。
あの日、外から聞こえた音。そして、揺れる乾燥機……。
バンッ!
頭の中で、靴が飛び出したあの音が繰り返される。背筋がぞくりと冷え、手のひらに汗がにじんだ。
犯人と私は、すれ違っていたのかもしれない。
もし私が、もう少しランドリーに行くのが遅かったら……?
夫の言うように、幽霊はたぶんいなかったのだろう。ただ、それ以上怖いことが現実にあるのだと、この一件で私は思い知らされた。
私は、深く息を吸い込む。
まだ暑さが残る夏の夜。窓の外には、いつもの街灯に照らされた闇が静かに広がっている。だが、あの濡れた靴の残像は、頭の片隅から消えそうもなかった。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。