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カーテンコールのない朝に【虹色創作部 / 粉雪】

私はひとりで、突き刺すような冷たい風を顔に受けながら、駅に向かった。睨むように道を見据えて、一歩一歩を踏みしめる。前向きな気持ちを、曇り空に邪魔されたくはなかった。

早朝の田舎道は、まだ目を覚ましていない。霜の残るアスファルトに、遠くで新聞配達のバイクの音だけが小さく響く。

──朝は静かでいいね。

そう言ってポケットに手を入れ、冬の気配に溶け込んでいた彼の姿は、私の隣にはない。

思えば、私と彼は、台本のト書きのような──セリフ無しの関係性だった気がする。彼は恋人という役を、途中で降りてしまったけど。私はこれでも、やりきって、幕を下ろしたつもりだ。

ほろほろと雪がちらつきはじめる。駅に着くまで、本降りにならなければいいけど。


出会ったのは、高校の演劇部だった。上手い下手でなく、主役を持ち回りでまわしているような、お遊びに近い部活動だった。

演劇部は楽しくて、ずっと続けていた。けれど、彼と、稽古のない日に会うようになってから──セリフ確認や演技指導以外の話題を話すようになってからのほうが、よほど居心地がよかった。

信号待ちの時間が長く感じられる。相棒のトランクを指先でとんとんと叩きながら、身体を小さく揺さぶった。

彼は亡くなったわけじゃない、けど、私たちの関係性はもう──。


違和感を覚えたのは、彼が台本の外で、未来について話さなくなったことだ。来週の約束すら口ごもる彼に、私はやきもきした。

彼の病気を知らされてからも、喧嘩して、寂しくなって、また仲直りしてを繰り返してきた。小さな改善に一喜一憂しては、期待を裏切られて。でも、待つのは苦痛じゃなかった。外の寒さが強くなってからも、会って話せればそのたび魂には灯りがともっていた。

けれど、ある日。

「大丈夫」といいながら、毛布をぎゅっと握っている彼の手が、震えているのを見て、私は目を逸らした。

何も悪くないのにいつも謝られて、会話のテンポも前よりわずかに遅れていて。かすかな音もたてない笑いだって、私は聞きたくも見たくもなかった。

お見舞いに行くたび病室内で聞いた音──。
「ピー」という短い心電図のアラーム音。
それは、彼をこの世につなぎとめてくれる唯一の音だった。

彼の回復を信じて待つか、ひとりで旅立つか。そう問われるまで、時間はかからなかった。いつしか私も、病状の説明を詳しく聞かなくなっていた。ただ「卒業後、都会に出ようと思う」とだけ、言葉をこぼした。

彼は私を、引き留めない。未来の話をしないのも。選択を委ねるのも。私に「こうしたい」を言わなくなった彼の態度は、「きみが決めて」というサインに見えた。

いつも私の荷物は持ってくれても、自分の荷物は持たせてくれなかった彼。あえて背中を押さずに、私を送り出すことを許してくれている。

だから私は、別れの言葉を準備しなかった。電車の時間だけを伝えて、「またね」と病室を後にした。「見送りには行けないけど」と、ぽそりとつぶやく言葉が、背中で聞こえた。


駅の構内に入っても、身体に這い寄る冷えは残ったままだ。私はマフラーを巻き直して、白い息を吐く。列に並び、後ろを振り向かずICカードを改札にかざした。

「ピー」という、乾いた音。

その音に、白い部屋がふわりと眼前によみがえる。誰も座っていない、ベッド脇の丸椅子も。「もう一度かざしてください」の表示が灯り、改札機が私の前進を静かに拒んだ。

私は、後ろを振り返る。
そして、遠くの景色がふっと目の前に落ちた。

少し離れた場所で、ここには来ないと言っていた「彼」が手を振っていた。駅前の小さな橋の上。マスクで、彼の口元はよく見えなかった。

でも、目が合う。本当に、ほんの一瞬だけ。視界から切り取られたみたいに──彼は「私を行かせるため」に、見送りに来てくれた。

私と彼との間には、粉雪だけが舞っている。その白い時間、周りの景色も、人の呼吸も。世界の裏側へ吸い込まれていった。

そして私は、改札機から解放された。

次の瞬間、世界は音を取り戻し、彼の姿は視界からもう消えていた。


雪の中、定刻通り列車は到着した。ここまで引きずってきたトランクと一緒に、何とか乗り込む。

言えなかった言葉は、たくさんある。あの粉雪のように、少しずつ積もっていた。けれど、肩に乗っていた雪はもう、消えてしまっている。

漂っていた魂が、すとんと私の身体に落ちる。舞台袖に置き忘れてきた感情が、ようやく胸に戻る感覚。

電車の中で、静かに揺られながら──。
白く染まってゆく故郷に、私は小さく、さよならを言った。



※以下の企画に参加させていただきました。



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財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。