悪姫草【創作】
それは、当たり前のように生えていました。
雨にも風にも、寒い場所にも暑い場所にも強い、生命力溢れる植物でした。
時期がくれば立派な花をつけました。言葉では言いあらわせぬ美しさで、他では嗅いだことの無いような優しい香りで、周りにいる人たちを幸せにしてくれました。ただし、花を咲かせるのはほんの少しの間だけです。そして花の季節が終わりかかり、花粉を飛ばす時期には、いっそうつよい香りを放つのでした。
どのような環境でも育つ植物なのに、あまりたくさん生えているところは誰も見たことがありません。前はあちらに、次はこちらに、今度はそちらにと、その年その年で増える場所を変えているような、そんな気まぐれな花だったのです。
その頃、この花に決まった名前はありませんでした。その土地によって様々な呼ばれ方をしながら、はっきりと定まらぬまま、また別の土地へと移り咲いてゆく……と、こういったわけだったのです。
あるとき、この美しい花を同じ場所にずっととどめていられたらどんなに素敵なことかと、ひとりの女の子は考えました。
女の子は花を数本やさしく摘むと、家のそばに植え替えました。
毎日欠かさず水をやり、一本一本丁寧に、心をこめて育てました。可愛がって育てれば育てるだけ、それは応えるようにすくすくと枝葉を伸ばしてゆきました。
そしてその年の実りの季節には、女の子が以前摘んだときよりもずっと美しい色の、大きな花を咲かせたのです。
透明感のあるうっすらと桜色をした花びら。
しっかりと根を張っているのに、風が吹くたび揺れる姿はどこか儚げで、その都度ほのかな甘い香りをあたりに運びました。
感動した女の子は、その花に“恋姫草(こいひめそう)”と名前をつけてあげました。その名前は、彼女の村の人々にも受け入れられます。というのも、彼女が育てた花を見れば、それ以外の名前は相応しくないと思われるほど、印象にぴたりとはまる名前だったからです。
彼女が植えた恋姫草は、場所を変えることなく、年ごとにその数を増やしてゆきました。増えるほど面倒を見るのは大変になってゆきましたが、それでも花のためなら労力を惜しむことなく一生懸命世話をしました。
一日だって、花の様子を確認しない日はありません。雨風の激しい日でも、体調がすぐれない日でも。少しでも目を離せば、気がかりで落ち着かず、どうしようもなくなってきます。そして、そばへ行っていつもと同じ様子でただそこに佇んでいる姿を見ることが出来れば、ほうっと安心してため息をつくのでした。
開花の時期が近づくと、村の人々はこぞって女の子の恋姫草を見にやってきました。そして花を咲かせれば、ほんのり漂う匂いが季節の変わり目を告げる役目を果たし、ああもうそんな時期になったのかと、村の風物として皆から慣れ親しまれるようになりました。
女の子は、自分の育てた恋姫草を誇りに思っていました。
ずっとここで、私が世話をするんだと意気込んでいました。
あるとき、領主さまが彼女の家に訪ねてきました。お父さんに大切な話があるというので、女の子は何かしらと思いましたが、それ以上のことは知らされませんでした。
領主さまは、女の子のお父さんに"自分の娘のために恋姫草を譲って欲しい"と言いました。この村で評判の、美しい花畑の噂を聞きつけてのことでした。そしてどうやら、娘さんたっての希望のようで、どうあっても叶えてやりたいのだそうです。
お父さんは"申し訳ないがそれは出来ません"ときっぱり断りました。女の子が恋姫草をどんなに苦労して育ててきたか、どんなに大切に思っているかをよく分かっていましたし、その女の子は父親である自分が苦労して育て、大切に思っているひとり娘だったのですから。
しかし、領主さまは引き下がりませんでした。たんに譲り受けたいだけではないのだと、事情を話し始めました。
言うことには、領主さまの娘も、女の子と同じように、摘んできた恋姫草で花畑を作っているのだそうです。ですが、はじめのうちに少しは花を咲かせていた花たちも、とうとう今年はひとつも花をつけなかったというのでした。
それもそのはず、娘はあまり世話をしたり面倒をみたりすることには熱心でなく、ただ季節がくるたびに咲かせる花だけを期待してその日その日を過ごしていたのです。
そのことを伏せて、領主さまはお父さんを言いくるめようとしました。一生懸命世話をしている娘が可哀想で仕方がない、それに引き換えあなたの娘さんはとても素敵な花畑をひとりで立派に育てている……うちの花畑とあなたの花畑を交換して、こちらの恋姫草にも元気な花を咲かせてやってはくれまいか……と。
お父さんは、確かに元気を無くした恋姫草の花畑も、自分の娘ならばきっと熱心に面倒を見てじきに素晴らしい花畑に化けさせてしまうに違いない…そう思うようになっていました。そしてついに、割に合わない交換だと知りながら、領主さまの言うとおり、ふたつの畑の恋姫草をすり替えてしまうことに決まったのです。
恋姫草の植え替えは、領主さまの雇った男たちによってひっそりと行われました。たいへんな作業でしたが、人数がありましたので、一晩でことは済みました。かくして、女の子の恋姫草は領主さまの娘のもとに、領主さまの娘の恋姫草は女の子のもとに植え替えられました。
翌朝、驚いたのは女の子でした。一目見て、自分の目を疑いました。泥にまみれて育てた恋姫草が、自慢の花畑が、すっかり生気を失ったかのようになっていたのですから。ひとつひとつ、声を掛けながら様子を見て回りました。もちろん、ひとつも花を開かせたものはありません。女の子は目にいっぱいの涙を溜めて、その場にくずおれました。
可憐な花たちが自分を裏切って、つぼみに戻ってしまった。水撒きの水を汲みに行こうにも、体が動きません。自分の与えてきた愛情は、実を結ばなかった。葉っぱに虫がついていないか調べようにも、やはり心がついてゆきませんでした。今まで見ていた恋姫草の美しい姿は、幻だったのだろうか。そう考えた女の子には、もはや花畑の世話を続ける気力は失われていました。
喜んだのは、領主さまの娘でした。彼女は、父によって恋姫草のすり替えがあったことは分かっていましたから、朝起きて畑を見ても別段驚くこともありません。あるのは、美しい恋姫草を自分のものに出来たという満足感と、女の子の花畑を奪ってやったといういやしい気持ち。そうして後、娘は毎朝のようにご満悦の体で畑の恋姫草に見入るのでした。
彼女は、村の女の子のように、まわりの人に自分の恋姫草を見てもらい、幸せな気持ちを分けてあげる、というようなことはしませんでした。美しいこの花たちは全て自分のものだと、他の者に近づくことすら許しませんでした。
しばらくして、村の女の子が病にふせってしまったという噂が娘の耳に入りました。しかしこの噂は、娘にとっては喜ばしいものでありました。自分以外に、恋姫草の花畑を持つ者は必要無いと考えていたのです。せっかくすり替えた元気の無い恋姫草を、女の子が再び美しい花畑に戻してしまっては面白くない……と、こういうふうに思っていたのでした。
しかし、その噂を聞いた頃くらいからでしょうか。領主さまの娘の持つ、美しい恋姫草の花畑は少しずつ、その姿を変えていったのです。
ある朝、柔らかく膨らんでいた葉は、刺々しい堅い葉に変わっていました。
ある朝、ぴんと伸ばしていたはずの茎は、ぐにゃりと奇妙な形に曲がっていました。
ある朝、桜色であるはずの花びらは、紫の毒毒しい色に染まっていました。
ある朝、良い香りで包まれていたはずの畑は、嫌なにおいで満たされているのでした。
娘は、やはり花の知識も乏しければ世話をする努力もしませんでしたから、元の素晴らしい花の姿を取り戻すことなど、出来るわけもありません。
こうなっては、娘は花を育てるどころか、様子を見に行くことさえしなくなりました。美しくない花畑になど、興味もわかなくなりました。
醜い恋姫草は、誰に面倒を見てもらうというのでもなく、醜いまま成長してゆきました。
一方、村の女の子の病は、ますますひどくなっていました。彼女のお父さんは、後悔してもしきれない思いでした。愛娘から大事な花畑を取り上げてしまったばっかりに、彼女は気落ちして寝込んでしまい、今では命さえも危うい状態になってきている。自分を責め続けても、女の子のからだがよくなることはありませんでした。
恋姫草が花を閉じはじめ、花粉をとばす季節の頃、女の子は息を引き取りました。村の者達は皆、彼女のために涙を流しました。
女の子の死は、領主さまにも、彼女の娘の耳にも届きました。しかし今度は、父も娘もそんなことを気にかけていられる状況ではありませんでした。少し前から、彼らも体調がおかしくなりはじめていたからです。はじめは目がちかちかする程度だったのが、体中にかゆみを感じるようになり、今では喉が焼けるように痛み、咳が止まらなくなっていました。
娘の奇妙に育った恋姫草が、禍々しい花粉を飛ばし、悪臭がいっそうひどくなった頃、領主さま親子の命も尽きました。
彼らが死んだのは、花畑に植えられていた植物が毒を持っていたためだと周りの人々は噂しました。
彼らの畑に植えられた、皆がはじめて見るその醜い植物には、誰かが“悪姫草(あくひめそう)”と名前をつけました。同じような時期に咲くのに、恋姫草とは似ても似つかぬ植物、という意味でつけられたようです。もともとその花が美しい恋姫草だと気付く者はいませんでした。
悪姫草の名は、恐ろしい有毒植物として、後世に名を残すことになりました。
恋姫草という名は、村の女の子が死んでからというもの、誰も口にすることがなくなりました。この植物は今でも、当たり前のようにどこかで美しい花を咲かせ、気まぐれに移ろい咲いていることでしょう。そしてその都度、誰かに違う名前を与えられているのかもしれません。
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