森のはずれの穴【創作】
森のはずれに、大きな穴があった。底は見えず、風が吹くと、冷たい音だけが返ってくる。
森の奥には、甘い匂いのする木があった。熟した実が、風に揺れて落ちてくる。
そこへ行くには、穴のそばを通る道しかなかった。
キツネとシカが、その穴の前に立っていた。キツネは言った。
「この道を通れば、いちばん実が多く手に入る。みんな、そうしてる。」
「でも、危ないなら、何度も通りたくはないね。」
穴の位置を確かめながら、シカはそう言った。
「普段、草を食べるシカくんにとっちゃ、熟れた果物なんて、たまのごちそうだろう。」
キツネは奥になる木で、たわわにみのる赤い実を見ていた。
「穴は大きいが、近づかなければいいだけだ。落ちるやつは、考えが足りないんだよ。」
シカは黙って、穴を覗きこんだ。しばらくしてから言った。
「気をつけていないと、キツネさんだって落ちるかもしれない。」
キツネはカカカと笑った。
「シカくんは慎重すぎる。自分を信用していない証拠だ。」
シカは穴を丁寧に避けるかたちで、赤い実の元までたどりついた。キツネは、シカほどではないにせよ、穴から離れて実のところまで行った。
「ほら、なんともない。今日は、実はあまり落ちていないな。また、次に来たときにはもう少し手に入るだろう。」
キツネが実を拾い集めるときも、シカは穴の縁から少し下がっていた。枯葉をどけて、足元の土を踏みしめるように歩く。自身の足と、キツネの足の位置を、交互に確かめていた。
キツネは穴の近くで、覗き込みながら言う。
「こんな見えている穴に、落ちる心配をする必要はないのさ。」
キツネが穴に背を向けて、振り向いたときだった。森に風が吹く。足元の土が、音もなく砂を舞わせる。けれど、風が吹いた程度で穴に落ちるようなへまはしない。
ただ、手に持っていた赤い実が、ころりと足元に落ちて気を取られた。目線が下に落ちる。
次の瞬間、視線を戻すとシカの頭が勢いよく眼前に迫っていた。
ドン、という音が胸元で響く。キツネは、実をひとつも手にしないまま、虚空に投げ出された。
光る、丸い輪が小さくなっていく。向こうで、シカが無表情な顔を覗かせていた。
キツネは思った。
──そんなはずはない。
──自分は、落ちる側じゃない。
シカは、キツネが見えなくなったあと、赤い実を、自分が拾った分とキツネの分、両方を持ち帰ることにした。
「やはりここは、危ない場所だ。もう来ないようにしよう。」
振り返り、去っていくシカ。
「森は広い。実を採る道は、ここだけではない。」
森には今日も、落ちないと思っていた者の声が、底の見えないところから、かすかに響いている。
森は静かだった。実は、十分に甘かった。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。