まだ痛いままで【せりふ三題噺 / 酸性夕立リングピロー】
今日は、いとこの結婚式だった。けれど私は、病室にいた。
胃の痛みがまだ残っている。浅い呼吸を繰り返すのが精一杯だった。昨日のやけ酒と、勢いで食べたかにのせいだと思う。どろどろと胃の中で酸性の液体が、まだ暴れている。
レンタルのドレスを選ぼうと考えていた。ヘアセットの予約もしていた。迷いながらも、招待状に寿の文字を添えたときから、行こうと決めていた。
でも、どうやら今日は行けないみたい。
美容院の予約は、とっくに自動キャンセルの時間になっていた。
* * *
胃カメラが終わり、検査室から戻される。
窓の外を眺めると、雨が降っていた。どうせすぐに止む夕立だろうけど、一日中晴天でいられるよりは、少しは気がまぎれたと思う。
式の動画が、いくつか送られてきた。
いとこの晴れの舞台を見られなくて残念がっているだろう、と気づかった両親の計らいだ。でも、私の気持ちはそれよりも遠いところにあった。
披露宴や式のシーンは、とても再生できなかった。指の隙間から漏れる金色のライトは、きっと私には眩しすぎる。煌びやかな姿でお祝いムード全開の連中を、パジャマのような格好で横になっている自分が見るのはおこがましいとも思った。
手書きのウエルカムボードには、新郎の飼っている文鳥が描かれていた。イラストになった彼の姿さえ、直視するのがためらわれた。
今日、そこに行けていれば、なにかが変わっていただろうか。次に進む、きっかけとなりえただろうか。
「おめでとう!」
満面の笑みで、そんな声をかける自分が思い浮かべられない。何度想像しても、その表情の部分だけが、黒塗りのままだった。
姪っ子が、控室のソファではしゃいでいる動画だけ、タップして流した。
「わ! ふっかふか!」
彼女は、跳ねるたびにフリルが膝をくすぐる衣裳を着ていた。今回結婚するのとは、別のいとこの娘さんだ。ソファの端には、白いレースのリングピローが映りこんでいた。
* * *
かつて、似たようなリングピローを手芸屋で見た。元恋人と一緒に。
「いつか使えたらいいね。」
「文鳥の刺繍、入れてもらおうよ。」
彼が文鳥を飼い始めたころ、ふたりで名前を決めたのをよく覚えている。お金のない学生カップルだった。家族にも、友人にも、言いづらい関係性だったけど。当時は、ずっと続くものだと思っていた。
でも、別れた。
離れた理由に、血縁は関係なかった。どうしても避けられないような、自然な流れだった。
会うたび、家族の話ばかりが増えたのが、よくなかったのかも。
どちらから切り出したというものではなかったし、裏切りもなかった。なんとなくそうしたかったし、もつれることなく互いに了承した。
周りに公表できない関係性は、表に出ないまま沈んでいった。
* * *
横になったまま、メッセージ欄に「おめでとう」と打つ。
震える手は、送信を押す前に止まった。送らなくても、どうせまた正月には会う。そのときもたぶん、私は同じ顔で笑うのだろう。表情は変わらず、浮かばなかった。
終わった人の影だけが、この先の人生にずっと伸びている。
窓の隙間で、かたかたと音が鳴った。
「すきま風かな?」
誰に聞かせるでもなく呟いて、私は画面を伏せた。
寒いとき、身を寄せてくれる温もりが隣にあったころを思い出す。シーツの上で指を滑らせていると、ベッド横の紙袋に手が触れた。そこには、未使用のストッキングが入っていた。
そのとき、メッセージを受信した。見舞いに来るという親からだった。
もしなにか持ってきてくれるなら、果物がいいな。できれば、いちごじゃない方がいい。白いクリームの上に並ぶ赤い粒を、今日は見たくなかった。
胃の痛みが、少しだけおさまっていた。でも私は、もうしばらく痛いままでいいのに、と思っていた。他の痛みに、気づいてしまわないように。
窓の外に目をやると、雨はもうあがっていた。曇り空を一羽、名前も知らない鳥がすうっと泳いでいくのが見えた。
※以下の企画に参加させていただきました。
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