ショーケースのエビフライ【せりふ三題噺 / エビフライ三輪車つらら】
男の子は夢を見ていた。
エビフライが、いっぱい出てくる夢。
周りにふわふわ、たくさん、浮いている。
あたたかい、揚げたての匂い。
さくっと響く、音の予感にもわくわくした。
「食べたいな。」
男の子は思った。
「食べてもらいたいな。」
エビフライの方も、そう思った。
でも、そこで夢から覚めてしまった。
この日は寒かった。
昨日の夜には少し雪も降って、あたりの地面は濡れていた。午前中、屋根や車に残った、ほんの少しの雪のかけらを見つけては、男の子は嬉しくなってお母さんに教えてあげた。
そして夕方にさしかかるころ。アーケードはまだ明るかった。三輪車に乗った男の子は、お母さんに連れられていた。
がたがたと、音を立てて進む三輪車。とはいえ、転ぶことはない。男の子は、本当はお兄ちゃんのように、自転車に乗りたかった。
補助輪もついていない、ふたつの車輪で。バランスをとって、道路を泳ぐように滑っていきたかった。
お母さんは、「きっと今に乗れるようになるわよ」と男の子を諭していた。たぶんそこに、嘘はないだろう。
さて、今いる商店街の通りには、ぽつぽつとお店屋さんが並んでいる。
喫茶店。洋品店。ドラッグストア。マッサージ屋さん。
ちょうど洋食屋の前で、三輪車の車輪が道路とこすれる音が止まった。お母さんが、それに気づいて遅れて立ち止まる。
男の子の目についたのは、ショーケースの中にある、一本のエビフライだ。
衣が茶色くて、尾が赤い。そして、きらきら輝いている。
男の子はやはり、食べたい、と思う。
それだけのことを、誰にも言えない。
お母さんは、近づいて、男の子の手を見た。そして、そっと手袋をかぶせた。
「はい、忘れ物。」
でもどこか、お母さんは男の子の視線の先から目をそらしているようだった。両手を覆う手袋で、男の子の手は冷たさを失っていく。
前に一度、言ったことがある。
「エビフライ、好き」と。
お母さんは困った顔をした。そして、少し間をおいて言葉を選ぶ。
「それは、好きって言わないの。」
意味は分かっている。これは「欲しがってはいけないもの」。男の子は、「こうかくるいアレルギー」という言葉の響きだけは知っていた。
それから、本当の願いは、言わないようになった。お誕生日のケーキや、七夕のたんざくが、男の子の頭にちらつく。
どうせなら、お母さんやお父さんが、嬉しそうにする「願いごと」を言ったほうがいい。
男の子が見ていたショーケースの角には、小さなつららができていた。これも、雪のかけらと同じ、冬の名残。
あれは、春が来る前に消えてしまう。きっと、男の子が自転車に乗れるようになるよりも、ずっと前に。
男の子は、つららを見つけたことは、お母さんに教えなかった。代わりに、三輪車のベルを一度だけ鳴らす。ちりりん、と、軽い音がした。
近くにいた数人が、ちらっと男の子を見たかもしれない。
でも、ケースの中のエビフライは、動かない。
それでいい。
もし動いたら、きっともっと欲しくなる。
ゆっくりお母さんが歩き出すのを見て、男の子も三輪車のペダルに足を乗せて、力を込める。
キイ、と音がして、また車輪の音が鳴り始めた。
※以下の企画に参加させていただきました。
いいなと思ったら応援しよう!
書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。