緑だけがない【創作】
食卓に緑の野菜があれば、生活は正しく回っている。大げさかもしれないが、それは、自分が「世界から見捨てられていない」という印のように私には映る。
だから、それがないとき、胸の奥に重く息苦しい感触が広がる。心の平穏とは対極にある、不自由さをまとった混沌。ほんの一色が欠けただけなのに、今日という一日が、取り返しのつかない方へ傾き始めている気がしてしまう。
きっと、私の目が濁ってしまったのは、母の影響だ。
母はいつも、緑の野菜を食卓に並べることにこだわった。そこに「緑」がないと、おそろしい何かが待っているかのように、目に見えて落ち着きを失った。ある種、病的だったのかもしれない。私や父が作った料理にも、必ず口をはさんだ。
「緑の野菜がない。」
当たり前だったから、その感覚に私も慣れてしまっていた。母もまた、誰かから同じ呪いを受け取っていたのかもしれない。それは、血を分けた私にもしっかり受け継がれていた。
あれは中学校の調理実習のときのことだ。その日は、生徒が自由にレシピを選んでいいと言われていた。大きめのおかず一品とご飯で十分、という空気の中で、私は言ってしまった。
「ほうれん草とか、小松菜もあった方がいいんじゃない?」
班の連中は、面倒くさそうな顔で私を見た。どうして。どうしてそんな目で見るの。何か、変だった? 私が、おかしいの?
緑道に生えている木々に、心の中で挨拶をしてしまう癖も、他の子はきっとしていない。昔から、淡い緑が好きな色だったけど。このころからは、服や小物も、だんだん緑を避けて選ぶようになっていったと思う。
野菜を食べていないことは、ただの栄養の問題じゃない。
今日という一日が、不可逆的に過ぎ去ってしまうかもしれないという、不安の引き金だ。誰もブレーキを踏めない、レバーの壊れたトロッコに乗せられているような感覚。
肉を食べた。そしたら野菜を食べないと、と思う。ジュースは野菜が使われているものがいい。裏の成分表を細かく見る癖も、もうやめたい。買うたびに捨てずにとっておくから、加工食品や薬のパッケージは積みあがっていった。
使われているものが、わからないと不安だった。大事なことが、見逃してはいけないことがそこに載っている気がして、手放すことが恐ろしかった。
管理しないと。管理されていないと、徐々に壊れてくる。じわじわとにじり寄ってくる前兆。
目に見えない空気を失って、静かに死んでしまう金魚のように。酸素は何粒ある? 私はいつまで、生きられる?
白も、茶も、赤も、黄色もある。味もあるし、お腹も満たされる。冷蔵庫の中身だって、空ではない。それでも、緑だけがない。
あるいは、緑以外の色がなくてもよかったのかもしれない。緑さえあれば、私は安心できたのに。
これで、今日を。明日以降を、続けていくことができるのだろうか。
コンビニ弁当で済ませようと決めたときでさえ、私はサラダを探してしまう。値段の高さに戸惑って、その場に立ち尽くす。後ろから、お兄さんが私の背中にぶつかっていく。
よろけながらも、視線は動かない。サラダを取りかけては、手を引っこめる。いくら目を光らせても、私の目は濁っているのに。
スーパーなら、ベビーリーフの小袋が百円くらいであるかもしれない。でも、この時間だと、もう売り切れているだろう。
いつまで縛られるのか。いつか、自由になれるのか。
スーパーの横には、牛丼チェーンがある。飲食店の中では、比較的ひとりで入りやすい店だと思う。それでも、私は一度も入ったことがない。
「外食を悪」と判断する呪いにも、かけられていたからだ。
味が。栄養が。お金が。添加物が。
ああ、食事とは。ひとりであっても、みんなとであっても。楽しんで、よく噛んで、ときにはおしゃべりをして、味わうものだと。家庭科の教科書には、何度もそう書いてあった。何度も読んだ。そこばかり、何度も何度も。
うつむいて、顔がゆがむのをこらえながら。今までのことを思い起こしながら。私は今日も、歩いて五分。スーパーの自動ドアの前に立つ。
開く扉の音に、唾が一粒、私の喉の奥でつっかかる。ドアのセンサーが私を捉えて、いつまでも閉まろうとしない。
足はまだ、動かなかった。生鮮売り場が視界の奥に広がっている。
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