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インプロ【創作】

九歳のころ、祖母が亡くなった。

仲は良かったと思う。よく話しかけてくれたし、名前を呼ぶ声も、手の感触も覚えている。でも、そのとき私は、あまり悲しくなかった。

亡くなった、という実感がなかった。

ずっと、どこかに出かけているだけだと思っていた。温泉旅行とか、そんな感じの、少し長めの留守。そのうち帰ってくるものだと、疑いもしなかった。

だから、泣かなかったし、泣けなかった。

周りの大人が泣いているのを見ても、どうしてそんなに悲しいのか、よく分からなかった。

* * *

演劇のワークショップに通っていた時期がある。

よくやったのは、インプロ。即興で演技をするやつだ。台本もなくて、あらすじもない。ただ、その場でお題をもらって、身体と声で場面をつくる。

演劇での身体の動かし方を学ぶために、ぶつからないように舞台上を歩き回ったり、誰かの動きを真似したり。そんな基礎的なことばかりだったけれど、私はあの時間が好きだった。

そこに、ひとり仲のいい子がいた。

あるとき、その子が過去にお兄さんを交通事故で亡くしていることを聞いた。高校生くらいのとき、と言っていたと思う。

私は、何も言えなかった。ただ、「ああ、そうなんだ」と思っただけだった。

そのあと、私は彼女に、おばあちゃんのことを話した。亡くしてから、悲しめなかったことを打ち明けたとき。

「私もそんな感じよ」と言って、笑ってくれたことがあった。

同じ感覚を共有できる人がいたことに、ほっとしたことを覚えている。

* * *

それから何年も経って。久しぶりに、その子の家に泊まらせてもらった。お互い、たしか二十代の前半から後半くらい。

部屋に入ると、壁に写真が貼ってあった。

男の人の写真だったから、最初は「からかってやろう」くらいの軽い気持ちで、話題にした。でもそれは、亡くなったと聞いていた、お兄さんの写真だった。

相手はやはり、あっけらかんとはしていたけれど。そのあと私は、写真に目がいっても、つい逸らしてしまった。なんとなく、触れてはいけないもののような気がしたから。

そのとき、彼女が言った。

「ねえ! インプロ、やってみよっか?」

唐突だった。

久しぶりだし、こんな時間にやるものでもない気がしたけれど、私はうなずいた。なまっているとは思う。それでも、まったく動かない声と身体ではない。

あのときの教室の匂いが思い出されて、少し懐かしかった。

* * *

「それじゃ、お題、出すね。」

彼女は少しだけ間を置いてから、言った。

「おばあちゃんが亡くなって、悲しむことができない女の子。」

心臓が、ひとつ強く鳴った。

「……やれる?」

どこか困ったような表情の彼女を見て、私は少しだけ笑って、「うん」と答えた。やっぱり私は、悲しみは感じていないらしい。

演技を始める。

いつも通りにやればいい。役になればいい。それがインプロのはずだった。でも、どうすればいいのか分からなかった。

悲しめばいいのか。泣けばいいのか。それとも、何も感じていないふりをすればいいのか。

これから演じる女の子と、おばあちゃんは、いったいどんな関係だったのか。

考えようとするほど、何も出てこなかった。頭の中が、ぐるぐると空回りする。うまく集中できない。

* * *

「今も、夢に出てくるの。」

気づいたら、私の口から言葉が出ていた。考えたものじゃなかった。

「夢の中で、おばあちゃんは、家にいて。」

私は、目をつぶって、ただ思い出していた。

「なんか、いつも誰かと話してて。お客さんだったり、近所の人だったりさ。」

彼女は、何も言わずに聞いていた。

「私は幼くて。そんなの関係なくて、走っていって、抱きつくの。」

あのときの身体の動きが、そのまま出てくる。

「やわらかい衝撃があって。遅れて、ちょっと古い匂いがして。でも、それが、すごく好きで……。」

懐かしさが、喉の奥にひっかかる。

「おばあちゃんは、笑ってて。」

視界が、少しだけにじむ。

「それで、目が覚めるの。」

本当のことだった。今でも、同じ夢を、何度も見る。

忘れたころに。何度も、何度も。

だから、いなくなった気がしなかった。帰ってくる気がしていた。

「また、夢で、会えるから……。」

言葉が枯れて、うまく続かない。手を胸の前で重ねて、抑える。まるで何かが、これ以上こぼれないように。そして何かが、これ以上入ってこないように。

「だから……」

何を言おうとしているのか、自分でも分からなかった。

気づけば、涙がこぼれていた。止めようとしても、止まらなかった。どうして泣いているのか、よく分からなかった。

背中から、そっと腕が回ってきた。彼女だった。

「私も、おんなじ……」

小さな声だった。

「おんなじよ。」

そのまま、しばらくふたりで泣いていた。どこまでが演技だったのか、もう分からなかった。

* * *

あのときも、悲しくなかった。それを、今も覚えている。でも、それが本当に悲しくなかったのかどうかは、分からない。

ただ今は、夢におばあちゃんが出てくることが、なくなった。

もういないんだな、って。感じ始められているんだと思う。

彼女との交友は、今も細く長く、続いていて。あのあともう一度、家に行ったっけ。

そのとき、お兄さんの写真はもう、貼っていなかった。

あの夜に流れた涙の正体が、何だったのか。

考えても、今でもうまく言えないままだ。


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財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。