水底に届く言葉【創作】
緑の丘に囲まれた小国オリーヴァ国は、隣国シェルダインとひとつの川を分け合っていた。川は資源であり、境であり、両国の人々の生活を支える生命線だった。
だがある年、川の水が減りはじめた。
オリーヴァ王は握りしめたこぶしを震わせ、声をあげた。
「シェルダインが上流で水門を開けすぎているのだ!」
宮廷の書記に命じ、非難の書面をしたため始めた。
その文面は、次のようなものだった。
「これは我らの正当な怒りである」
「即刻、水量を改めよ」
「我らは断固として抗議する」
書記は王の言葉を写すたび、その墨が深く滲むような気がした。
その様子を、王の娘ジーナが見ていた。
「お父さま。その書を、シェルダインに送るおつもり?」
王は眉を寄せた。
「当然だろう。こちらの正義を伝えねばならぬ。」
ジーナは静かに言った。
「正義は、振りかざすほど届きにくくなります。相手の耳に届くより先に、心の扉が閉ざされてしまいますから……」
王は不機嫌に眉を上げる。
「わしには民を守る使命がある。……それでも、言葉を弱めろと言うのか?」
「いいえ。ただ……刃物のように研いだ言葉より、水のように流れる言葉の方が、ときに水底まで届くこともあります。」
ジーナは机に向かい、一枚の羊皮紙を手に取った。
そして、ゆっくりと詩をしたためた。
ひとつの川に
ふたつの影が映る
影があるだけで
水面はそっと揺れる
広がる波紋はこの瞳に問う
揺らしたのは影か
風のいたずらか
あるいは見つめる者の心か
川面の光は
静かに未来を照らす
書き終えたジーナは、王に差し出した。
「こうすれば、非難ではなく『問い』として届きます。問いは、反駁ではなく余白の時間を生むでしょう。」
王は詩を手にとり、読んだ。
怒りの炎はまだ胸に灯っている。しかし、その炎を真っ直ぐ相手にぶつければ、火傷するのは自国の民の方かもしれない──。
そんな気がした。
翌朝、オリーヴァ王からシェルダインへ送られたのは、検討を促すかのような「詩文」だけだった。
数日後、シェルダインから返事が届く。
「こちらでも近年の水量の変化を観測している。互いに調査結果を共有し、よりよい管理法を探さないか」とだけ、書かれていた。
王はその書面を机に置き、そっと手を乗せた。
「……言葉は、使いようか。」
ジーナは微笑んだ。
「言葉は、心から離れるほど道具になってしまいます。でも、心に寄り添えば、それはきっと架け橋となりますわ。」
その夜、川面にはふたつの国の灯りが反射し、波紋はやわらかく重なっていた。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。