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その人なりの色

中学3年生の時の担任は、
あまりヤル気のなさそうな美術の先生だった。
その頃は「Mr.オクレ」という芸人さんによく似ているなぁと思いながら見ていたのだが、今でいうと「こがけん」さんに似ている。

昭和を引きずった平成のはじめの頃。
運動中に水を飲んではいけないとか、うさぎ跳びとか、体罰とか。
今では信じられないことが当たり前に行われていた時代。
私のクラスの先生は、
いつも困ったような顔をして、弱々しく廊下の端の端を歩くような、
そんな先生だった。
「中村先生」だから、みんなから「ナカムゥ」と呼ばれていた。

なぜ私が最初にナカムゥを
「あまりヤル気のなさそうな」と形容したか。
それは、クラスの行事ごとにまったく興味をしめさなかったからだ。

中学3年生の担任といえば、
受験や卒業といったビッグイベントを控えているし、
そこに進む前の体育祭にもクラスマッチにも合唱コンクールにも熱くなるイメージなのだが、
ナカムゥはまったく熱くならない。

熱くなるどころか「無」である。
自分が「無」だからといって、生徒たちに「頑張るな」とは言わなかったが、勝利を願う言葉もアドバイスもなかった。
嬉しい結果には「良かったですね」くらいのことは言う。
悔しい結果にはスルー。
熱い先生にありがちの大きな声も応援も涙を流して青春のバッキャロー!みたいなことも一切なく、
声は小さいし、たまに震えているし、
生徒に対しても大体いつも敬語で喋っていた。

給食の時間もナカムゥ1人だけ弁当持参だった。
みんな不思議がって、なぜ弁当持参なのかと尋ねると、
「お弁当が好きだからです」と、ストレートすぎてこちらが不安になるような答えが返ってきた。
本当はアレルギーがあるとか、何か事情があったのかもしれないが、自分が弁当持参な分、生徒の給食にも無関心で他のクラスみたいに完食を目指したり嫌いなものを強要されることはなかった。

ナカムゥは教師というより、
芸術家だったのだと思う。

出勤にはボロボロの軽自動車を使っていたが、
月に何度か「芸術家モード」の日があり、その日は大きな荷物が積めるおしゃれな車に乗ってきた。サーフボードに絵を乗せてやってくるのだ。
教室から先生たちの駐車場が見えたので、みんなで「ナカムゥは車2台持ちなんだ」とか「今日はおしゃれ車だから芸術家の日だ」とか「今日は先生モードでやる気がない日だな」なんて話をしながら、
なんとなく、
先生でありながら先生ではない、そういう大人が担任をしてくれているのだと自分たちなりに理解していた。

ある日、美術の授業で自画像を描いていた時のこと。
その授業では机上に1人ひとつずつ小さな鏡を準備して自分の顔を見ながら描いた。
下書きは鉛筆で、そのあとに水彩絵の具で各々の顔を塗っていった。みんなが8〜9割できてきて、最後の仕上げに髪の毛などの細かな箇所の色を塗っていた時、後方の席からクラスメイトの悲鳴が聞こえた。
続けて男子の「ちょっ!何するんですか!」という声や「えっ?」という声が聞こえてきた。場がざわついている。私は前方の席に座っていたので、何が起こっているのかと声をする方に振り向いた。
そこには、パレットと絵筆を持って机間巡視をしながら一人一人の自画像に、青や緑、紫に赤に黄色といった絵の具を乗せてまわるナカムゥの姿があった。
あと少しで出来上がる自画像に突然、様々な色を乗せられて固まる生徒たち。

ナカムゥは平然と
「もっと鏡で自分の顔をよく見てみてください。肌は茶色に白を混ぜただけのみんな同じ色ですか?目の色も同じ黒ですか?よーく見るといろんな色が混じっているでしょう」
と言いながら、
トントンとリズミカルに絵筆を使って皆の顔に色を乗せていく。
もう出来上がるところなのだ、勘弁してくれ、と思ったが、
とうとうナカムゥは私のところにもやってきた。
私の自画像には何色が乗せられるだろうかとドキドキしていると、頬の部分に青緑色がボタッと入った。
隣の席の友人が「ひっ」と小さな悲鳴をあげた。無理もない。友人の自画像のおでこ部分には赤が乗せられていた。何かの事件が起きたみたいな自画像になっている。
文句を言う生徒もいたがナカムゥはおかまいなしだ。
「さぁ、時間がありませんよ。もう一度しっかり見て絵を完成させてください」
しかたなしに私たちは再度鏡の中の自分の顔に見入った。
たしかによく見ると、私たちの顔は同じ色一色ではなかった。瞳の色も唇の色も人によって違う。
納得いったようないかないような気持ちを抱えたまま、乗せられた色をうまく元の肌の色になじませたくて必死に鏡を見ながら手を動かした。
結局、それぞれにすごくカラフルで深みのある自画像が完成した。

クラスマッチや合唱コンクールも終わり、あとはもう受験と卒業式を残すばかりとなったある日、
ナカムゥが教室に走り込んできた。
1年近く担任をしてもらってきたが、私はその時はじめてナカムゥが走る姿を見た。
いつもはヨロヨロと風が吹けば飛ばされそうな雰囲気で廊下の隅を歩いている人がこんなスピードで移動できるなんて。

ナカムゥの顔が上気している。
興奮しているのだということが震えた声から感じ取れた。

「みなさん、やりましたね!」

と言いながら、手にもっていた画用紙を広げ掲げるナカムゥ。
相変わらず声も小さいし、何のことだかわからない私たちはナカムゥの手にある画用紙に目をこらした。

それは「美化コンクール1位」の表彰状だった。
コンクール、と言っても、合唱コンクールほど大がかりなコンクールではなく、美化委員が独自に開催したお掃除コンテストのようなものだ。各クラスの掃除ぶりを1週間かけて美化委員がチェックしてまわるだけのコンクール。
クラスの誰も意識していなかったコンクールで、いつ開催されていたのかもわからないから1位の賞状を見せられても「へえ」ぐらいの感想しか出てこない。
しかし、ナカムゥは違った。
震えるぐらいに興奮している。そして多分喜んでいる。
今までどのイベントごとにも無の状態を貫いてきたナカムゥとは別人のようだ。

「いやあ、やりましたねえ。私は正直、体育祭より合唱コンクールより、美化コンクールで一位になったことが何より嬉しいのです」とナカムゥ。

でしょうね。
クラスのみんなもそれはわかっていたと思う。
体育祭や合唱コンクールには一切見せなかった興奮と喜びを、
今、美化コンクールの結果で爆発させているのだから。

「そんなに美化コンクールが好きだったんなら言ってくれたら俺たちもっと頑張ったのに」と男子が言うと、

「いえ、皆さんが狙ってお掃除をしたわけじゃなく、普通にやって1位がとれたのが嬉しいのです」
と、ナカムゥ。

ふぅん。そういうものか。
盛り上がっているのはナカムゥだけで、
私たちは「まぁ、良かったですね」ぐらいの気持ちだったが、
その時に「無」なのだと思っていたナカムゥの熱さや芯の部分の強さのようなものを感じた。
ナカムゥなりの美学がそこにあったのだ。

そんな調子だから、私の成績が振るわず重苦しいムードになった三者面談でも、

「まだ中学生ですからねぇ。夢なんてそう早くから見つかるものじゃないでしょう。進んだ先で何か見つけたら、それから頑張ればいいと私は思いますけどね」

と、微笑を浮かべながら小さい声で言い放ち、母をビックリさせていた。学校からの帰り道、母は不安そうに「あの先生で受験は大丈夫なのかしら」と言っていたが、
私はそれでずいぶんと気持ちが楽になった。

令和の今の世ならわかる。
「多様性」とか「コンプライアンス」とか「体罰はダメ」とか。
時の流れと共に、そういう互いを尊重できる世の中になってきた。

しかし、ナカムゥが担任をしてくれたのは35年も前のことだ。
隣のクラスの先生は不条理の塊みたいな暴力教師だったし、それがまかり通る世の中だったのに、
ナカムゥは自分を曲げなかった。
あの頃は頼りなげに見えた姿が、
大人になってから思い返すと、しなやかな強さだったのだと気づいた。

中学卒業から10年が経った頃、私が司書として勤めていた学校で、美術の研究授業が開かれた。会場の設営を手伝っていると、その中にナカムゥの姿があった。
あんなに無の状態で担任をしていたナカムゥが私のことなんて覚えているはずはなかろうと思ったが、目が合うと一瞬驚いた顔をしてすぐに笑顔で走り寄ってきてくれた。

「ミーミーさん、この学校にお勤めですか?」

私が高校の時に学校司書を志して、夢が叶い今はこの学校にいるのだと話すと、

「とてもよく似合っています。お会いできて嬉しいです」
と言って笑ってくれた。

相変わらずの敬語。
中学生時代にもずっと敬語で話してくれていたナカムゥを思い出した。
強い芯と美学を持った先生に、
働いている姿を
「とてもよく似合っていますよ」と言ってもらえたことが、
私は嬉しくてたまらなかった。

押し付けない。
背中も押さない。
私はこう思う。
あなたはあなたです。

今、中学生の親になって毎日あれこれ悩んでいる。
良かれと思って、ついつい言い過ぎる。

「あっちの道が正しい」
「もっと頑張れ」
「中学生にもなって将来のことが考えられないのか」
と。

あなたのことを思って、なーんて、
そんな自分の言葉に自分で自分が情けなくなる。

ナカムゥみたいにはなれないかもしれない。
先生と親とはまた違うのよ、とも思う。
ただ、あの頃、自分なりの美学を持って、それぞれに色があることを教えてくれた先生との思い出を私はこれからも大切にしていきたい。


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ミーミー こんなところまで読んでいただきありがとうございます!私に……良いんですか??嬉しくて舞い上がってます!!うひょー!!!