ごきげんとり 第6話
〇 2025年8月16日〈根子例祭前日〉
その日、真巳子は忙しかった。
根子例祭を明日にひかえ、朝から数名の町民たちが入れ替わり立ち替わり義父のもとを訪れた。
そのたびに義父に呼ばれ、
「真巳子です。よろしくお願いいたします」と挨拶をさせられる。
4月に引っ越してきた時にも同じようなことをしたはずなのに、祭りの前となるとまた特別なのだろうか。
そのうえ夜には別の来客があった。
夫の乾克夫に「お世話になった」という篠山正海だ。
1ヶ月ほど前、タクシーが捕まらず困っていたところを克夫が助けたらしい。
その時のお礼が言いたいと、菓子折りをやってきたのだ。
たしかに私も初めてこの町に降り立った時には驚いた。
何もない駅前。
家と家との距離。
引っ越しの際には克夫の車で家まで連れてきてもらったので不自由はなかったのだが、
はじめて訪れる人が困る気持ちもよくわかる。
この町の大人たちは1人1台の自家用車所持が普通のようだ。
私はペーパードライバーだし、まだ引っ越してきて日が浅いため、自力での交通手段といえば徒歩か自転車のみ。あとは克夫か義母に頼んで車を出してもらっている。義父にはちょっと頼みづらい。
根子例祭の前日ということもあり、
この辺の名産を沢山並べて、私たちは篠山をもてなした。前夜祭のようなものだ。
篠山も義父に根子町の話を熱心に聞いた。
酔った義父はいつもより機嫌良く、根子町の良さを語った。
もちろん、大好きな「おねこさま」のことも。
私も初めて聞く話ばかりで楽しかった。
篠山のキャラクターなのか、場が和む。
亜巳も、あっという間に篠山に懐いてしまった。
熊のようなワイルドな風貌だが、フレンドリーでどことなく接し方が優しい。子どもに好かれるのもわかる気がする。
篠山が話を聞いているうちに、自分も根子例祭に行きたいと言い出した。
夫と義父が「今年は肉も出せない年だから行ってもつまらないですよ」と遠回しに止めたが、
それでも行きたいと言ってきかない篠山を私は不思議な気持ちで見つめていた。
たしかに私も生徒たちがあんなにも熱狂する「根子例祭」には興味がある。
義父が深く関わっていて、その準備で忙しくしている姿も見ている。
だけど……正直、ただおねこさまにお礼を言うだけなら、私にはあまり魅力を感じない。
なにより、あの根子神社の生臭さが嫌なのだ。
さすがに1年に1度の大事なお祭りの日に食い散らかされた生魚が散乱しているとは思えないが。
亜巳があろうことか、篠山を自室へと誘った。
よほど篠山を気に入ったのだろう。大切にしているものを見せたいらしい。女の子の部屋に男性を入れるのはちょっと……と思っていたら、篠山の方から、私も一緒にと誘ってくれた。ホッとして、2人のあとをついていく。
亜巳の部屋に入るなり、篠山は声をひそめてこう言った。
「亜巳ちゃん、グッジョブ!」と。
亜巳が「これでよかった?亜巳うまくできてた?」と照れている。
どうやらこの部屋に3人で入ったのは2人の作戦だったようである。
聞けば、夏休みに入る直前、篠山が亜巳を訪ねて小学校まできたという。
「おじさんは8月の真ん中ぐらいに亜巳ちゃんのお家にお邪魔する予定なんだ。もしその時が来たら、亜巳ちゃんのタイミングでおじさんを部屋に誘ってくれない?そしたらおじさんがママを誘うから。この話はその日まで内緒だよ。大事な大事な話があるんだ」
亜巳はとても驚いたが不思議と怖くはなかったという。
それどころかおじさんとの約束を楽しみにしていた。
「本当に来てくれるかな、うまくできるかなって、ドキドキしてたよ」
私は亜巳の笑顔を久しぶりに見たような気がした。
笑い合う2人の姿に和んでいたら、急に篠山が真剣な顔をして話し始めた。
「真巳子さん、よく聞いてください。俺は克夫さんの妹に頼まれてこの町にやってきました」
克夫の妹……。
同僚の鳥居由紀の話に出てきた、千鶴のことだろうか。
「……千鶴さん?」
おそるおそる、そう口にする。
「千鶴のことをご存知ですか!だったら話が早い」
嬉しそうに声をあげる篠山さんを見て、私は慌てた。
そこまで詳しくは知らない。なんならほとんど知らない。
「いえ!私は千鶴さんが18歳の時にこの町からいなくなったということくらいしか……」
「ああ、それは無理もないです。千鶴はこの20年、家族とも連絡をとっておりません。その千鶴からの伝言なのですが……単刀直入に言います。真巳子さんと亜巳ちゃん、あなた方2人の命が狙われています」
ニコニコしながら聞いていた亜巳が驚いて目を見開く。
「すべて千鶴の推測ではあるのですが、俺もそれを聞いて納得しました。この町の根子例祭で毎年何が行われているか。……多分、巳年の今年はあなた方の命が危ないです」
真巳子は篠山が何を言っているのかがわからなかった。
きょとんとしている私の表情から、説明をしても無駄だと思ったのだろう。
篠山は語気を強めてこう言った。
「明日の朝、祭りが始まる前に亜巳ちゃんを連れて逃げてください!今夜のうちに必要なものをまとめておいて、2人で逃げてください!」
そこに克夫が入ってきた。
私たちはハッとして、一斉に克夫の方を見る。
篠山は「帰ります!」と言って、部屋を飛び出した。
乱暴に階段を駆け降りていく音が聞こえる。
何を話していたのか、と
克夫に聞かれた。
そこには初めて見る、おそろしく冷たい顔をした克夫の顔があった。
私は驚きと恐怖から、咄嗟に篠山に言われたことをそのまま克夫に伝えてしまった。
克夫はすぐに篠山を追って、部屋から出て行った。
私は今聞いたこと、起きたことが信じられなくてその場にへたりこんだ。
足に力が入らないのだ。
亜巳が
「私は篠山のおじちゃんが言ってること、信じてもいいと思う。ママ、逃げよう!一緒に逃げよう!」と言った。
だが私にはどうしても、
今日会ったばかりの篠山を信じることができない。
そんな私の様子に亜巳が呆れたように目をそらした。私は黙ったまま動けずにいた。
5分ほど経っただろうか。
笑顔の克夫が部屋に入ってきた。
さっきのおそろしい顔が嘘みたいに、いつもの優しく美しい克夫の顔だ。
「篠山さん、変な人だったね。怖かっただろう。今、母さんが篠山さんを送っていったから。2人は何も気にしなくていいからね」
**********
篠山を送っていったという義母が帰ってきたのはそれから2時間後のことだった。
どこまで送っていったのか。
いつも静かな義母が珍しく興奮状態にあった。目をぎらつかせて、家中を見渡して、
「ちょっと疲れちゃったわ」と吐き捨てるように言った。
ただ篠山を送っていっただけなのに、
克夫と義父はしつこいくらい大げさに義母を労った。
義母は小声で
「私にはこれぐらいしかできないから」と言って笑った。
○ 2025年8月17日 〈根子例祭当日〉
5時30分。
いつもより早く目が覚めた私は朝食の準備をしようとリビングに向かった。
昨夜の篠山の話が耳の奥に残っている。
信じているわけではない。
でも「逃げろ」と言った篠山の目と声が一晩中私を悩ませた。
義父も義母もすでに起きていた。
根子例祭当日だから、何か準備があるのかもしれない。
私の姿に気づいた義母がエプロンのポケットから何やら取り出しながら言った。
「これ、真巳子さんの分の巾着よ。ほら、前に亜巳ちゃんが話してたでしょう。おねこさまのごきげんをとるための小魚!他にもいろいろ入れておいたわよ。今日はお祭りだからね、普段持ち歩いていなくても、今日くらいは持っていないと」
真巳子は義母から5センチ四方の小さな巾着袋を受け取った。手に持つと、巾着の中にゴロゴロといろいろ入っているのがわかる。小魚と……。あとは何が入っているんだろうか。
巾着袋をよく見てみると手縫いだった。
「お義母さんが作ってくださったんですか?」
義母は微かに笑みを浮かべて、
「亜巳ちゃんにも作ってあげたから、真巳子さんにもお揃いで。それを肌身離さず持ってなさい。何かあってもきっとおねこさまが守ってくれるわ」
それを見ていた義父が、
「母さんは器用なんだよ。可愛い巾着だな。それでおねこさまが守ってくださるなら安心だ」と、
豪快に笑った。
私が巾着をズボンのポケットに入れているところに克夫が起きてきた。
寝起きだというのに、いつも以上に整った顔をしている。祭りの朝だ。気合いが入っているのかもしれない。
「やっぱり祭りの朝はみんな早起きだね。真巳子までこんな朝からごくろうさま」
優しく微笑みながら新聞を開いた克夫に朝食の準備をしていると、
「ああ、そうだ。真巳子、今日のお祭りは僕と一緒にきてくれるよね。真巳子がこの町に来て初めての根子例祭だ。おねこさまにしっかり紹介して、お礼をいわなくちゃね」
夫からの誘いはいつも嬉しいはずなのに、今日ばかりは即答できなかった。
篠山から聞いた話が頭から離れない。
「それなら、亜巳も一緒に」
真巳子がそう言うと、義父がとんでもないというジェスチャーをして、
「亜巳ちゃんは家に置いていきなさい。母さんがみててくれるだろう。初めてのおねこさまだ。新婚の二人だけで行っておいで。なーに心配することはないさ。私もおねこさまの本部には待機しているからね」
義母を見ると、
「亜巳ちゃんのことは私に任せて。せっかく克夫がこう言ってるのだもの。2人だけで行ってらっしゃい。ああ、それと真巳子さんのスマートフォンは私が預かるということで良かったわよね」と涼しい顔で言った。
ーースマホをお義母さんが預かる?
私の困惑ぶりに慌てた克夫が、
「言ってなかったかな。おねこさまの日はね、こういう通信機器は持ち込まないようにしなくちゃ。俺たちもみんなそうなんだよ。神聖な場が汚れるだろう。大事な時に邪魔が入ってもいけないし。ほら、母さんに早くスマホを渡しなさい」
と、私がスマホを渡すのを待っている。
そこに起きてきた亜巳が、
自分だけが祖母と留守番なのだと聞いて、泣いて嫌がった。
昨夜の篠山の話を信じている亜巳には、私と離れることが不安なのだろう。
普段、泣くこともわがままを言うことも滅多にない亜巳が声をあげて泣いている。
その悲痛な声に胸が痛んだが、
シングルマザーだった私のことを改築までして迎え入れてくれた乾家の言うことを無下にはできない。
義母が優しく亜巳をなだめながら、亜巳の部屋へと連れて行った。
私はその姿をぼんやりと見ていた。
**********
8時30分。
9時から始まる根子例祭に合わせて、克夫と私は30分早く根子神社に到着した。
すでに境内は看板や垂れ幕でしっかり飾り付けられている。
1年に1度、町の人たちの熱量がもっとも上がるお祭りだ。その準備に町民の本気が見えた。
本当にスマホを義母に預けさせられた私は、
ほぼ手ぶらの状態で根子神社に降り立った。
ズボンのポケットには義母から渡された巾着とタオルハンカチ。
さすがに心細い。
20分前に別れたばかりの亜巳ともう会いたい。
神社には、4月に吹いていた潮風とはまた違った夏の風が吹いていた。
風というよりも、停滞した熱くじわっとした空気だ。
セミの鳴き声がうるさい。
神社の木々にびっしりとセミがついているかのように、
つんざくような鳴き声が私をますます心細くさせた。
窒息しそうな熱い空気と強すぎる音に負けそうになって、私は耳を塞いだ。
その瞬間、ふわっと立ちくらみがした。
そんな私を心配したのか、克夫はこの夏の太陽にそぐわない、青白い顔をして言った。
「大丈夫かい?いよいよだよ。真巳子は今日、特別なお客様だから、本堂に入れることになっているんだ。ほら、あの裏側からいこう。父さんや町の人たちも待ってるよ」
克夫にしては強引に私の腕を引っぱる。
痛いくらいに引っぱる。
「ねぇ、克夫さん、痛い。大丈夫よ、私1人で歩けるわ」
私が克夫の手をふりほどくと、
克夫は「ごめん」と言って、腕時計を見た。
時間を気にしているようだ。
「今年はただ、おねこさまにお礼を言うだけの年なんでしょう?私、ここでいいから。わざわざそんな特別なところになんて行かなくても……」
私がそう言うと、
克夫の顔色が変わった。
「それじゃあ、困るんだよ。僕だけじゃなく、この町のみんなが困るんだ。さぁ、早くこい!」
さっきよりも強く腕を引かれて、
私と克夫は神社の裏側にまわった。
本堂と呼ばれる場所の扉を開ける。
そこには、義父の貞夫と、
昨日家に来た町民たちが笑顔で待っていた。
誰かの
「おねこさま、今年はこいつです。お納めください」という声が聞こえた。
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こんなところまで読んでいただきありがとうございます!私に……良いんですか??嬉しくて舞い上がってます!!うひょー!!!