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僕の物語|ブルーアワー

 僕は文字を読むのが難しい。でも、全然読めないわけじゃない。名前だって書ける。時間はちょっとかかるけど......。

 お母さんが教科書を開いた瞬間、僕は真っ暗な気持ちになった。こんなにウジャウジャ文字がいっぱいなものを読むなんて無理! 僕の頭の中にある文字は、なんだか形がぼんやりしていて、あちこちに散らばってる。それをひとつひとつ探すのは、本当にうんざりするほど大変なんだ。
「少しずつでいいから、チャレンジしてみよう?」
 お母さんが最初の文字を指でトントンする。僕の身体はズルズルとソファから滑り落ちる。

「どうして文字を読まなくちゃいけないの?」
「文字が読めないと、困るでしょ? 文字で説明してること、いっぱいあるよ」
「動画で見ればいい」
「見たい動画を調べる時は?」
「音声検索」
「本を読めたら楽しいよ」
「映画を観ればいいと思う」
 お母さんは困ったように、口を尖らせる。
「文字が読めるとさ、例えば......『はな』っていう二つの文字を見た瞬間、きれいな花の映像が頭の中に浮かぶんだよ。こんな小さな文字二つで、きれいな花を表現できるのは、すごいことじゃない?」
「どんな花?」
「お母さんの頭に浮かぶのは、赤い花かな」
「ふうん......」
 お母さんの言っていることは全然想像がつかなかった。この小さなくにゃくにゃが花に見えるなんて。

 結局その日は、お母さんが読む声に続いて声を出す、というやり方に変わり、なんとか終わった。
 宿題が終わると、一気に晴れやかな気分になり、ウキウキした気持ちで玄関まで飛んでいった。宿題の後に、一緒に買い物に行く約束をしたんだ。
「早く、早く!」
 僕は勢いよく玄関の扉を開けた。

 ーーそこには青い世界が広がっていた。

 水の中みたいな。目に見える全てが、薄い青色で包まれていて、とてもきれいな世界。
「お母さん! 青い世界だ!」
 靴を履きかけのまま出てきたお母さんに、僕は夢中で伝えた。
「ああ、ブルーアワーっていうんだよ。きれいだねぇ」

 青い世界。青い世界だ。

「この景色のきれいさに気付ける人はあんまりいないんじゃないかな。特別な目を持ってるんだね。きれいなものがわかる、特別な目だね」
 お母さんが嬉しそうに言う。僕も嬉しくなる。
「お母さんも僕と同じ目?」
「そうだね。だから、絵を描くのかも」
「僕みたいに『きれい』をわかってくれる人が少なくて、さみしいから?」
「......そうかもしれないね」

 僕は『はな』を見ても花が見えないけど、それでもちゃんと、お母さんと同じものが見えるんだ。きれいなものが。
「僕はお母さんの小さな親友だね。僕が生まれてきてよかったね!」

 うん、と小さく答えたお母さんの目も、青い世界の中できらきらしていて、とてもきれいだと思った。

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