1-6 百分の一秒
水泳や陸上競技では、百分の一秒の差で勝敗が決まることがある。人の目には見えないほどの、わずかな差である。
94歳の日常にも、そんな「百分の一秒差」がある。
停止中のエレベーターを見つけ、壁のボタンに指が触れようとした瞬間、すっと行かれてしまう。誰かが別の階から呼んだのか、機械のプログラムによるものなのかは分からない。残念ではあるが、相手の姿が見えないせいか、腹は立たない。
スーパーでも、荷物詰め台の空いた一角を目指して歩いているうちに、横から来た人に先を越されることがある。これも、少し待てば次が空く。さほど腹は立たない。
ところが、どうにも腹の立つ「百分の一秒差」もある。
つい先日のことである。
この暑さでは外出を控えているが、病院の予約だけはそうもいかない。午前十時過ぎ、区から交付された老人用の赤いタグをショルダーバッグに付け、駅のホームに立った。
私は列の先頭に並んでいた。
電車が着き、ドアが開く。車内は満席だったが、中央付近で一人の乗客が立ち上がった。
「あの席だ。」
そう思って歩き出したが、思うように足が前へ出ない。
その瞬間、隣の列の先頭にいた三十代くらいの大柄な男性が、私を追い越して一直線にその席へ向かい、どかりと腰を下ろした。
私の赤いタグなど目にも入らなかったのだろう。
そのときばかりは、無性に腹が立った。
悔しかった。
同時に、思うように動かない自分の体にも腹が立った。
ところが、「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったものだ。
電車が動き出すと、つり革にも十分つかまれない私の体が大きく揺れた。
すると、その男性の隣に座っていた女性が立ち上がり、
「どうぞ、こちらへ。」
と席を勧めてくださった。
私は「結構です」と辞退したが、何度も勧められ、ありがたく座らせていただいた。
一方、その男性は何事もなかったかのように、スマートフォンのゲームに夢中である。
席を譲ってくださったのは、三十代後半と思われる小柄な女性だった。左手には、小さなダイヤモンドの指輪が光っていた。
私は、その女性の親切を引き寄せたかもしれない赤いタグを見つめながら、少し複雑な気持ちになった。
九十代になってから、席を譲っていただくことが増えた。
その多くは三十代から四十代くらいの女性である。若い女性も少なくない。男性にも親切な方はいるが、私の経験では女性のほうが多いように思う。
席譲りといえば、長く暮らしたバンコクを思い出す。
当時のバンコクは、世界有数の交通渋滞で知られていた。高架鉄道BTSが開通してからは大いに便利になったが、車内はいつも混雑していた。
そんな中で忘れられないのが、チュラルンコン大学の女子学生たちである。
白いブラウスに紺色のスカートという清楚な制服姿の学生たちは、お年寄りが乗ってくると、そのうちの一人がさっと立ち上がり、笑顔で席を譲ってくれた。
私は何度もその親切に助けられた。
その日は、それだけで一日が幸せな気持ちになったものである。
人の情けは、国を選ばない。
九十四年生きてきた今も、見知らぬ人から受けた親切は、静かに心に残り続けている。
(了)
