「分かって欲しい」感情の正体
心のどこかで、
「私のこと、きっと誰もわからない」
そう感じたことはありますか?
自分のことを
自分で分からないのに
自分以外の、
他人が理解できるはずもない。
自己理解は、
自分の人生を、生きたいように
生きるためには、必須であると
私は思います。
でも、私自身もまた、
自分を理解しようとしていなかった内の
1人でした。
_____
幼少期、10代、20代と経て
これまでのわたしは、
ずっと
私は理解されない
私は愛されない
私は価値がない
証拠を集めながら生きてきた。
実際に、
「双子の片割れより“お利口”でいないと
親から愛されない」
「点数が良い方が、
価値があって必要な存在でいられる」
「わがままを言うと、嫌われる」
「人に迷惑をかけてはいけない」
「普通にしていなさい。」
「あなたは特別じゃないし、
普通以下の人間よ。」
「ニコニコしていなさい。」
「出来ないことに時間を費やして
無駄なことをするな」
「具合が悪くても、学校には行け」
言われて、育てきた
もう20〜30年くらい前のことだけど
すごい、、、
意外と覚えてたなぁ笑笑
20代になって
親に、「昔こんなこと言われて悲しかった」と
話したことがある。
結構、溜め込んでいた頃で
泥を吐き出すように
話した気がするけど、
返ってきたのは
「覚えてない」
一言だった。
うむ。
肉親でも、
自分とは分離した“他人”なのだ
拍子抜けとはこのことで
言葉の記憶とは
脆いものだと思った。
そして、
私は、
「お前は特別じゃない」と
言われれば言われるほど
「私は、特別だ!!!」と
反発するように
人とは何か違うことをしたがった。
人と違うことをして
「特別な私」を生きたいなんて
思っていた。
でも、潜在的には
「私が特別じゃない」証拠集めをして
何をするにしても
やっぱり自分には、出来ない
喪失感が
反射して返ってきた。
____
恐ろしいことに、
そんな目には見えない
無限の喪失感の中にいても
小さい頃から“言われてきた通り”
ずっとニコニコ笑っていた
今、思うと
ホラー。
笑
「分かって欲しい」
「理解しようとしてほしい」
「何を望んでいるのか
条件なく話を聞いてほしい」
以前は、ずっと、
両親に
そう感じていた。
でもね、これって
実は
何より自分自身に、
そう思ってきたってことに
気づいたのだ。
____
私は、私のことを
どれだけ、理解することが
できているだろうか?
私は、自分が何を望んでいるか
本音をキャッチできているだろうか?
私は、私に条件をつけることなく
自分を愛せているだろうか?
*
きっと
両親にも葛藤があった
きっと両親の両親にも
同じようなことを言われてきたのでは
ないだろうか。
両親の両親の、そのまた両親も
そうだと信じながら
自分と対話する暇なく
我武者羅に、
生きてきたのではないだろうか
そして、「こうでなければ」と
思い込まざるを得ない
状態だったのではないだろうか
それは、大変じゃなかった?
それを当たり前だと
信じざるを得なくて
私たちは、
信じ過ぎてきたのかもしれない
____
私も、人で
親も、人。
おじいちゃん、おばぁちゃんも
人。
きっと、同じフェーズにいたから
共鳴してきたのかもしれないな
よし、
終わりにしよう。
そこから、
私の人生の主導権を
誰かの影響や言葉ではなく
自分に戻す練習を開始した
____
人生の主導権を自分に戻す
初手__
私は、自分がどう感じているか
何を望んでいるか
自分で受け取る
練習をした
*
感情は、波のように
一点に留まらず、常に変化する性質がある
例えば、
りんごを「美味しい」と感じた次の瞬間
「旬がいつで…」
「この産地のりんごが有名で」
とか、
美味しいと感じるための情報を
脳で処理していたりする
感情は2層になっていて
一次感情は、素直な本音の声
二次感情は、思考や知識、危機防衛が伴う
通常、一次感情を味わう暇なく
二次感情が押し寄せてくる仕組み🧠
たとえば、
連絡を待っているが
なかなか返信がない時
一次感情は「寂しい」「不安」と感じていても
二次感情は「どうして返信してくれないの?」と
怒りに変わっていたりする。
私たちは、この二次感情に
脳が激しく反応してしてしまい、
本音に気付けず
相手に怒りをぶつけたり、
本来なら必要ない違和感を
覚えることで
本当の想いから
離れたところへと
現実を動かしてしまうのだ
____
20代、
ある時期、私は
怒りという感情を体験した。
それまでは「怒り」を知らない
ニコニコ人間だったが
自分にも「怒り」の感情が
あったことに気づいて
「そんな自分はダメだ」と
感情を拒否した。
でも、この感情、
まだ、二次感情だったのだ。
本音の一次感情を受け取る前に
“邪悪”な怒りの感情を
拒否した私は
本音に二重の蓋をした。
ニコニコホラー人間。
笑
すると、
「イライラ」してる人に
極端に嫌悪するようになった。
イライラするのは
未熟だからだとか
抑制出来ない人なのだとか
盛大なる否定観で
心の中でこっそり、
その人を悪者にした
なんと立派な
ジャッジメント。
自分の怒りを拒否するくらいだ
他人の怒りを
受け流したり、理解するなんて
到底、出来っこない。
____
そこから、ヨガや瞑想を通して
自分と向き合うこと
ヨガ哲学で「ジャッジメントしない」
心の捉え方を知り、
私は、怒りという存在を
少しずつ受け入れ始めた
「そうか、私は怒っていたんだな。」と
自分の中にある怒りを
書いたり、話したりして
棚卸していった
*なんで怒っているの?
*何が嫌だと感じたの?
小さな子供に尋ねるように
丁寧に、怒りの理由を
解いていった
この本音の棚卸作業には
最近では
タロットが大いに貢献してくれている。
このタロットについては
また次回書いていこう。。
*
そうしていくと、
これが嫌だとか
どういうところに嫌悪してるとか
そういう些細な“反応”の奥に
深い感情が眠っていて
本音を隠したがる
臆病な自分がいることも含めて
なんとなく気づいていった
それが、
一次感情で
私の本音だった
怒りに隠された
「不安」
「葛藤」
「完璧主義」
「こうでなければ」という信念
ぎゅうぎゅうに蓋をしていたから
一気に溢れ出すように
感情が降ってきた
___
今も、たまに降ってくる。
お風呂に入って
ボーーっとする時間や
瞑想して思考が静まると、
ふと、1つの思考が浮かんできて
抗う必要もなく
闘う必要もなく
受け取る準備ができた私は、
「そうか。」と本音を呟く
タロットを引いて
感情の引き出しを開けてみては
本当はこうだったのね。
と、
時差はありながらも
受け取れるようになってきた
_____
感情に蓋をするとね、
いつか絶対に
溢れてきちゃうから
蓋を開けても
「大丈夫だよ」って自分でいられるように
自分に寄り沿ってあげよう
私たちは、
自分を、絶対的な味方にできる
自分を、最強のヒーローにできる
誰かに、サポートも求める勇気も
素晴らしいし、
素直で素敵だけど、
誰かに、求める前に、
自分に、自分が寄り添うことで
自分との信頼関係を育んでいくことができる
私たちは、人生の主導権を
自分で握ることができるんだ*
自分のこと
たくさん分かってあげられる
人生にしていこう_
今日も、最後まで
読んでくれて
ありがとう^^
From love to love.
愛に始まり満ちてく人生を🪷
