お前はダメだと言った母が、 最後は私の勝ちよと笑った。
第一章:母が死んだ日、
私はなんとも思わなかった
私と母の間には、
名前のつかない感情があった。
母が死んだ日、
私はなんとも思わなかった。
ただ妹が泣いてるから、つられて泣いた。
もちろん悲しかった。
でも普通の人のそれとは
少し違ったのかもしれない。
母と私の複雑な関係は、
悲しいの一言では、
表現できない特別なものだった。
妹にはわからない、
2人だけの特別な感情を共有していたのだ。
だから妹だけ声をあげて泣いていた。
まるでドラマのワンシーンのように。
妹が右手を握ったから、
わたしは左手を握った。
父が「頑張ったな」って声をかけたから、
私もそうした。
家族の真似をしてその場に溶け込もうとした。
気づいたら、そうしていた。
第二章:記憶は自動修正されていた
母との思い出は、正直妹に言わせると、
かなり欠けてるらしい。
二人の記憶が一致しないのだ。
私が記憶を改ざんしたんだろうか。
もしそうなら、
記憶が自動修正されていたんだろう。
想像するだけでも恐ろしい。
それだけ母は、
記憶に収まりきらない影響を与えた。
でも今思い出せる温かいところ。
ご飯は美味しかった。
忙しいのに、いつも寝る間を惜しんで
お弁当を作ってくれたり、
冷凍食品が嫌いで、決して手を抜かなかった。
今なら分かる。
母も完璧じゃないといけないという
前提を抱えていたのだ。
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母は私にも、正しさを強く求めた。
私の完璧主義という前提は、
母の型に流し込んで造られた。
母も生きづらかっただろう。
なんでも完璧にこなさないと自分が許せない。
子どももそうでないと気が済まない。
怒りの矛先を、妹ではなく、私に向けた。
いくら完璧を纏っても、
父は家に帰ってこないのに。
妹はずっと、うまくやっていた。
悪気がないのが、もっと悪だった。
母が声を荒げていても、
さっと自室に戻っていく。
私は正面から全てを受け止め、
自分を見失う。
言葉の暴力シャワーを、
ずぶ濡れになるまで浴び続け、
寒くて頭が真っ白になっていった。
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父は昔から、女癖が悪く、
帰ってこない日が多かった。
別の家庭があったのかもしれない。
母の苦悩の全てはそこが始まりだった。
母は全く素直じゃない。
可愛くて甲斐甲斐しい、
弱い女ではない。
「俺がいないと、こいつはダメなんだ」
そんな女でも演じればよかったのに。
ますます父は帰ってこなくなり、
ある日、引っ越した。
25年後の最期の日まで。
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母と娘たちは、いつか
進学という形でバラバラになった。
そして母は一人になった。
母は一人になっても、変わらなかった。
友達ができた。
でも関係が深まると、
自分で壊してしまう。
既視感。私と同じだった。
仕事は成功した。
5店舗を経営して、
周りにチヤホヤされた。
初めて認められたと、
錯覚したのだと思う。
でも本当は、
家族に帰ってきて欲しかっただけだ。
そのことに気付いたのは、
余命を知らせる
父の電話だった。
第三章: 広くて、でも窮屈な家
母が乳がんを患った知らせは、
海外にいる時に届いた。
心配だった。
でも怖くて彼から離れられなかった。
離れたい。
でも離れるのも怖い。
それでも、
これが離れるチャンスかもしれない。
でも、できなかった。
乳がんだから死ぬわけじゃないし。
そう、浅はかに考える親不孝な娘だった。
体裁もある。
妹にも「お前はダメだ」と
思われたくない。
だから、意を決して、
一時帰国して会いに行った。
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思ったよりあっさりしていた。
女性の大事なところを失ったのに、
なんの執着もないのだろうか。
そこは不思議だった。
あの頃の私は、
母のように、強くあれただろうか。
先に抗がん剤治療を受けてからの手術で、
あんなにおしゃれが大好きだった母の髪は、
寂しくなっていた。
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時が過ぎて、私が29歳、
都会の暮らしに疲れ果てていた頃だった。
母の癌は、再発した。
肺に転移していた。
今度は妹は実家に戻れない。
私に白羽の矢が立ったのだ。
その時はあんなに辛い日々が訪れると
思いもしなかった。
本能的に、記憶の改ざんをしていたのだ。
母娘の関係は少しよかったと。
私は都会の暮らしを捨て、
広くて、でも窮屈な実家に戻った。
母の闘病を支えるという名目のために。
第四章: ずぶ濡れになるまで
ここから4年間、全く肌が合わない
母との二人暮らしが始まる。
母は、自らの力で財をなし、
父への当てつけと、
私たちが帰らないことへの抵抗で、
実家の隣に、新築の家を構えていた。
初めは、
その新しい木の匂いに心がなびき、
遊びに行くこともあった。
でも次第に、過去の支配される関係性が、
再現されていった。
私は避けるように旧宅に籠った。
食事も別、日常生活も全て別。
ほとんど顔を合わせないように、
細心の注意を払って過ごしていた。
それでも母はありもしない用事を作っては、
旧宅を頻繁に訪れた。
そして会うたびに、過去に受けた古傷を
容赦なくえぐってくる。
大きな声を浴びせられるたび、
頭が真っ白になり
自分が分からなくなる
そしてあの声。
「お前はダメだ」
これがくると、私はどうしようもないくらい
ダメになるんだ。
涙は流しても、決して拭きたくなかった。
声を上げたくても、一言も出なかった。
全てが終わるのを無で待ったあと、
部屋で一人、しゃがみ込む。
体から全ての力が抜け、
全部の液体が漏れ出るような、
人間でいるのが、精一杯だった。
第五章:小さく見えた母
こんなに傷つけ合う二人は、
交わることなんて決してない、
そう思っていた頃、珍しく外食に誘われた。
母が大好きな洋食屋さんだった。
「もういいよ、これ以上居なくても」
「お金は出すから、東京で好きなことしなさい」
強がりな母の、精一杯の優しさが見えた。
お金の支配はチラつかせながら。
母はどんな気持ちで言ったんだろう。
私のことを傷つけながらも、
決して離してくれない、
執着で一緒にいたのに。
少しだけ母が小さく見えた。
でも貯金などない私は、
やっと解放されると、
私を待つ都会へ、
そそくさと母の元を去った。
今思えば、傷ついてもいいから、もう少し残ってあげればよかった。
第六章:すっと席に戻った
最期の癌が、じりじりと、
でも確実に母を迎えに来ていた頃、
私は仕事にのめり込んでいた。
特に相手もいなかったが、構わなかった。
人が好きだった、分析するのが好きだった。
採用の仕事は、やっと出会えた、
私の強みが活きる場所だと思えた。
そんな中、賑やかな場所で電話が鳴った。
父の声。
電話なんて、滅多に来ないので、
不意をつかれた。
もう長くはない、
母の余命の話だった。
私は賑わう店内で、
聞こえないふりができたらいいのに、
なんて馬鹿なことを一瞬考えた。
予定より早く向かうと答え、
何事もなかったかのように、
会食の席にすっと戻った。
第七章:4ヶ月親子ごっこ
久しぶりの再会、
リビングに敷いた布団の上の母は、
らしくなかった。
母はどんなに具合が悪くても、
リビングで横になることはしない。
母はビシッと着物を着て店に行く、
そういう身なりに厳しい人だ。
家族でも、寝姿を見せたりしなかったのに。
それほどか、
私は、この事態に動揺した。
ここから、
両親と私の、
4ヶ月親子ごっこが始まった。
父は一度決めたら意見を曲げない、
そんな人で、要するに融通の効かない、
クソ親父だった。
行くと決めたら雪でも槍でも、何が起きても病院に行った。
後半は、少しでも調子が良ければ、
一時帰宅していた母の家に、泊まり込んだ。
母への懺悔か、頑固で偏屈か、
どちらかわからないが、
父なりの最期の覚悟を感じた。
一人は寂しいと、個室を拒んだ。
以前は個室じゃないと、眠れないと言っていたのに。
おかげで私たちは、周りに気を遣って、
病室で過ごさないといけなくなった。
過ごすと言っても、はずむ話もなく、
なんとなく付けてるテレビに耳を傾け、
透明人間になったり、
好きなフィギュアのうんちくを披露したり。
母も羽生くんが好きだった。
何を置いても、頑張ってる人が好きだ、
そう母は言っていた。
相撲の時間は父に発言権が移る。
楽しそうに話す父を、嬉しそうに母は見つめていた。
何を思っていたんだろう。
戻って3ヶ月頃には、
いよいよ、自分で食事ができなくなっていた。
胃ろうの手術は嫌だ、私に迷惑がかかると、
大好きな食べることをすんなり諦めた。
娘に迷惑はかけたくない。
母は精一杯の威厳を保っていたんだろうか。
母の食事は1日3回の輸液。
病院で点滴できない時は、
私が抗がん剤を入れていた胸のポートに、
点滴の針を刺して、輸液の管理をした。
初めて処置した日。
骨が浮いた胸元に、
針を刺した。
「お姉ちゃんだけが頼りだよ、それで生かしてもらってるよ」
そんな風に私のことを持ち上げたりして、
同一人物か疑った。
だんだん家でも起き上がる時間が少なくなっていった。
それでも一日1回は外に連れ出せと、
生き急ぐ母、置いていかれる私。
日中はデカくて邪魔だから、
自分の家に戻れと追いやられる父。
三者三様それぞれの精一杯だった。
第八章: 最後は私の勝ちよ
母と二人っきりの時間、
なんとなく父の話になり、
こんな状況になると思わなかったね。
声が揃った。
25年も帰ってこなかったんだ、
もう二度と戻らないと思ってたけど、
帰ってきたね。ニタッと笑った。
最後は私の勝ちよ、ザマァみろ。
そんな顔だった。
それでも最後に、
花見がしたいと言った。
毎年していたから、と。
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前日の夜、熱が出た。
慌てた。
まだその時じゃないと、思っていたから。
その夜、大きな音がした。
「なんで頼ってくれなかったの!!
だから言ったじゃん、転ぶって!!」
頭を打って倒れた母に、
そんな言葉しか出なかった。
次の日、妹も間に合った。
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母は、最期は静かに逝った。
とても豪快な人だった。
とても孤独な人だった。
死んでから、知ったことがある。
母には、前の結婚があった。
あれほど私に「正しさ」を求め、
完璧な型に流し込もうとした母が、
かつて世間の正しさから
外れていたという事実。
母が25年も帰らない父に執着し、
必死で5つの店を経営し、
いくら傷つけ合っても
私を離さなかったのは、
二度と「失敗」したくなかった
からなのか。
墓場まで持っていこうとした
その秘密を知った時、
私は初めて、
手が届かない憧れだった母の、
情けないほどの必死さと、
愛おしさを知った。
お母さん、ありがとね
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父とは今
戦友のような関係になった。
あの4ヶ月を一緒に戦い、
母を看取った同志。
仲良し父娘とは言い難いが、
たまに焼肉へ行き、
スナックで歌ったりする。
必ず彼女に間違えられる。
娘ですって、
周りに触れ回る父がおもしろい。
▶ この話の原点
「お前はダメだ」シリーズ①
▶ 母が作ったOSの話
「私のOSは母が作った」
前提シリーズ①
