働くことが安全で、休むことが脅威だった
最近「なにもしない」が少し上手になった気がする。でもそこに辿り着くまでに、ずいぶん遠回りをした。
母が会社を辞めて独立すると言い出した日から、地獄が始まった。
当時高校生だった私は、どうやって暮らしていたのか、その頃の記憶がすっぽり抜け落ちている。あの時は、袋にたくさんの入った菓子パンや、薄切りの食パン。うどん屋さんで買った素うどんと、出汁を取った後の味のしない昆布を食べていた記憶はある。両親が離婚してしばらくは、母子家庭でも裕福な部類だった。けれど母の独立後は、自分のバイト代だけではお昼ごはんが買えず、保健室のベッドで丸くなることもあった。
大人になってから弟に再会したときも、一緒に暮らしていた実感が湧かなかった。あったのは、ただ居心地の悪さと罪悪感だけ。本当にごめんね。
私は自分を守るために、いろいろなことを忘れてしまったのだと思う。
それでも「もう絶対に貧しい思いはしない」という気持ちだけは、私をしっかりと支えてくれていた。働くことは安全で、休むことは脅威だった。お金がなければ生きていけないという無意識の刷り込みが、私をひたすら過労のほうへ押し出していった。
新卒で入った会社は、ありがたいことにお給料がよかった。よく働き、よくお金を使い、たくさんの経験をさせてもらった。そして休めない私は過労で難病になった。病気になりたての頃は私が悪いことをしたのかな? と自分を責めた。
働けない私は価値がないと思って泣いていた。でもそこから10年かけて、病気は誰しもが起きうること。会社員というレールから脱落しても、自分のちからで働きながら生きていけることを知った。
フリーランスになってからも、当時の働き方で鍛えられたおかげで、いくらでも仕事ができる心と体を保っていられた。けれど、自分は本当に豊かだったのか、それともずっと貧しいままだったのか、ふと分からなくなる瞬間がある。
結婚も離婚もして、誰かに依存することも、誰かから依存されることもない、完全なひとり暮らしに落ち着いた。
長いあいだ、私は休むのが本当に下手くそだった。休むひまがあれば生産的なことをしたかった。時間があればお金に換えたかった。新しいことを始めて、月10万円ほどの収入をつくる。そんな目標を立てては、ひたすら走り続けてきた。
仕事をして、少し休んで、また仕事をする。仕事は楽しい。嫌なことはしていないし、難病があるから動けるうちはちゃんと働いていたいとも思う。けれど、這ってでも行くというのは違うのだと、ようやく気づいた。
休日に本を読むのも、恋愛リアリティショーを観るのも、英語のポッドキャストを聴くのも、「なんとなく仕事に活かせそう」という前提のインプットになっていた。旅行に出ても、写真を撮り、感じたことをすぐに言葉に起こす。取材ほど張りつめてはいなくても、心の奥はずっとどこかで働いていた。
仕事はちょうど、量から専門性へと移っていくフェーズに来ている。フリーランスの20代後半から30代前半は、とにかく経験を積み、量をこなせる時期だった。けれど30代以降は、専門性が問われるようになる。「私が私であること」で選ばれる仕事が、少しずつ増えていく。
ところが、仕事のためになる休み方ばかりしてきた私は、自分が本当に何をしたいのかが分からなくなっていた。パートナーがいた頃は、相手の行きたい場所を優先しすぎて、自分の行きたい場所はどこなのかわからないほど、心の声があまりに小さくなっていた。
新しい街に引っ越した。行きつけのカフェをひとつつくった。気づいたらカフェで1時間、何も考えずにいられた。カフェの店員さんと、隣の席のお姉さんとおしゃべりして仲良くなった。スマホも開かなかった。それだけのことが、以前の私には絶対にできなかった。
いつもの散歩道もつくった。誰の役にも立たないような小さな行動が、私が「ぼーっとしていてもいい」と肯定してくれていた気がする。
仕事にも、家族にも縛られずに、自分が自分のままで生きていくには、外に出て、何がしたいのか、ぼーっとしながら試していくしかない。散歩道に立ちのぼる土や草花の匂い。ふと空を見上げれば、虹がかかっている日もある。
家でスマホを眺めていたら気づけないものが、外にはたくさんある。効率化の向こう側にある景色は、いつもそこにあって、ただ美しい。ドアを開けて外に出れば、ちゃんと待っていてくれる。それなのに私はずっと、生産的なこと、社会的なこと、効率的なことばかりを優先してきた。
人生は短いからと焦って生き急いでいると、本当に短い人生になってしまう。むしろ、なんだかぼーっとしている時間が長ければ長いほど、人生って案外、長いものなのかもしれない。
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