【ゲーム】パッケージを買う理由が「中古で売れるから」なら、そりゃ終わるわ!
プレイステーションの新作のパッケージ販売が終了するそうだ。
XBOXも任天堂も、ゲームはダウンロード配信が主流になっている。
私は中古ゲームショップでスーファミのソフトを、お小遣いが尽きるまで買った世代だ。
知らないマンガを古本屋で買って、ジャケットだけ見て洋楽CDを買って、それらを栄養にして自分をつくった。大人になった今は、多少は業界に貢献できる買い方をしている。
寂しくて、同じような「ゲームパッケージ保護派」の意見を集めた動画を観たら、
「中古で売れなくなるから困る」
というコメントが多くて。
「損してもいいから、カセットをさして遊ぶシンプルな形を残してくれ!」
というんならともかく、いい大人が買う前から売ること考えてるんなら、こりゃなくなるわ。
箱説過激派のおじさんたちも、ピュアだった自分を思い出してほしい。
お誕生日やクリスマスに、マリオとかWiiとかゴエモンとかポケモンとかをもらって、
「友達との交換、転売やリセールができて嬉しいな」という理由で喜んだろうか。
「ゲームがある」だけで嬉しかったはずだ。
なんなら、遊んでいるときより、もらったときのほうが喜んでたこともある。
スーパーファミコンを通ってきた世代はパッケージ主義者になる。
あの大きい箱をガパッと開けて、透明なプラスチックの、カセットを保護するやつの下から説明書を取り出す感じは、今だと超限定版クラスの贅沢だ。あれは絶対にあるほうが嬉しい。
逆にダメなのは、steamの「返金」システムだ。
あたすみに(頭の片隅に)、もしダメだったらキャンセルしようと保険をかけて遊ぶゲームが、真の面白さを発揮できるわけがない。
電子マネーで買うのもできるだけ避けるべきだ。
実物の千円札を見つめて、ほんとうに買っていいのか、悩んでゲームコ-ナーの棚の周りをぐるぐる周るところからゲーミングは始まっている。
音楽は、ジャケットこみで作品になっている。
本は、紙質やしおりの色までこだわって雰囲気をつくる。
中身のデータだけだったら、パワーが減ってしまう。
箱はないよりあったほうがいい。
・・・と思ったんだけど、考えてみれば携帯ゲーム機のちっこい中に全部ムダなく入ってる小さいダウンロードソフトも好きだった。
ゲームや音楽の情報がパッケージしかなかった時代に、ひどい目にあったこともある。
クラスの流行についていけず、自分の感覚だけで買うものを決めていた少年時代。私はスーファミの魔訶魔訶と、電気グルーヴのVOXXXを買った。
なんか面白そうに見えた、という理由で。
えらい目にあった。
タイガースファンの罵声をテクノにしてるらしいんだけど、
「音楽」ってのはドリカムとミスチルのことだと思ってた子供が3000円出してこれ買って、よく倒れずに翌日元気に登校できたもんだ。

このパッケージも、店頭では面白そうだったのに、家だと急に怖くて。
宿題をやってるときに背後からこの箱が「ねえねえ、あそぼうよ」と声をかけてくる。
パッケージは、起動してないときも意識させられる。
初代プレステのクーロンズ・ゲートは、
「くーださい」
って言ったら、見本と違う呪いの箱みたいな限定版を出されて、こういう表現のしかたもあるんだ、と衝撃を受けた。やめてほしかった。
しかし、うらやましくもある。
よく、子供のころって下調べもしないで有り金を出せてたなあ。
自分に合わない、理解のできないものにぶち当たることもあったけど、わからないものが急にわかることもあった。
人生がディスク1枚で変えられてしまうダイナミックな経験が、ごくまれにある。
魔訶魔訶を買ったときに返金システムがあったら使っていたけど、嫌でも付き合うしかない時代だったから、レビューやwikiにない自分だけの感想を持てた。(バグだらけという評価だが、ぼくはバグに遭う前に心がやられた)
その20年後に戌神ころねの実況プレイで見つけて、自分の行けなかったエリアを知った。
デザインした相原コージの漫画を読みだして、独特のアートワークが20年ごしに好きになった。
電気グルーヴも、サンプリングとかテクノというジャンルを知って、ベストアルバムを愛聴するようになった。
パッケージはいいぞ、って話に着地しようとしたのに、いい思い出がない。
落ち着いて考えてみたら、
「作品が多すぎると目移りして楽しめない」
が正解かもしれない。
限られたお小遣いで悩んで選んだものが、たまたま箱に入ってたから箱に思い入れがあるように錯覚したけど、あのころの自分ならどんな形式でも全力で楽しめたのかもしれない。
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読んでくれてありがとうございます。
これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。