【創作童話】夢のスープと白い部屋


 小さい頃から見る夢は時々繋がっていて。とても不思議だなぁ、と他人事のように思っている。その夢はスープを作る夢。
 
 夢の始まりは、いつも決まって白い部屋の中に佇んでいるところから。
 魔女や魔法使いが使う大きな黒い釜が部屋の真ん中にあるだけの小さな部屋。大釜はいつもぐつぐつと煮えているけれど火にかけられている訳でもなく、巨大なHIヒーターの上に置かれている訳でもない。僕はそれを別段不思議には思わない。そういうものなのだろう、と思っている。
 大釜の前で佇む僕、手には何やら持っている。この夢の時にはいつも何かしら持っている。両手に抱えきれないほど大きな青梗菜の時もあれば、手のひらにすっぽりおさまるパンダの顔を模ったチョコレートを裸のままで持っていたりする。その日によってまちまちな所持品は食べられるものだけとは限らない。この前は下駄があったし、ぬいぐるみや洋服なんかの時もあった。でもどんなものを持っていたとしても僕は必ずその日の所持品は全て大釜に放り込んでスープの材料にしてしまう。
 オールのようなヘラで大釜をぐるりとかき混ぜ、その後はぼーっと部屋の天井についている窓を眺めたりして過ごす。何もないこの大釜と天窓があるだけの、ドアもない部屋が不思議と落ち着くのだ。
 そうして、夢の終わりは決まってマグカップによそったスープ。大釜のスープの味見をすると、僕はベッドで瞳を開ける。起きて一番最初に考えるのは、やっぱりスープの味のこと。甘い時、辛い時。美味しい時、イマイチな時。色々あるけど、味が変わらなかったことはなかった。そして2番目に考えるのはあの白い部屋のこと。真っ白な壁に真っ白な床、天井まで真っ白。窓が天井に一つあるだけの、ドアもないその部屋の真ん中に鎮座する真っ黒な大釜。よく考えると僕はスープの色をいつもおぼえていない。夢のような色をしていたと思うのだがそれを具体的になんと呼べばいいのか、見当もつかなかった。
 何もなくて、誰もいない、夢色のスープが煮込まれているだけの部屋。僕はあの部屋はそれ以上でもそれ以下でもないのだと思うことにした。
 
 
 ある日の夢で、僕はいつもの白い部屋で一つの小ぶりなみかんを手に佇んでいた。いつもの大釜の前で、みかんを釜に入れようと手を伸ばす。相変わらず大釜はぐつぐつと煮えている。その時
「今日はみかんなんだ?」
 声がした。釜の中から聞こえたようにも、釜の向こうから聞こえたようにも思う。スープがしゃべってもおかしくない。何せここは夢の中だ。念の為釜の向こう側を確認しに行ってみると、そこには大釜に隠れてしまうくらいの大きさの青いパジャマの男の子がいた。歳はおそらく十一か十二、いや十三かもしれない。小さな木の椅子に座ってなんだか赤い大きな本を読んでいる。足元には猛々しい熊の絵が描かれたマグカップが置いてあった。
「みかんは甘酸っぱくて美味しいよね。時々ハズレもあるけれど」
 そう言って青いパジャマの男の子はこちらに顔を向けて笑った。いつからそこにいたのかわからないけれど、もしかしたら実はずっといたのかもしれない。どうしてかそんな気もする。
 それから青いパジャマの男の子は膝の上に本を開いたまま、マグカップを手に取りそのままこちらに差し出した。スープの味見をしてくれるようだった。スープをよそりながら僕は尋ねた。
「君は誰? どうやってここに? いつからいたの?」
「おっとせっかちさんだな」
 そう言って男の子は笑うと、開いていた赤い本をスピンを移動してから閉じ、足元に置いた。
 僕は深呼吸して気持ちを落ち着けてから彼にスープを渡した。「ありがとう」という言葉が返ってきた。男の子は一口飲んで、ほ、と息を漏らすとこちらを見た。
「実はずっとここにいたんだ」
「えっ、いなかったよ」
「いたよ、でも君には見つけられなかったのさ」
「どうして」
「探していたから」
 そうして男の子は「探し物は探している時には出てこないものさ」と言いながら、また一口スープを飲んだ。
 
 
 それから、青いパジャマの男の子は白い部屋の夢の時にはいつも居るようになった。
「今日はたくさん持ってきたんだね」
「うん。マシュマロに、葡萄のグミに金平糖に……ゴーヤー?」
「何か心がちくりとするような、辛いことでもあった?」
「どうして?」
「甘さでほろ苦さは隠せないよ。今で昔が隠せないようにね。ただね、ほろ苦さも良さになり得るんだよ」
 そして男の子はいつものようにスピンを移動して本を閉じると、マグカップを手に取りふーっと埃を吹いてからそれをこちらに差し出した。
 
 
 ある日。スープをかき混ぜながら僕は聞いた。
「いつもなんの本を読んでいるの?」
「これは本の形をした窓なんだ」
「窓」
 思わず天井の窓を見上げた。
 窓の外は暗かった。鈍色の雲が落ちてきそうな雰囲気だった。雨が降って世界は滲んだ。
 
 
 またある日。その日は瓶を持っていた。フラスコに似た形をした瓶の中で透明な水がちゃぷんと音を立てて揺れた。大釜に入れようと瓶の蓋に手をかけたところで声をかけられた。いつもの青いパジャマの男の子だった。
「それはそのまま入れられるよ」
「どうして? 瓶は食べられないよ」
「今まで下駄やら服やら食べられないものも散々入れてきたくせに今更何を言っているの? しかもそれは飴だ」
「飴? じゃあこの蓋は?」
「蓋はクッキー」
 言い争うのも馬鹿馬鹿しくて、僕はそれを大釜に投げ入れた。瓶はあっという間に煮えたぎるスープの波に飲み込まれて消えた。
「珍しいものを持ってきたね」
 と男の子が瓶が消えたあたりを見つめて言う。
「珍しいものだったの?」
「そうだよ、詳しくは教えてあげないけど」
 そう言って青いパジャマの男の子はこちらを笑いたいのか泣きたいのかよくわからない顔で見ていた。
 
 
「しょっっぱ」
「あはは、想像以上にしょっぱいね」
 味見をしたら目が覚めるはずが、あまりのしょっぱさに夢に戻ってきてしまった。今日は遅刻だ、諦めよう。
「涙の味がするね」
 そう言って青いパジャマの男の子はまたこの間の泣きたいのか笑いたいのかよくわからないような表情でこちらを見た。
「もう元には戻らないのかな」
 なんとなくそう尋ねた自分の声があまりにも絶望に満ちていて少し笑ってしまった。
「大丈夫だよ、これは時間が解決してくれる」
「そんなもの?」
「そんなもの」
「そんなものか」
 その言葉にちょっと安心したものの、あの味を思い出すと慢心はできないような気がしてくる。
「他にもなんか方法ない?」
「あるよ」
「教えてくれる?」
「それはね、起きてる時にとびきり自分を甘やかして、この世は天国だなぁくらいの気持ちになれる日を増やすこと、かな」
 男の子は自信ありげににこにこと教えてくれたが、それはあまりにも納得できない方法で、僕はさっきよりも落胆してしまった。
「そんな気分になれないよ」
「じゃあ時が経つのを待つしかないね」
「それもなぁ」
 男の子はまたあの、泣きたいのか笑いたいのかよくわからない顔をしていた。
「ちょっとでもいいんだ、自分を甘やかすことも時には必要なことだと割り切ってみてよ」
 割り切って諦めるのは得意でしょ? と彼が笑ったところで、僕は自室のベッドの上にいた。そうだよ、今日の遅刻も諦めているからね。
 
 
 今日もスープは相変わらず塩辛かった。涙の味とはよく言ったものだ。いっそ大釜をひっくり返し半分くらい零して水で薄めてしまおうか。そう真面目に考えたけれどもここには蛇口がないことを思い出してやめた。
 今日の所持品はクリームの挟まったビスケットがひと欠け。試食品のようなそれに気の遠くなる思いがした。
「ちょっとは自分、甘やかそうとしてるんだね」
 青いパジャマの彼が言う。
「してるけどうまくはいかない」
 自分を甘やかすだなんて、どうすればいいのかわからない。夕食後のデザートにちょっといいビスケットを買って食べたら夢にまで出てきてしまったけれど、こんなことならちょっといい水にでもしておくんだった。
 
 
 ある日。部屋の隅に扉が付いてるのに気がついた。扉は意外にも先日のミルクビスケットのような色をしていた。真っ白の部屋に少し色がついたような感覚になって部屋の中がちょっぴり明るく見えた。この扉も、僕が無意識で探すのをさっぱり諦めたから出てきたのだろうか。
 今日に限って青いパジャマの男の子がいない。男の子がいないと小さな椅子もないし、赤い本もないし、あの猛々しい熊のマグカップもない。あれらは彼がいちいちこの部屋へ運んできているものだったようだ。
 一人ぽつんと、大釜へ小さなビーズの指輪を投げ入れた。部屋の外に出てみる気にはなれなかった。天井の窓を見上げてみる。そこは相変わらずの曇天を切り取っていた。
 
 
「ああ、あの日は少し眠っていたんだ」
 次に出会った時青いパジャマの男の子はそう言った。あの日あった扉が今日は無い。
「君も眠るの?」
「眠るよ」
「どんな夢をみる?」
「君と同じさ」
 僕と同じと言うことは、彼も白い部屋でスープをぐつぐつと煮込んでいるのだろうか。彼のスープはどんな味がするのだろう。
「君がいない間、僕はこの部屋を出て、廊下を左手に進み、突き当たりの部屋で過ごしている。そこにはいっぱいの本があってその部屋を管理するのが僕の仕事なんだ」
 と青いパジャマの彼は教えてくれた。
「僕にとってここは夢の中だけど、君にとっては現実なの?」
 それはなんてことないごく当たり前の質問のように思っていた。男の子は微笑んで答える。
「何を持って現実とするんだい?」
 それは彼が初めて僕にした質問だった。
「…………」
「君がいる場所はあちらでもこちらでも、どちらでも現実さ」
 ぐらりと、世界が傾く。夢の外に引っ張られる感覚がする。そのままそうして僕はいつものベッドの上で瞳を開けた。瞳を開けた時一瞬いつもの天井とは違うものが見えたような気がした。それは、天井まで届く大きな黒い本棚とそこに収められた大きさも色もまばらな本たち、だったような気がする。

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